【Full Moon 】 07










 きっと、怖かったんだ。
 黒崎には、黒崎だけには知られたくなかった。

 こんな事……黒崎に僕の弱味を見せてしまうような気がしたし、それ以上に……

 軽蔑……とも違う。人間外の、僕を奇異な目で見る黒崎を見たくなかった。

 黒崎に、知られて、黒崎が僕に対しての評価を変えられたくなかった。突き放した同情も哀れみを込めた軽蔑も、怖かった。

 そんな目で見られたら、僕は……きっと、すごく嫌だと思う。何よりもそれが一番嫌だ。




 それなのに、黒崎はいつも通りで……。
 黒崎は、僕が甘いものが苦手だとか、珈琲より紅茶が好きだとか、きっとそんなどうでもいい事の方が驚くんじゃないだろうか。

 興味深げに訊いて来る黒崎に……なんか……どうでもよくなった。
 必死に我慢してたのに……いや、我慢する必要はあっただろうし、これからも必要だ。

 今後、二度と血液を僕にくれることなんか無いはずだから……。




「別に、普段は何も変わらないよ。ただ満月になると、喉が渇いて、血が甘く匂うんだ」
 満月になると、ひどく喉が渇く。そして黒崎の血が、僕にとって極上の飲み物になる。

「お前が保健室に居たのって、そんな理由?」
 
 だって、君の匂いが強すぎるんだ。
 君に会うまで、何となく満月は喉が乾く気がしていたくらいだったのに。高校に入って、黒崎の存在に気が付いて……そうしたら、もう、駄目になった。
 黒崎が居なかったら、父が言った話を軽く聞き流して終われたんだ。きっと思い出すこともなかったと思う。

 そう言えば、家で滅多に会うことの無かった父は、満月の日ばかり早く帰宅し、やたらと酒を飲んでいたような気がする。
 同じ空気を吸いたくないから、父が帰って来ると僕はこっそり家を抜け出して、散歩に出かける事が度々あったけれど……確かに満月の夜が多かった。




「じゃあ、他の奴等に迷惑かかんねえように、俺の血にしとけよ。な」

「………黒崎?」


 君の以外、別に大して欲しくならない。
 君以外の血が甘い匂いなんかしてない。


 欲しいのは君だけなんだ。



 ……そう言えば、なんで黒崎だけなんだろう。




「俺なら血の気多いから、少しくらいなら大丈夫だし」

「そうだね」

 黒崎なら、いつも戦いであんなに血を流すんだ。少しくらい僕が貰っても溢れてる。霊体の時だけど、それでも身体にも反映されるみたいで、黒崎の手の平は刀を握る手でゴツゴツしているのを知っている。


「お前さ、少しは否定しろよ。献血してやろうってんだから」

 黒崎がぐしゃぐしゃと僕の頭を撫でた。僕は不機嫌になった振りをして、顔をしかめた。
 振り払うために、身体を起こした。

 不思議と、身体が軽い。

 全身に力が溢れているような気がした。今なら、どんな虚も、何千体の虚も、一瞬で滅却出来そうな気がした。そのくらい……。



「黒崎」
「あ?」

「もう、大丈夫だ。寝たらすっきりしたよ」
「なら、いいけど。もし血が足りないってんだったら、俺のなら……」
「もう大丈夫だ」

 もう、大丈夫。
 むしろいつもよりも体調がいい。さっき、黒崎の血を口にしたからだろうか。

「黒崎、言って無かったけど、吸血鬼と言っても昔の、本当に祖先の話で、僕が我慢して満月を乗りきれば、死ぬわけじゃないんだ。ただ、すごく喉が乾くだけで……だから」

 喉が……というよりは、身体中全部が乾いていくような、そんな気がする。カラカラになって、ひび割れて、砂になってしまうような、酷い渇きが僕を強襲するんだ。でも、それだけなんだ。
 僕が我慢をすればいいだけだ。君が僕に献血をする必要なんてないんだよ?


「だから、君が嫌ならそんな事しなくても……」

「ばーか」



 黒崎がベッドに腰をかけた。
 そうすると、黒崎の視線が同じ高さになる。

 黒崎から、甘い匂いはしていたけど……もう乾いて居なかったから、大丈夫だった。

 それよりも……黒崎の瞳が柔らかいブラウンをしている事に気が付いた。

 黒崎の目は、こんな優しい色をしていたんだ……。

 目線を合わせた、黒崎の笑顔も、見たことが無いくらい、柔らかいものだった。



「死なないって解ってたって、具合悪くなってるお前を放っておけねえよ。辛いんだろ?」

 ……辛い。
 乾いて辛い。
 どうにかなってしまいそうな気がするくらい、黒崎の血が欲しくて仕方がなくなる……けど。

 それでも、我慢すればいいんだ。


 黒崎に迷惑かけたいわけじゃない。



「………なんだ、それこそ馬鹿じゃないか。放って置けば大丈夫だって言ってるだろ?」
「だって毎月だろ? 毎月は無理かもしんねえけど、たまには協力してやるよ」

「お人好しが過ぎると、偽善者だと思われるぞ」
「そんな事ばっか言ってると協力してやんねえぞ」

 黒崎は、いつも通りだった。いつもと何も変わらなかった。心が読めるわけじゃないから、やっぱり少しは驚いているかもしれないけど、霊圧には何の乱れもなかった。

 黒崎は、また、僕に血をくれると言った。



 ……また、あの味を、僕は口にすることができる。



 あの興奮を、僕はもう知ってしまった。




「本当に……良いのか?」







「ああ。だから、俺だけにしとけよ」









20111009