陽のあたる場所 01 



 





 銀時、銀時小鳥が死んでしまったんだ。



 あれは、どのくらい前のことになるだろう。まだ先生の元で学んでいた時代だから……両の指では足りない。。
 俺は鳥かごの中で動かなくなった小鳥を両の手のひらに伸せて、そうすると手がふさがってしまい俺は顔を隠すことができなくなってしまう。
 人前で泣いたことなどなかった。
 泣き顔は女々しいから。はしたない。
 誰の前でも泣く事はなかった。泣かないように、俺は口喧嘩でも腕力勝負でも、常に勝たなくてはならなかった。誰にも負けなければ、俺は泣く事を必要としないから。そして俺は常に勝っていた。
 銀時は誰にも勝たないけれど、負けもしない。そんな優劣を競うことはなく、そして銀時の涙など見たことはなかった。俺が一番銀時と長い時間を過ごしているはずだが……。


 俺達に涙など存在しなかった。お互いそんなモノがあることを認識していない。


 だが、これは……。

 俺に、どんな力があったとしても、どんなに優れた頭脳を持っていたとしても……。

 あの時に始めて俺は自分の力の及ばない絶望があることを知った。



 何もできなかった。

 この小鳥に対して可愛いと愛でる以外に俺は何ができたのだろう。この憐れみがただの一方的な感情移入である押し付けがましいものだとはわかっている。

 だが……悲しいのだろうか……。よくはわからない。ただ涙が、溢れてくる。この小鳥は幸せだったのだろうかと。死んでしまった小鳥に……生きていたとしても、それはただの感情の押し付けでしかないのだが……。


「……おい、ヅラぁ」


 俺の後ろに立つ銀時が、いつも通りの口調で俺に声をかける。

 ヅラじゃない。

 そう、言う気も起こらない。相変わらず気に入らない呼び方だが、それでもいつもと変わらない声に俺は何やら肩が軽くなるのを感じた。

 銀時……。

 相変わらず、何を考えているのかを掴ませ無いような気だるい口調は、日常の中にある非日常の事態を、通常の次元に引きずり戻させるような強制力はあったと思う。

「仕方ねえよ」

 そんな言葉を必要としていたのは、果たして俺の方だったか、それとも銀時の方だったか。

 俺は誰の前でもこの小鳥を愛でていたが……。

 羽根が折れて飛べなくなってしまったこの小鳥を拾って来たのは銀時だった。誰の目もない時に、この小鳥と一番触れあっていたのも銀時だった。人の目がある時は興味のないふうを装っていたけれど、銀時のふわふわの髪で遊ぶ小鳥は、母のように一番銀時になついていたようだった。
 まだ幼い時分から口の端だけを釣り上げる皮肉的な笑みを銀時は身に付けていたが、だがこの小鳥と戯れている時は、いつもの気だるげな笑みではなく……本当に笑っていたんだ。
 優しい笑顔だった。

 俺は、少し、この小鳥に嫉妬をしていた。

 俺にすら見せてくれたことがない、笑顔。俺は心底から羨ましく思い、そして銀時のその笑顔を見れたことが、嬉しかった。
 小鳥になれたら、銀時は俺を特別に思ってくれるのだろうかと……。


 小鳥が……死んでしまったんだ。


「仕方ねえって」


 死んでしまった。

「埋めてやらねえとな」


 泣いている顔を、隠せない。小鳥を両手で包んでいるから……死が……手のひらを伝い肘まで感染してきているように、固まって動かない。
 この手で涙を拭えば、顔に死が移りそうだった。


 泣きたいのはお前も同じだろう? 俺は泣きたくなどないんだ。俺は実はお前ほどこの小さな命を愛してなどいなかった。

 ぼろぼろと両の目から溢れる涙は頬を伝い、水滴となり死んだ有機物に落ちる。



「……ヅラ、泣くなよ」


 銀時は俺の横にしゃがみ込んで、木の下に手で穴を掘る。

 がりがりと指で穴を掘る。木の根本の土は固いんだ。指でなど掘ったら爪が傷んでしまう。


「ほら、貸せよ」

 銀時が俺の前に手を出したが俺は銀時に死を触れさせたくなかった。此れは死んでしまった瞬間すでに愛でていた小鳥ではなく、穢れた死になってしまった。

 俺は銀時にそれを触れさせたくなかった。俺にも向けなかった笑顔を向けていたこの小鳥だったものに。

 俺は自分の手にすら触れないように銀時の手を肩で押して、今銀時の掘った穴に俺は手の中の昨日まで愛でていたものを、銀時の視線を感じてなるたけそっと沈めた。


 銀時は、俺の手ばかりを見ていた。俺の指先に視線を感じて、俺の指が熱くなるのを感じていたから。


 俺の顔を見ないのは、俺の涙に遠慮をしているのだろう。俺が泣かないという固執は彼の中では俺の自尊心のあらわれととったのか……。決してそれだけではないのだが。泣くことで脆くなる事を自覚していたから。とりわけ、銀時の前では。

 俺はお前のようになりたい。
 銀時が無かないから、俺も泣かない。それが一番近い。お前の優しさは脆さではなく、それは強いからであると、俺は誰よりも知っているんだ。
 俺はお前になりたい。強くなりたい。
 お前の隣にいれば、俺はお前のようになれるのだろうか。






 本当は、今お前が泣きたいのだろう?



 お前が泣きたくて……でも俺が泣いているから泣けないのだろう? お前の優しさは、他人に酷く気を使うのだから。



 でもお前に涙など似合わないよ。

 お前が泣くだなんて……それはおかしいよ。お前が泣いたら俺は心底から笑ってやろう。馬鹿にして蔑んでやろう。


 お前は泣いたりしたら駄目だ。お前は絶望を感じたりしては駄目だ。


 お前は俺の指標なのだから。




 もし……お前が泣きたいのであれば、俺が先に泣いてしまえばいい。そうすれば、お前の涙を見ずに済む。先に泣いてしまえば、お前は俺に気を使って泣かないだろう?


 俺は、穴に土を少しずつ戻しながら……小鳥の白い羽根が少しずつ土で汚れていくのを、俺は隣にいる銀時の体温を何よりも意識しながら、ぼんやりと見ていた。








070909