1








 変身する術は、最近は僕の得意とするところになった。
 まだそれほど長い時間はできないけれど、補習と追試による効果ではないかと思われる。





 その日の気分はそれなりに最悪だった。
 まあ、規則正しく繰り返す日常の中で僕の気分を害するのはあの嫌味なお坊ちゃんでしかないのだが。

 いつもの如くロンがかき混ぜていた鍋が爆発した。
 でもきっと、あいつが近くに寄って来たときに、材料の中に何かを入れたんだ。特に何の用もないのに、嫌味を言いに来て……いつものことだけど、僕が微塵切りにしていた薬草の中に何かを混ぜたに違いない。
 だから、悪戯が成功したとばかりに笑うマルフォイに本当頭に来て、授業中に殴り合いになりそうになって両方とも減点。

 イライラする。

 本当にあいつは僕の邪魔をするためだけに生まれてきたのではないだろうか。
 ハーマイオニーの足を引っ張るならともかく、成績としては僕の邪魔をしても何の役にも立たないと言うのに。悔しい事に成績では上位をふらふらしているあいつに遠く及ばない。
 もちろん一緒に実験をしているハーマイオニーも多大なる迷惑を被って憤怒をむき出しにしてたけど。


 今度という今度は本気で頭に来た。
 何かの弱みを掴むしかないと思った。
 プライベートを暴き立てることは、マルフォイに関してはなんの気も咎めない。
 ちょっとした悪戯の気持ちだったけど。何か弱みでも握れたらラッキーだと思う程度の気持ちだった。
 ちょっと前なら信じられない事だが、僕はすでに大きいものから小さな物まで僕が知っている動物なら大抵何にだって変身できる。
 人は似た人物ならばできるけれど、やっぱりその人物の髪の毛や何かを手に入れないと完璧にはちょっと難しいけど。
 英雄は伊達じゃないとか、ちょっと自分に自信を持ってみたりした。魔力自体は誰よりも強いんだろう。コントロールが苦手なだけで。コツさえ掴んでしまえば、変身する時の感覚は癖になる。

 だからスリザリンの誰かが合言葉を言って入って行く時にこっそり小さいな動物に変身して扉をくぐり、皆が部屋に戻るまで待って、マルフォイの部屋に向かった。
 だいぶ前にロンとゴイルとクラッブに変身して忍び込んだことがあるから、なんとなくの地図は把握していた。

(ここだな……)

 扉の前で変身する。
 鏡がないのが残念だ。
 けっこううまく行ってると思う。

 僕は中の住人に聞こえるようにかりかりと扉を引っ掻いた。
 しずかだった。
(寝ちゃったのかな)
 もう一度、今度は力を入れて引っ掻いてみた。
「クラッブ、ゴイル! 起きろ」
 ごとごとと中から音がした。
「なんか、外で音がするんだ!」
 気のせいじゃない? と眠たげな声がしたが、マルフォイの高い声に妨げられた。
「何か見て来るくらいできないのか」
 自分で行けよ、突っ込みたい気持ちでいっぱいだったけれど、生憎僕の声帯は今人の言葉を話す事ができない。
 足音が聞こえて来て、どすどすという音だから二人のうちのどちらかだろう。
 がちゃりと問答無用に扉が開いた。
 当たったら痛いだろう! と怒鳴りたい気持ちを押さえて、僕はその隙間からするりと身体を滑り込ませた。

 扉を開けたゴイルにクラッブとその後ろに隠れるマルフォイの三人部屋のはずだ。
 クラッブもゴイルもすでに寝ていたらしくパジャマを着ていて、頭には三角帽子。まるでサーカスのピエロの様で、お茶目な面もあるようだ。
 マルフォイはまだ起きていたみたいで、ブラウスのままタイを外しボタンをいくつかラフに開けただけの格好だった。

