乱暴に襖が閉まる音が聞こえたから、そっちの方を覗いてみた。
昼間は男所帯で喧しい空気も、今では寝静まって怒鳴り声も笑い声も聞こえない、静かでいいわ。
寝所に使う部屋は盛大なイビキで喧しいを通り越しているが……。煩くてとても寝れたもんじゃねえと思っていたが……、連日の疲れもあるのか、横たわれば直ぐに寝入ってしまえる。
俺は回りの奴等とで暫く酒盛りをしていたから、こんな夜更けに厠へ御用があったんだが。
攘夷思想を持つ奴のでかい道場を遠征中に借りているのだが、戦局は思わしくない。初めはすし詰めだった寝床も、今では一人一畳を与えられるくらいだ。
まずくなってきた。
早いとこ坂本や高杉と合流しねえと……。
それにしても……こんな芳しくねえ戦局の中で休める時に休まないのは、どんなふてぶてしい奴だ。
始めに奇襲に合い、戦力は半分近く減った。
今はどんなやつでも、それが重要な戦力となることを自覚してねえのか?
そう、思って音のした方に歩いていく。
借りた道場主の居間。あまり広くはないが、ここを作戦やらを練る時に使っていた。人の出入りは制限していた。俺とヅラと小隊の隊長とあと数人だけだ。
その部屋から、光が……漏れていた。襖の隙間から、温い蝋燭の光が緩く溢れる。
蝋燭だって、そろそろ在庫がなくなる。物資を調達するための部隊だって到着が二日も遅れているんだ。来ねえかも知れねえ。そんな状態だってえのに……用もねえのに……。
俺は一言文句を言おうと……
覗いた隙間から、白い肌が見えた。
背に溢れる漆黒の髪でその白を彩る。
細い肩が……
服は着ていたが、はだけていて肌を覆う役にも防寒の役にも立ってない。
女が、いるのかと思った。
同じ量食ってる筈なのに、コイツはちっとも肉にしやがらねえから。
一番長い時間を一緒に過ごしている奴だから、見慣れているはずなのだが、時々今みたいに驚く。男のくせに妙な色気出してんじゃねえよ。
俺はため息を盛大に溢しながら、襖を勢い良く開いた。
「何やってんの、ヅラ」
音に驚いたヅラが、顔を上げて俺を見た。そして俺の声と顔を確認して、ふやけた笑顔を浮かべた。
「ああ、銀時か」
「何やってんの? って訊いてんだけど」
「………していただけだ」
落ちてくる髪を煩そうに掻き上げながら……邪魔なら切ればいいのに……ヅラは身体を起こした。
重たそうにして……。
「お前、自覚あんの?」
明日はますます厳しくなる。
自覚、今がなんなのか。今がどういった状況なのか。無駄な体力使ってる場合じゃないでしょ。
「……お前だってさっきまで酒盛りをしてたろう? 笑い声がここまで聞こえてきていたぞ」
「はあ、スミマセンねえ」
飲まなきゃやってらんねえ時もあんだよ! とか思ったが、こいつも同じなのかもしれない。
人肌が恋しくなるのだと笑いながら言いやがった。俺だって女の人の柔らかい肉が恋しいお年頃ですよ。
こいつは生きている奴の肌に触れたくなるのだと……わからないでもない。図太そうに見えて、時々妙なところで繊細だ。
俺達は、毎日命を奪うために生きている。生きるために命を奪っているのか……。
「ここでいいからさっさと寝ろ。明日は早いんだ」
ヅラは、いつもここで寝ている。一人だけで。
さっきのように誰かを連れ込むこともよくあるみたいだが……。朝まで一緒に眠ることはない。神経自体はそれなりに太くできているから、眠れないという泣き言ではない。
前までは、みんなと寝ていたが……この外見だから……。
せめて髪でも切ればまだ男にも見えるだろうが、頑なに切ろうとしない。回りの男に比べると……身長は大して低くない方だが、見た目はこんなんだから。
女日照りが続いた男共の中にいれば、否が応でも目立つ。しかも本人生きていれば相手を問わない。それはどうにも幼馴染としてやるせないが有名だ。
前に、隣に寝ていた奴に襲われて以降こいつは一人で眠るようになった。
別に誰でも良いのであれば大人しく襲われていれば大事にはならなかったが、襲われたヅラが怒り狂って止めた奴すらも殴り倒した。
音に驚いて俺が駆け付けた時には、三人は次の日の使い物にならなかった。
外見に似合わず、こいつは狂暴だし……。体格差をものともせずに、軽く殴り倒す。戦場で戦う姿は、華麗とも言えるだろう。だが、天人を斬り殺した数は誰にもひけをとらない。
……まったく。
これがまだ誰かしら特定の相手であれば良かったのかもしれないが……。高杉がいれば、まだ良かったんだが……二人はよく一緒にいたから。だいぶ前から関係はあったようだし。高杉はあの性格だから回りから怖がられてるから、周囲もヅラに手を出そうだなんて奴も居なくなる。
なんでこうなっちゃったのかねえ。昔は可愛かったのに。
「お前もさ、いい加減不特定多数と不純交遊はおやめなさい」
「特定少数だ」
いやいや、そんなとこ反論されても困るんですけど。別にてめえの性欲処理のお相手なんざ生々しくて知りたくねえよ。
「まあ、こーゆーことは不健全だし、回りにも悪影響だから、惚れた相手としなさい」
てか、何で俺がコイツにこんなこと説教しなきゃなんねえの?
