白亜の闇 09










「……あ」

 荷物をまとめて、帰ろうとした時に、間の抜けた声が聞こえた。声の聞こえた方に向くと、黒崎が目を開いていた……起きたんだ。黒崎が目覚める前に教室を出ようと思ったのに……もともと、そのつもりだった。気がつけば話しかけられると思ったから、起こさないように……さっきに戻っただけ。
 大丈夫、何もなかった。そう、自分に言い聞かせる。
 気付かれるはずなんてない。

 そんな事が、起こるはずがない……大丈夫。あれは、黒崎じゃなかった。


 もし、今のことを黒崎が知っていたら?

 あれは、黒崎じゃなかった。彼は黒崎と同じものだけれど、決して黒崎じゃなかった。でも……万が一にでも、今の光景が黒崎も見ていたとしたら……と、冷や汗が出たが。


 ぼんやりとした顔つきは、如何にも寝起き然としていて、嫌悪すら覚えるほどの間の抜けた顔。

 君は、何も知らないんだね……知られたくもないけど。知らないなら、それがいい。


 黒崎だけには、知られたくない。






「……」

 僕は、声をかける義理も必要性も無かったので、側を通りすぎようとした。


「………石田?」

 案の定、黒崎は用も無いのに僕に話しかけてきた。

「……寝てれば良かったのに」

 僕が帰るまで気付かなければ良かったのに。気付いていても、大した用も無いなら話しかけてこなくていいのに。


「うわ、もう五時過ぎてんだ。俺、寝てた」
「見ればわかるよ」


 早く、帰ろう。


 気付かれないうちに、早く帰ろう。


 今は姿勢を正していることすら、辛い。

 真っ直ぐに歩くのは、とても困難だ。身体が辛い。腰も痛い。疲労もだけれど、今の僕には世界を正視することが辛い。

 だから早く、黒崎の側から去りたい。黒崎のまだ少し眠気の残る声は、日常の中に存在する。僕は、今そこに居たくない。


「石田、帰るのか?」
「……そうだけど」

「部活だったの?」
「……そうだよ」

「待てよ。俺も帰るから」
「………君は君で勝手に帰れよ。僕が君を待っている義理なんかない」

「じゃ、行くか?」

「……………」



 黒崎は、本当に嫌いだ。人の話なんか、始めっから聞く気ないじゃないか。質問を投げかけて、人の話を訊かずに、結局自分の意志だけで行動する。

 無断で人の家に上がり込むような不躾な真似をしている事に、気付いていないのか?

 僕が君を見るのも嫌なくらい、嫌いなのを解ってないのか?



「って石田……」
「何だよ」





「お前、血………」

「血?」


 血……さっきの…………。


 ………僕は、慌てて、手で後ろを隠した。

 見られない部分は、何もしなかった。タオルも持ってなかったし……だから、血が止まってない事にも気付かなかった。痛みが引かないとしか考えてなかった……。

 なんて、ことだ……黒崎に……見られた。



「石田、お前……」


 黒崎が、動揺して。いた。

 それ以上に、僕が動揺している。見られた。

 黒崎に……。

 何で、うちの学校の制服の色は一般的な濃紺や黒じゃないんだろう。特に気にした事もないけれど、初めて僕は自分が今着ている制服が嫌いになった。


「石田………」





 僕は、走り出した。


「おい、石田!」


 黒崎の声を振り切るように、僕は、逃げ出した。













20110216