 巨体の後ろから覗き込むように見ていたマルフォイだったが、僕の姿を見ると行きなり目を輝かせた。

「黒猫だ……」
 いきなりだ、その表情が変わったのは。
 さっきまでの小心者剥き出しで隠れていた時とは別人のように、キラキラとした目付きで僕のそばに来た。
 僕は猫に今変身している。
 知らなかった、マルフォイが猫を好きだなんて。
 ここは猫としては逃げておくべきだろうか。
 僕のすぐそばまで来ると彼はしゃがんで、僕にそっと手を差し出して来た。
 ここは猫として、匂いを嗅いでおくべきだろうか。
 とりあえず僕は猫らしい猫の行動を思い出して、差し出された手に顔を近付けて顔をこすりつけると、彼はすっと僕の身体を抱き上げた。
 「お前はどこから来たんだ?」
 僕の顔を覗き込んで、満面の笑顔を僕に向けた。
 こいつはこんな顔もできるんだ。
 そんな発見。
 マルフォイは僕の身体を持ち上げて、顔を近付けた。
 青い瞳が細められた。綺麗な色だと思った。
 マルフォイには一切の褒め言葉を使う気にはなれなかったけれども、色自体には罪はない。
 それにしても、猫が好きなのはわかったが、顔が近すぎやしないか。
 僕は抗議のために、にゃあと鳴いた。
「可愛い!」
 僕を抱き上げたまま、あろうことか僕の口にキスをした!

(………!!)

 キスだよ!
 身体が総毛立った。力が抜けてきた。
 残念ながら、僕のファーストキスであったことは一生誰にも言いたくない。
 僕は彼に高い高いされるがまま、だらりと身体を垂らしていた。
「あ、コイツ雄だ」
 彼の声にようやく我に返った。
 キスされた上によもやそれ以上の辱めを受けようとは!
 いや、猫なんだけど。
 だからと言っても僕は僕なんだし。恥ずかしい事もないが、でもやはり何やら恥ずかしい。
 ――限界だった。
 マルフォイの弱みを探しに来て人生の汚点を増やして帰るなどと、本当に誰にも言えない。

 僕は身を捩って彼の手から脱出し、ゴイルが閉めようとしていた扉に間一身を滑り込ませて外に脱出した。

 見回りにも誰にも見つからないように気をつけながら……透明マントを持ってくれば良かった……急いで自分の居場所に戻った。
 ロン達はもう寝ていた。
 僕は急いでベッドに潜り込んだ。

 最低だ最悪だ!

 僕はわめき散らしたい気持ちを押さえることがやっとだった。
 あいつにキスされたこともだしそれがファーストキスだったりしたこともだけど、その苛立ちもどこかにぶつけてしまいたいけれど、そんなことはけっこうなんとか我慢できる。ってゆうか、我慢して絶対に誰にも秘密にしなきゃいけないことだから。ばれたら憤死する。

 それよりも、唇が柔らかかったとか、僕にキスをした後のすごく嬉しそうな顔が瞼に焼き付いてしまったり、しかも相手は男で尚且つマルフォイだというのに、気持ち悪いとか思わなかったことに対して。


 ……僕は寝不足になりそうだった。





 2










 案の定、僕は寝不足になった。
 あれから布団の中で執事やら何やらを数えてみたのだが、さっぱり眠気はやって来ず、襲って来るのは睡魔以外の唇が触れた時のすごく柔らかかった感触やら笑顔やら。
 そこはやっぱり男同士なんだし、それ以上にあのマルフォイなんだし、やっぱり気持ち悪いと思っておくべきなのはわかっていたけど、どうにも忘れられない。
 気持ち悪いどころか柔らかくて気持ちが良かったなんて口が裂けても言えない。


 何故だろう。
 何も思い浮かばない。
 あいつは相変わらず性悪満開だし、近づいたと思ったら口を開くのが嫌味だし、でもあの時はすごく優しく微笑んだのは本当で。
 本当にマルフォイが何を考えているのかがさっぱりわからなくて、このままでは本気で寝不足が悪化しそうだ。

