潜行任務 前











 美人、だよな……。

 うっかりため息が漏れ出してしまうほどだ。

 目の前で落ちてきた髪を耳にかける姿さえ様になる。さらりと涼しげな音が聞こえてきそうだ。
 うっかり任務を忘れてみとれてしまうかと思った。いや、実際、完璧に見惚れてたんだけど。
 桂の手配書が頻繁に剥がされる事件があるが、攘夷派の連中以外の桂のファンの仕業だった。馬鹿な市民も居るもんだって思ってたけど、確かにこんな綺麗な人じゃファンになったりするかもしれない。下手にテレビに出る人なんかよりもずっと綺麗だ。


「どうした? 食わんのか? そんな事では痩せてしまうぞ?」


 貴方ほどじゃないです……。

 って、ツッコんでいいでしょうか、桂さん。

 今まで敵としてしか見たこと無くて、あまりにも不敵で尊大な態度だったから、こんなに華奢で綺麗な人だなんて思わなかった。

 追いかけてもすぐに屋根の上に逃げてしまうから、基本的に俺達は見下ろされてる。まあ、身長は俺よりもちょっと高いようだから、普通に立ってても見下ろされるのは仕方ないけど。でも、腕とか俺より細いんじゃないのか? 手首とか……?

「どうした? 新入り」

「ああ、いえ、頂きます」

「俺の奢りだ。たくさん食うといい」

 桂は、俺が箸を取ると、とても満足そうな笑顔を浮かべた。

 ごちそうさまです、盛り蕎麦……たくさん食えと言われても、たかだか480円ですがね。この値段で恩を着せようとしてんのだろうか。このくらいで恩を売れるなら、今俺は貴方にこれを五十杯くらいは奢れるくらいの持ち合わせはありますが……。


 にしても……美人、だよなあ。あまりじろじろ見ないようにしようと思っても、つい視線が桂に向いてしまう。

 体臭なんかないのに、ふんわりとした花の蜜のような甘くて涼しげないい匂いがするような気がする……とか、幻覚もとい幻臭を嗅いだ気がした。


 ……うちの暑苦しい局長とは、ワケが違う!
 鬼のような副長とはちがう!
 人をオモチャか何かと勘違いしているような一番隊隊長とも違う。


 真面目だし、美人だし、厳しいけど自分にも厳しくて、真っ直ぐで……。ちょっと会話が噛み合わない時はあるけど、基本的には優しいし。


「だけど、なんでこの恰好なんですか?」

 なんで、女装なんですか!
 しかもなんで僕まで!

 そりゃアナタは絶世の美女になりすましてますが、そりゃ僕が町で会っても気付かないくらいの美女ですが。

「情報収集だ。攘夷志士たるもの、いつなん時真選組に鉢合わせるかわからん」

 いや、確かに! 気付かないかもしれないけど!
 いや、この美人か桂だなんて思わないだろう。だって、完璧な滅多にお目にかかれないようなただの美女だ!

 だけどこの恰好でって、余計に目立つじゃないですか! 普段の姿だって馬鹿みたいに綺麗なのに、女装なんてしたら目立つじゃないですか! 確かに、桂の変装には違和感は微塵もないけど、振り返らない人の方が少なくなるくらいまで気合い入れて変装しなくても……。っ言っても、口紅つけたぐらいだったのに、さっき蕎麦食べたから綺麗になくなって、いつも通りのすっぴんにも拘らず、女物の服を着ているだけで、どう見ても、ただの美女だから、不思議だ。

 俺なんて女に見えるようにする為に昨日一晩勉強を重ねた。マスカラの二重付けがいいようだ。アイラインは太めに引くと目を大きく見せられるコツのようだが、目を閉じるとファラオのようになってしまう。が、なんとか女に見える……と思う。


 何とか攘夷志士試験に受かり、桂の部下として潜入捜査することが出来るようになった。
 数日は慣れる為、と、桂が付きっ切りで俺と行動した。

 で、今日は桂にジョソウをしてこの蕎麦屋まで来いと言われて、どこの草むしりをすればいいのかと思った。女装ね……除草じゃなくて。

 指定された蕎麦屋……っても川縁の屋台だけど……に、来た時に矢鱈と美女がいるとは思っても、不覚にも桂だとは気づけなかった。
 声をかけられて、ようやく桂だと気付いたくらいの美女……なのに、化粧もろくにしていない。服が女物ってだけで、こんなにも美女になる桂は、やっぱりどこか化け物なんだと思う。