確かに今更見捨てるとかできないくらいの腐れ縁だけど。
こいつがこんな風になったのはいつからだろう……。
多分俺達の世界が壊された時……あの人がいなくなった時。
俺が……世界が、壊れたかと思った。
きっとこいつも同じだったのだろう。
俺達という絆は相変わらずだが、それ以外の部分に向けた世界は崩壊していた。俺だって……壊れたかと思った。
誰でもいいからがむしゃらにしがみつきたくなることがある。
「惚れた相手、な」
ヅラは何がおかしいのか、笑いながら、上体を起こす。
はだけた胸元に今しがたついたのだろう、生々しい鬱血の痕が見えた。白い肌に………。
帯は止めていなくて、太股に伝う白い液体。
コイツのものなのか……それとも誰かのだかはわからないが……。
あー、やべえ、こりゃ。
俺ですら、うっかりよろめきそうになりますよ。
まあ今更ですから。長年の付き合いだから、風呂まで一緒に入った仲ですし? 今更こいつのどんな恥態を目の当たりにしたって、俺とこいつとの間に変化なんざあるはずがねえ。
「銀時、大きくなっている」
「うわあっ!」
突然に握られて俺は狼狽えた。
いや、誰だって急に股間に手を伸ばされたら驚きますから!
「うっせえな、溜まってるんだよ!」
何を言わせやがる。
確かにこいつと違って俺には誰だっていいとか思わないから……自慰だってろくにできず我慢を重ねているんだ。
まあ、精神的には俺の方が健全ですがな。
ヅラだって別に男好きの女嫌いというわけでもないだろうが、それ以上に外見に似合わずに性欲が強かっただけだ。
「惚れた、相手な……」
伏していたヅラの髪が持ち上がる様を俺は見ていた。
「抜いてやる」
「………はあ?」
「抜いてやると言っているんだ。大人しくしろ」
狼狽える俺は、ヅラの足払いによってあえなく腰をついた。衝撃にうっかり上をとられた。
てか、何? 何、何ですか?
俺達って幼なじみだけど、そんなことする仲じゃないでしょ!
ヅラの細い指先が俺の浴衣の中に滑り込む……。
こんな女みたいに細い指で剣を握っている、軽い身のこなしで敵の背後に回り込む……誰よりも早く立ち回れる機動力、それは戦場では見慣れた姿なのだが。
「銀時」
真っ赤な唇が俺の名前を呼んだのが……。
「おい、ヅラ!」
「桂だと言っている」
まずいってわかってるんだけど……。
まずいさ、何、俺の股間は興奮してるんだ?
これはヅラだ、これはヅラだ!
恐慌状態の頭の中ではうまいこと考えが纏まらない。
「銀時……」
尻をついた俺に、桂はゆっくりのしかかって来やがる。
顔が、近づく……やべえわ、コイツ……。
俺が今まで惚れたどんな女よりも綺麗だ。そんなこと今に始まったことじゃねえのはわかってるんだ。
黒い瞳が、潤んで、赤く小さな唇は柔らかそうに湿り気を帯びていた……。
俺の動きを封じるように馬乗りになった桂は、艶然と微笑む。俺が見たことのない笑顔だった。
あー、みんな騙されるのがわかる気がする。喋らなければ普通に美人だし、そりゃ男も女も落ちるわ。それでいて、誰にも負けない強さ。
「……っ」
俺のを直に握る桂の手は、ゆるゆると動き出して……。
最近してなかったから……。
溜まってるにしても、これは想像以上にマズイ。マズイって! しかも触られる前から、桂見て勃ってた事がバレた。
俺がヅラをそういう対象に見てるって、そう思われちまいそうで……いや、これは最近溜まってる俺のせいだけじゃねえ、コイツの外見は損してんだか得してんだか……! 俺の知らねえとこで、なに色気習得してんだよ。
このままヅラの手に出しちまうんじゃねえか?