 あいつは何やら機嫌が良いし、僕は最悪だ。



 日をあまり空けずに、僕はまたマルフォイの部屋の扉を爪で引っ掻いた。
 前回よりも少し早い時間行ったからすぐに反応があった。
 カチャリと音がして、恐る恐るといった感じで薄く扉が開くと、その間からマルフォイが顔を覗かせた。
「やあ。また来てくれたんだね」
 その顔は、本当に僕が見たことないような柔らかい表情で。
 僕はその間から当たり前のように身体を滑り込ませた。
 マルフォイは扉を閉めて、僕を抱き上げると自分のベッドの上に腰を下ろしす。

 今日も彼はまだ起きていたようで、昨日と同じ姿だった。
 シャツのボタンをいくつか開けていたので、鎖骨が薄く浮いていた。
 部屋全体の照明は落とされていて、全体的には薄暗かったが、一つだけ机に明かりが灯っているから彼の机なんだろう。分厚い本とノートが開いたままになっている。
 にゃあと鳴いて彼の膝の上に立ち上がる。
「クラッブもゴイルも寝ているから静かにね」
 彼の細い足は立ち上がるのにぐらついて心許無かったが、まだ昨日のどきどきが残ってる僕としては、匂いを嗅ぐふりをして顔を近付けてみようと思った。
 だが彼はくすくすと笑いながら僕の顔を手で包み込んだ。
「お前は、すごく綺麗な黒猫だね。毛艶も良いし、瞳はグリーンでよく黒に映えるよ」
 ああ、僕は今そんな姿の猫だったか。
「頭一か所だけ茶色いんだね」
 ああ、そこまで僕が反映してしまっていたか。あま、僕だとバレるわけじゃないからいいんだけど。
「まるでハリー・ポッターみたいだ」

 一瞬心臓は止まった。
 いや、まさかバレるはずはないんだけど。
 どきどきして視線を逸らそうとしても僕の顔の向きは彼の手の中で自由にならない。少し足掻いて見たが、それを見てマルフォイは楽しそうに笑うばかりで効果がない。

「ハリー・ポッターは英雄なんだよ」
 まさか、こいつの口から僕の話題が出るなんて思ったことなんかなかった。
 まさか僕の名前が出るはずなんてないと思っていたから。
 僕は本当はマルフォイのことなんて大嫌いだし、マルフォイだって僕のことが大嫌いなんだから。まあ、僕が猫になったときのマルフォイは実はそれほど嫌いじゃないかもしれないけど。
 きっと僕の姿ならぽかんと口を開いて間抜けな姿を晒すところだった。
 しかも彼の中では英雄として認識があるらしい。
 それにしてはいつもの態度はどうなんだ? 別に英雄なんて称号は本当はどうだっていいけど、いつもの態度が英雄だと思う人間に対しての態度だろうか。鍋に不純物混ぜ込んで爆発させたりとか、嫌味を言ったりとか。そんな風になんて塵ほども思っていないくせに。
 しかもこの笑顔は一体。普段なら僕の顔を見るや否や至極不機嫌そうなのに。本当に、僕を汚いものか何かと勘違いしているんじゃないかと思うほど、マルフォイは僕を見ると顔をしかめる。
 でも今のマルフォイは、自分から僕のことを話題にして、しかもすごく機嫌が良さそうだ。
 ……よっぽど猫が好きに違いない。

「でも、ちょっと間が抜けてるけどね」

 うるさい。
 お前がいつもいつも邪魔ばかりするから、失敗するんだろう? いつもお前のせいじゃないか。
 僕は抗議の声を上げようとしたが、喉元を撫でられる。
 これは気持ちがよい。
「昨日だって魔法薬学の授業中、ちょっと邪魔して違う物をこっそり入れたら、爆発してたし」
 やっぱりお前だったのか! と怒って見ようにも、そこは気持ちがよいのでやめてくれ。
 ちょっとどころの邪魔じゃないだろう?
 あのあと片付けとかすごく大変だったんだ! 有害な煙じゃなかったけど、すごく目にしみたし。
 だんだんムカムカしてきた。
「本当なら、紫の煙が出て終るだけなのに。きっとちゃんと細かくしてなかったんだろうなあ」
 ……僕が悪かったんでしょうか。
 いや、邪魔したことには違いない。
「ほうきに乗るのもすごく早いし。僕も頑張ってるけど、全然追いつけないし」
 へぇ……
「僕は怖がりだけど、夜の森に入った時だって僕は怖くて逃げ出しちゃったけど、ポッターはしっかりしてたし」
 自覚はあるんだね。
 にこにこと、いつもは僕が嫌いだと全身から迸っているのに。
 それほど猫が好きか?