「新入り、なかなか可愛いな」

「あ……有り難う御座います」


 そりゃ、貴方の足元にも及びませんがね。こんな美女が隣に居てテンション上がるどころか緊張する。いや、男として、こんな美人が隣に居たら、そりゃ嬉しいけど……桂だし。一応、潜入操作中だし。


「なかなか女の格好が似合う奴が居なくて困っていた」

「ああ、まあ……」

 何故か桂の配下は厳ついオッサン達ばかりだ。前から歩いてきたら反射的に道を譲りたくなるような屈強な男達が、何故かこんな細くて女みたいな桂に頭が上がらない。どこかのアイドルのような祭り上げられ方をしているのだろうと勝手に思っていたが、オッサン達は崇拝に近い感覚で桂に絶対服従だった。

 この、綺麗な男に何があるんだ?


 何よりも、解らないのが、桂はいつもどこから天人の情報を入手しているのだろうか。
 この前、一斉検挙に乗り込んだ攘夷浪士達のアジトはもぬけの殻だった。強硬派の天人へ、妙な圧力もかけているようだ。俺達の情報が漏れてるぐらいに、桂の行動は的確だった。


 そんな桂の情報源を調べるのが副長直々の今回の僕の任務だ。

 気を引き閉めてかからないと。

 桂は、やはり得体が知れない。



「ああ、ほら、情報源が来るぞ」

「え?」

 って、もうっ?! こんな簡単に攘夷に入ったばかりの僕を信用するのか? 大丈夫か、この人!


 だけど、つまりそれって桂から信頼されてるってことだから、ちょっと嬉しいような気がするけど、敵に信頼されても……いや、それよりも、この仕事は終わってしまうのかと思うとちょっと寂しいような……いや、任務だ。


 桂がふと顔を向けた方を見ると……。

「っ……!」


 …………副長!

 まさかの副長が、こっちへ向かってきた。いや、まずいって。まずいから!



 いや、副長が指示した作戦だ。まずいっていうか、副長が桂を前にちゃんと素通りしてくれるのか! 気付かないでくれるならそれでいいけど、そうもいかないだろう。桂はどう見ても美女だけど、顔は桂のままだ。副長は俺達真選組の頭脳だ。沖田隊長もだけど、副長も桂を捕まえる為に真剣なんだ。気付かないはずがない……と、思う。いやどうだろう。俺は桂だとたぶん気付けないから、もしかしたら副長も騙されるかもしれない。

 だけど、今俺がここで任務中!

 今桂を発見していつもの追跡が始まったら、今から来るらしい情報源を探る任務が……!

 頼むから俺に気が付いて、桂に気が付かないふりをして下さい副長!! 今から桂の情報源が来るんです!

 てか、俺だって気づくのか! かなり気合入れて化粧したぞ? 気づいてくれたなら、この似合ってもいない女装を見られる恥ずかしさもあるけど、俺がここに居るって事はこれが桂だと解るのは簡単だろう。だから今俺が任務中だって気付いてくれるはずだ。なんてったって副長だからな。

 そしたら、素通りしてくれるか? いや、副長が演技なんて出来るのか? 桂がここに居るのに、素通りなんてこの男に出来んのか?

 もしかしたら、副長は俺に気付かないで、桂にも気付かないで素通りする可能性もある……いまは、それを願うばかりだ……けど、どんどんこっちへ向かってくるし!




「ああ、ヅラ子さん! 奇遇だな」


 って……しかも、副長! 何で桂に話しかけたりしてんですかっ!
 アンタら顔見知りですか! いや、顔見知りには違いないけど!

 しかも、これ、桂!
 つまり副長はこれが桂だって気付いてないのか!?

 なにそのヅラ子って語呂悪っ!

 しかも何その笑顔! 気持ち悪っ!




 いや、まあ、でも、副長が桂に気が付いてないって事は、俺もここで大人しくしていれば、もしかしたら副長も俺に気が付かず、そのまま任務を続行できるかもしれない。









20110222