「……あ」
荷物をまとめて、帰ろうとした時に、間の抜けた声が聞こえた。声の聞こえた方に向くと、黒崎が目を開いていた……起きたんだ。黒崎が目覚める前に教室を出ようと思ったのに……もともと、そのつもりだった。気がつけば話しかけられると思ったから、起こさないように……さっきに戻っただけ。
大丈夫、何もなかった。そう、自分に言い聞かせる。
気付かれるはずなんてない。
そんな事が、起こるはずがない……大丈夫。あれは、黒崎じゃなかった。
もし、今のことを黒崎が知っていたら?
あれは、黒崎じゃなかった。彼は黒崎と同じものだけれど、決して黒崎じゃなかった。でも……万が一にでも、今の光景が黒崎も見ていたとしたら……と、冷や汗が出たが。
ぼんやりとした顔つきは、如何にも寝起き然としていて、嫌悪すら覚えるほどの間の抜けた顔。
君は、何も知らないんだね……知られたくもないけど。知らないなら、それがいい。
黒崎だけには、知られたくない。
「……」
僕は、声をかける義理も必要性も無かったので、側を通りすぎようとした。
「………石田?」
案の定、黒崎は用も無いのに僕に話しかけてきた。
「……寝てれば良かったのに」
僕が帰るまで気付かなければ良かったのに。気付いていても、大した用も無いなら話しかけてこなくていいのに。
「うわ、もう五時過ぎてんだ。俺、寝てた」
「見ればわかるよ」
早く、帰ろう。
気付かれないうちに、早く帰ろう。
今は姿勢を正していることすら、辛い。
真っ直ぐに歩くのは、とても困難だ。身体が辛い。腰も痛い。疲労もだけれど、今の僕には世界を正視することが辛い。
だから早く、黒崎の側から去りたい。黒崎のまだ少し眠気の残る声は、日常の中に存在する。僕は、今そこに居たくない。
「石田、帰るのか?」
「……そうだけど」
「部活だったの?」
「……そうだよ」
「待てよ。俺も帰るから」
「………君は君で勝手に帰れよ。僕が君を待っている義理なんかない」
「じゃ、行くか?」
「……………」
黒崎は、本当に嫌いだ。人の話なんか、始めっから聞く気ないじゃないか。質問を投げかけて、人の話を訊かずに、結局自分の意志だけで行動する。
無断で人の家に上がり込むような不躾な真似をしている事に、気付いていないのか?
僕が君を見るのも嫌なくらい、嫌いなのを解ってないのか?
「って石田……」
「何だよ」
「お前、血………」
「血?」
血……さっきの…………。
………僕は、慌てて、手で後ろを隠した。
見られない部分は、何もしなかった。タオルも持ってなかったし……だから、血が止まってない事にも気付かなかった。痛みが引かないとしか考えてなかった……。
なんて、ことだ……黒崎に……見られた。
「石田、お前……」
黒崎が、動揺して。いた。
それ以上に、僕が動揺している。見られた。
黒崎に……。
何で、うちの学校の制服の色は一般的な濃紺や黒じゃないんだろう。特に気にした事もないけれど、初めて僕は自分が今着ている制服が嫌いになった。
「石田………」
僕は、走り出した。
「おい、石田!」
黒崎の声を振り切るように、僕は、逃げ出した。
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20110216 |