「かっこいいんだよ」

 …………。
 ……………………。
 …………………………どうしよう。
 心臓がばくばくしている。
 もし、僕の姿だったら僕は今ごろ真っ赤になっているだろう。
 ここで僕を褒めることはこいつにとってなんのメリットもないはずなのに。
 なんで?
 僕を膝の上に乗っけて、身体を丁寧に撫でて、そんな顔で微笑んで……。
 ……調子が狂う。
 どころの話ではない!
「この前もね……」
 まだ続くのか!
 もちろん、褒められるのは悪い気分はしない。
 こいつのことは大嫌いだけど、大嫌いなはずだけど、認識が変わってしまいそうだ。
 僕のこと、大嫌いなんじゃなかったのか? いつもいつもマルフォイは僕が一番気に障ることをしてくれるから。
 なんで、いつもは僕にばっかりあんな態度なんだろう……。
 顔を会わせれば僕が傷つくような事ばかりで。

「でも、嫌われてるんだ」

 すごく、悲しそうな顔だった。
 泣いてしまいそうなくらい、悲しそうな顔だった。

 だって君があんなことばかり言うからだろう? って、きっと喋る事ができても僕はきっと言えなかったと思う。
 そんな顔されたら。どっちが加害者だか解らなくなってしまうよ。
 僕は立ち上がって、悲しそうな顔をするマルフォイの頬を舐めた。
「慰めてくれてるの?」
 君のことなんか大嫌いなはずなんだけど。
 僕の頭を優しく撫でてくれた。
「ありがとう」
 そう言ってマルフォイは僕の頭に顔を近付けて、そっと唇を落とした。
 その、笑顔が焼き付いた。











3














 でも、嫌われてるんだ。





 僕は、嫌いだ。
 いつも嫌味ばっかりで、お高くとまってて
 僕は嫌いだった。
 あんな顔されたら嫌いになんかなれないよ。

 なんで、そんなに僕を傷つけたい君が、僕に嫌われると切ない顔をするの?



「良い御身分だな、ポッター」
 気がつくと僕の横にマルフォイが立ってにやにやといつもの最低な笑顔を浮かべている。
 どうやら僕の知らないうちに授業が終わっているようで、教科書を抱えたロンとハーマイオニーが僕の方を見ていた。
 時計を見ながら睡魔と格闘していたけれど、最後で記憶がない。黒板に書かれている事は全部ノートに取ってあるからまあ大丈夫だろう。
 本当に少しの時間だけどしっかり寝ていたようだ。最近本当に夜布団の中で眠れない。
 誰のせいだよ、と言えるはずがないのはわかっているから視線で攻撃してみた。
 もちろん、授業中に寝てしまっていた僕が悪いのはわかっている。
 それにしてもなんて意地の悪い笑顔なんだろう。
 昨日のマルフォイとは本当は別人なのではないだろうかとさえ思えて来る。
「君と違って友達が多いからね。毎日夜遅くまで楽しいんだ」
「本当に何様か何かなのだろうな」
「いちいち気にしてくれてありがとう」
「は?」
「ロンやハーマイオニーならともかく、なんで君がわざわざ起こしてくれるのかなーと思ってさ。悪いけど僕が寝てようと何しようと君には関係のないことじゃない?」
「お前のような不謹慎な奴は我慢がならないからな」
 なんで、いちいち気に触る言い方しかできないんだろう。
「なんだ。僕はてっきり君も僕と友達になりたくて僕に絡んできてるのかと思ったよ」
 できるだけ、嫌味を多く含んでそう言った。

 だって、そうなんじゃないの? 
 もしかしたらと思ってみたけど。
 僕のこと、好きなんでしょう?
 本当は、ただ僕と話したいだけで、でも僕が友達になることを拒否したから、だからそうやって友達じゃなくてライバルとして話してくるんでしょう?