俺達は、そんな関係じゃねえ。
ずっと一緒にいた、腐れ縁だ、ただそれだけだ。
コイツがそこらの女なんか目じゃないほどのおっかないくらい美人だとか、見た目の清潔感とは裏腹に性欲ばりばりだとか……そんなことは前から知ってたんだ。
昔から頻繁に相手は変わっていたが、一人に絞っていたはずだったんだけどな……。ヅラはいつの間にこうなっちまったんだろう。
俺との関係まで壊す気か?
俺をてめえのその他大勢にするつもりかよ!
「やめろって!」
俺は、桂の横っ面をひっぱたいた。
衝撃で、桂の髪が横に靡いた。
握られていたから、爪が引っ掛かって、マジで痛かったが……。
桂が、目を丸くして俺を凝視していた。
ガキの頃から殴り合いの喧嘩をすることはしばしばだったが、未だに意見の食い違いで血の気の多いヅラと殴り合うことも時々はあったが……。
ひっぱたいたのは、初めてだった。
ヅラの瞳が潤み出す。
何?
泣くの? え? 俺が悪いの?
なに、この後味の悪さと罪悪感。
俺は、桂の涙を見るのは何年ぶりだろう。
一度しか、ないけど。
涙が……溢れた、と
思った瞬間に、ヅラは顔を伏せた。
泣き顔を見られたくねえんだろう。
どんな事があっても、何があっても、繊細そうなふりしつつ、こいつは泣かない。見た目に似合わず案外図太い神経を持っている。
俺も気まずさに顔を背けた。
あー、泣いてる奴の慰め方なんざ知らねえよ。
どうしていいのかわかんねえから、とりあえず髪に触った。別にこの行為を拒絶はしたけど、お前のこと嫌ったわけじゃねえよ。
俺は、性格とか腐れ縁とか性格とか一切を加味した上で、こいつの髪だけは無条件に好きだった。
昔から、この髪に触るのは好きだった。ガキの頃よく引っ張って喧嘩していた。てめえの髪に触りたいだけだなんて言えたもんじゃねえが。触りたかったから、引っ張って喧嘩を売っているふりをした。
俺が、無条件好きなこいつの髪を掻き上げる、手にさらりと……
「あのさー、本当、こーゆーことは惚れてる奴としなさいね」
何で俺がこんなこと説教たれなきゃなんねえんだよ!
そう、言うと桂は、肩を振るわせた。
小刻みに、肩が揺れた。
「おい、ヅラ!」
本格的に泣かせたのかと思った………。
「銀時、今更か? それに、惚れてるぞ……相手は」
顔を上げた桂は………笑っていやがった。
俺はてめえの事を想ってやって……!
てか、相手がてめえに惚れてるとかそんな理由で……とか……
言い返そうとした口が、脱力で開いたまんま閉じない。
呆れてものも言えない……
何なの、こいつ。
肩を振るわせて笑っているヅラの振動が、俺の足を通じて伝わる。
「一理あるな。惚れた相手とすると心底気持ちが良いと聞く……」
涙は、乾いていた。
泣かせたかと思ったのは、錯覚だったとしか思えないような……きっと錯覚だったんだ。
こいつが泣くわけなんかない。
「てめえ……」
「銀時……」
「あ?」
「お前としたら、さぞかし気持ちが良いのだろうな」
すと、手が、さっきまで俺のを握っていた指先が、俺の頬に添えられた。
身体が、硬直した。
何、言ってるんだよ。
ただ、俺ともしたいだけ? そりゃ俺だってそれなりに立派なモノ持ってますよ?
………え?
何、それは。
「明日は早いんだ。さっさと寝ろ、銀時。それともこの部屋で寝るか? どうせ俺はこのままじゃ気持ち悪くて眠れん」
そう言いながら、さっさと居住まいを正してヅラは俺の上から立ち上がる。座布団の下から帯を引きずり出して、すぐにいつも通りの奴に戻る。
いつも通り、露出を極力避けた青白いまでに白い、清潔そうな……背筋が伸びたいつものヅラ。
こいつなら、俺は知っている。
「……いや、いい」
ヅラを他の奴らに混ぜて寝かせるわけにはいかねえから。戦力減らしてる場合じゃねえから。また、ムラムラした誰かがヅラを襲って、夜中に乱闘している場合じゃねえから。
しかも、こいつ寝相良くねえし。男の脚見たって普通萎えるだけなんだけど、ついてる顔が半端じゃねえし、体格もここにいる奴らよりも細身だから。
馬鹿共が錯覚起こす。
………俺は、ヅラの言葉を考えないようにした。
明日も、きっと厳しい戦いを強いられるはずだ。
070911
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