きっと、怖かったんだ。
黒崎には、黒崎だけには知られたくなかった。
こんな事……黒崎に僕の弱味を見せてしまうような気がしたし、それ以上に……
軽蔑……とも違う。人間外の、僕を奇異な目で見る黒崎を見たくなかった。
黒崎に、知られて、黒崎が僕に対しての評価を変えられたくなかった。突き放した同情も哀れみを込めた軽蔑も、怖かった。
そんな目で見られたら、僕は……きっと、すごく嫌だと思う。何よりもそれが一番嫌だ。
それなのに、黒崎はいつも通りで……。
黒崎は、僕が甘いものが苦手だとか、珈琲より紅茶が好きだとか、きっとそんなどうでもいい事の方が驚くんじゃないだろうか。
興味深げに訊いて来る黒崎に……なんか……どうでもよくなった。
必死に我慢してたのに……いや、我慢する必要はあっただろうし、これからも必要だ。
今後、二度と血液を僕にくれることなんか無いはずだから……。
「別に、普段は何も変わらないよ。ただ満月になると、喉が渇いて、血が甘く匂うんだ」
満月になると、ひどく喉が渇く。そして黒崎の血が、僕にとって極上の飲み物になる。
「お前が保健室に居たのって、そんな理由?」
だって、君の匂いが強すぎるんだ。
君に会うまで、何となく満月は喉が乾く気がしていたくらいだったのに。高校に入って、黒崎の存在に気が付いて……そうしたら、もう、駄目になった。
黒崎が居なかったら、父が言った話を軽く聞き流して終われたんだ。きっと思い出すこともなかったと思う。
そう言えば、家で滅多に会うことの無かった父は、満月の日ばかり早く帰宅し、やたらと酒を飲んでいたような気がする。
同じ空気を吸いたくないから、父が帰って来ると僕はこっそり家を抜け出して、散歩に出かける事が度々あったけれど……確かに満月の夜が多かった。
「じゃあ、他の奴等に迷惑かかんねえように、俺の血にしとけよ。な」
「………黒崎?」
君の以外、別に大して欲しくならない。
君以外の血が甘い匂いなんかしてない。
欲しいのは君だけなんだ。
……そう言えば、なんで黒崎だけなんだろう。
「俺なら血の気多いから、少しくらいなら大丈夫だし」
「そうだね」
黒崎なら、いつも戦いであんなに血を流すんだ。少しくらい僕が貰っても溢れてる。霊体の時だけど、それでも身体にも反映されるみたいで、黒崎の手の平は刀を握る手でゴツゴツしているのを知っている。
「お前さ、少しは否定しろよ。献血してやろうってんだから」
黒崎がぐしゃぐしゃと僕の頭を撫でた。僕は不機嫌になった振りをして、顔をしかめた。
振り払うために、身体を起こした。
不思議と、身体が軽い。
全身に力が溢れているような気がした。今なら、どんな虚も、何千体の虚も、一瞬で滅却出来そうな気がした。そのくらい……。
「黒崎」
「あ?」
「もう、大丈夫だ。寝たらすっきりしたよ」
「なら、いいけど。もし血が足りないってんだったら、俺のなら……」
「もう大丈夫だ」
もう、大丈夫。
むしろいつもよりも体調がいい。さっき、黒崎の血を口にしたからだろうか。
「黒崎、言って無かったけど、吸血鬼と言っても昔の、本当に祖先の話で、僕が我慢して満月を乗りきれば、死ぬわけじゃないんだ。ただ、すごく喉が乾くだけで……だから」
喉が……というよりは、身体中全部が乾いていくような、そんな気がする。カラカラになって、ひび割れて、砂になってしまうような、酷い渇きが僕を強襲するんだ。でも、それだけなんだ。
僕が我慢をすればいいだけだ。君が僕に献血をする必要なんてないんだよ?
「だから、君が嫌ならそんな事しなくても……」
「ばーか」
黒崎がベッドに腰をかけた。
そうすると、黒崎の視線が同じ高さになる。
黒崎から、甘い匂いはしていたけど……もう乾いて居なかったから、大丈夫だった。
それよりも……黒崎の瞳が柔らかいブラウンをしている事に気が付いた。
黒崎の目は、こんな優しい色をしていたんだ……。
目線を合わせた、黒崎の笑顔も、見たことが無いくらい、柔らかいものだった。
「死なないって解ってたって、具合悪くなってるお前を放っておけねえよ。辛いんだろ?」
……辛い。
乾いて辛い。
どうにかなってしまいそうな気がするくらい、黒崎の血が欲しくて仕方がなくなる……けど。
それでも、我慢すればいいんだ。
黒崎に迷惑かけたいわけじゃない。
「………なんだ、それこそ馬鹿じゃないか。放って置けば大丈夫だって言ってるだろ?」
「だって毎月だろ? 毎月は無理かもしんねえけど、たまには協力してやるよ」
「お人好しが過ぎると、偽善者だと思われるぞ」
「そんな事ばっか言ってると協力してやんねえぞ」
黒崎は、いつも通りだった。いつもと何も変わらなかった。心が読めるわけじゃないから、やっぱり少しは驚いているかもしれないけど、霊圧には何の乱れもなかった。
黒崎は、また、僕に血をくれると言った。
……また、あの味を、僕は口にすることができる。
あの興奮を、僕はもう知ってしまった。
「本当に……良いのか?」
「ああ。だから、俺だけにしとけよ」
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20111009
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