きっとここを出て行く 02
彼は毎日毎朝ここを出て夕方に帰る
本当は僕といる時間なんてほとんど、ない
彼がいなくなるだけで、部屋の天井は高くなり、壁は遠くにそびえる
彼の気配を感じないだけで、僕が半分くらいになったよう
いつも
その間はなにも考えない
僕がどこにいてここが何であるかすら考えない
ただ彼が帰ってくるまで
機能を停止する
ねえ、早く帰ってきてよ
隔離された空間の窓は高い場所に一つだけだった
窓というよりも空を描いた絵画のようだった
僕にとってその空は現実のものではない
何もない
欲しいものは全て手に入る
喉が乾けば水もある
望めば紅茶だって飲める
暑くも寒くもない
ただ、何もない
カレンダーも時計すらない
ここは時間がないんだ
彼が僕の元に帰ってくるまでは僕の中の時計だって止まっている
動いていない
空気が個体になったように僕は、立方体の中で彼の帰りを待って膝を抱える
ここがどこかすらわからない
どこでもいい
待っていれば帰ってきてくれるんだったら
どこだっていいんだ
僕はソファの上で膝を抱える
僕は僕を必要としていない
僕が必要としているのは彼の存在だけで、彼が僕を必要としてくれているかぎり、僕は無闇に死ぬことはできない
何もする事がないから、何もしたくならないから、僕は毎日前に会った彼のことを思い出す
抱き合って、服を脱がせあって、抱き締め合って、素肌の感触を確かめあう
触れ合っていれば、それだけで心地好い
一つになることもあれば、ただ触れ合っているだけのこともある
抱き合って……本当はこの時を止めたいんだ
時を止めることが叶わないなら、このまま死んでしまいたい
彼に触れている時だけが気持ち良い
他は要らない
煩わしい
思い出すだけでも吐き気がするほどに
彼となら素肌を交える汚ならしい行為も至福に変わるんだ
彼でなければならない
彼とでなければならないんだ
彼が僕の存在を認識させてくれる唯一の手がかりだから
部屋が赤く染まる
世界の時間は夕暮れ時なのだろう
窓から見えるのは空と森だけだから
ここがどこなのかわからない
わかりたくもない、実際どこでもいい
ああ、
今日は彼は僕の元へとやってきてくれるのだろうか……
ここに帰ってくるのかもしれない
ここには来ないかもしれない
それは僕にはわからない
今日はもしかしたら帰ってこないかもしれない
今日からもしかしたら僕の存在を忘れてしまうかもしれない
彼がここ以外で何をしているのかは知らないし、知らなくていい
知りたくない
彼が僕の隣以外で生きている時間に嫉妬してしまうから
彼が僕を見てくれていることだけを必要としているんだ
それだけでいい
早く
帰ってきてよ
僕を一人にしないで
不安なんだ
何もなくなった僕にはもう彼だけしか残されていない
一人で待つこの時間は苦しい
この苦しみを感じたくないために僕はソファの上で想い出と一緒にじっとしている
僕は彼といる時間だけが全てで
その時だけ僕は僕を僕と認識できる
ここに世界があると理解する
そろそろ、時間だよ?
僕がじっと見つめる先には
いつも彼がこの部屋にやってくる黒い扉
ゆっくりと開いた
080312
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