12 「じゃあ、もうそろそろ遅くなるし、帰るから……」 「うん。ロン元気でね。ありがとう」 それが、最後の言葉になるだろうか……。 それでも、ここにいつまでもいるわけには行かない。 もう、帰れといわれてしまったのだから。 立ち上がって握手をした。 彼に触れるのはこれが最後だと思う。 「………じゃあ」 それだけ、言えたのはそれだけで、気の聞いた言葉一つも残せない。 ロンはドアノブに手をかけた。 それでも、もう一度彼の顔を見ておきたくて、彼の元気な姿を見ておきたくて。 「ハリー……」 ロンが、そう呼びかけた時には彼は口の中でなにやら呟いていた。 そうして……。 「ハリー?」 呼びかけは、届かなかった。 ソファの上で膝を抱えて虚ろな場所を睨んでいる親友の姿があるだけだった。 今のことが、まるで夢のように……。 「ハリー、僕の親友。 君に世界の祝福が届きますように」 来た順路で屋敷から出ると、庭に一面の花畑が広がる。 そう言えば、マルフォイは薬草を育てるのが趣味だったことをなんとなく覚えていた。 汚れることは苦手そうにしていた。学生の頃授業であまり綺麗でない物を触らなくてはいけない時など顔をしかめていたのに、時々温室で一人で泥にまみれながら何かを育てていた。矛盾しているようだけれど、花の中にいた彼はそれなりに似合っていた。 ここにある花は全部彼が育てたものだろうか。 花は相変わらず咲き乱れ、思考能力を奪うほどの香りが漂っている。夢心地になるような、現実味を失わせる。 ここにはもう来ない。 二度と。 ここは、現実ではない。 ここにいる彼らももう……。 「長かったな」 門まで続く石畳の道を歩いていると、急に横から不機嫌そうな声が聞こえた。 「………マルフォイ」 声のした方を見ると、マルフォイが抱えるほどの色とりどりの花を抱えるようにして、立っていた。 「また来るのか? 頻繁にお前が来ればハリーも触発されてすぐに正気に戻るかもしれない」 少しだけ沈んだ声だと思った。彼にも感情があることを理解している。昔はそれに気付きたくもなかった。 彼との関係を知りたくもなかった。 口先だけだとしても、ハリーに対して気を使っているのがわかる。 「……もう、来ないよ」 もう、来ない。 もし次にきたら、彼を無理矢理外に連れ出してしまいそうだ。 「そうか、だったら手紙とか魔法省伝手に送ってくれれば、年に魔法省の職員が来る時に数回届くと思うが。勿論検閲されるだろうけれど、それでもハリーが正気に戻った時に喜ぶ」 彼が何とか笑顔を作っているのが、それはロンにもわかった。顔を見られないように、花に顔を埋めるように俯いていたから。 「………君達はもう死んだ人なんだよ」 こんな場所はあるはずがないのだから。こんな風に世界と隔絶された場所は、現実ではないのだから。 だから、もういないのだ、どこにも……マルフォイも、ハリーも。 そう言うと、マルフォイは少しだけ安心したような息をついた。 彼も、安定していない。 そう、ハリーも言っていた。 ロンがここに来ることで、マルフォイにどれだけの、どのような苦痛を与えるのかはわからなかったが。 「………すまない」 謝罪は、受け取っておいた。 もしかしたら、彼もわかっているのかもしれない。 わかっていて、それでも背を向けているのかもしれない。 「ハリーは、時々正気に戻るんだよ」 ロンが背を向けようとした時に、マルフォイが口を開いた。 「ハリーは気がついていないだろうけれど、僕が寝ている時に時々正気に戻っていることを知っているんだ。僕の眠りは浅いから」 「………」 マルフォイは自嘲気味に笑った。笑いながら、その目から涙が溢れてきた。 彼の涙は見たことがないと思った。泣き真似をした事は学生の頃何度かあったように思う、けれどそのときに彼の涙は見なかった。 「僕は、それでもハリーを手放せない。ハリーをどこにも行かせたくない。ハリーは君達との所にいるのが正しいのはわかっているんだ。それでも」 「………マルフォイ」 マルフォイも、わかっているのだろう。 「もしかしたらハリーは全部わかってて、僕が死にたくないって、ハリーと一緒にいたいって言ったから、それで……」 ロンは、マルフォイの涙をその時初めて見た。 そんなものを見ることはないと思っていた。 確かに、マルフォイは少し壊れてきているのかもしれない。彼が人前で泣くことなんかはなかった。同情を引くための手段に使っていただけだった。 それでもこの涙は……このハリーのための涙は。 時間が止まっているように見えるこの場所は、もしかするとそろそろ終わりが近いのかもしれない。 「……君の思い過ごしだよ」 ロンが、溜息を吐くように口を開いた。 「…………すまない」 マルフォイも、わかっているのだろう。 わかっていて……。 マルフォイは手の甲で無造作に目を拭った。 一瞬で顔つきがロンの知っているマルフォイに戻る。 何事もなかったかのように。 「餞別だ」 マルフォイは両手に抱えられるだけの花をロンに渡した。 「何?」 「子供ができたんだろう? 女の子だってな。女性は花が好きなものなんだ」 ロンは、マルフォイからの初めての好意を受け取った。 これが、最初で最後になるかもしれない。 気が変わって次にここに来た時にはもうここは廃墟になっているかもしれない。 「ありがとう、マルフォイ」 受け取ると、彼はほんの少しだけ微笑んだ。今まで見たことがないような、透明度の高い純正な笑顔だった。一抱えもあるような花束。 それに答えるようにロンは少しだけ微笑んで、 門をくぐった。 これでロンが親友を探すことに費やす時間は、もうない。 薄ぼんやりとした、気配がなくなる。 ここに在るのに、その存在がわからなくなる。 出た瞬間、夢だったのかと……。 …………。 了 0701 |