 マルフォイはしばらくぽかんと口を開けていたが。
「よくよくおめでたい頭を持っているな。賞讃に値するよ」
 溜め息と共に吐き出した言葉は、予想外だった。
 ひどく馬鹿にしたような態度だった。
 僕のこと、好きなんじゃないの?
 そう思ったんだけど、でもどうやら違うらしい。
 まあ、本当に僕のこと好きだったりしたら絶対にこんな態度はないよな。僕の考えが浅はかでした。

「ハリー、行こう」
 ロンが僕の袖を引っ張った。
 やはり夜と昼とではこいつは別の人格なのではないだろうか。
「うん」

 やっぱりマルフォイは僕のことが嫌いで、人を傷つけて自分が優位に立ったと感じることに生き甲斐を覚える最低の人格を持っているんだ。
 そしてただの猫好きだ。
 そうとしか思えない。
 だって、今の会話でどこをどう考えたって僕のことを少しでもよく思っている部分なんて、ほんの少しもなかったから。
 ただ、猫が大好きなだけだ。本当に僕のことを嫌いなんだ。

 そう納得しかけて、もう一度マルフォイを見た。

 ………?
 
 マルフォイは後ろを向いていたが、その顔がどうなっているのかなんて全然見れなかったけれど。
 耳が真っ赤になっていた。


 そんな君を見てしまったら、もう嫌いになんかなれないよ。



















4












 君のことを嫌いになんかなれないよ。





「おまえはいつもどこにいるんだ?」
 マルフォイが僕を抱き上げて顔を覗き込んだ。
 いつもは普通に学生やってますよ。今日だって会ったでしょう。と言えない代わりににゃあと鳴く。
 僕はマルフォイのキメが細かい陶器みたいな白い頬に顔を擦り付けた。
 くすぐったいのか、マルフォイはくすくすと笑っている。
「マルフォイ、その猫、誰かのなんじゃないの?」
 かなりの割合で入り浸っているから、ゴイルがさすがに不審に思ってきたようだ。
 もう、けっこう何回も来ている。
 ただじゃれるだけの時もあれば、僕と嫌味を言い合った日なんかは少しだけ僕の愚痴を僕に聞かせたりする。それは君が悪いんじゃないかってそう思うこともあるけど、そういう時は大体僕になぜか謝る。
 僕を腕に抱いたまま、すごく上機嫌なマルフォイは僕の顔やら口やら背中やら、場所をわきまえずに何度もキスをした。
「……そういえば、そうだね」
 唇が当たる度くすぐったい気分になってしまう。
「みんなに訊いてみる」
 マルフォイは、僕を放す気なんかはちっともなさそうなのに、ちょっとつまらなそうな声で僕をぎゅって抱きしめてから立ち上がった。


 彼の肩に乗っけられたまま僕はスリザリンの談話室に向かった。
 地下にあるスリザリンは暗いイメージがあったのだが、何本もの燭台が灯り光が満ちていた。
 まだ早い時間抜け出して来たので、スリザリン生が何人も楽しげに会話していた。
「やあ、マルフォイ」
「こんばんは」
「マルフォイ、こんばんは。貴方がここにいるなんて珍しいわね」
「ああ、ちょっと」
 先輩なのだろうか、やけにマルフォイに親しげだ。
 近付いて来て、ベタベタ触ってる。
「この猫ご存知ありませんか?」
 目の前に僕を持ち上げて、上級生に見せていた。
「可愛いわね。新しく飼い始めたの? ペットは一人一匹まででしょう? 貴方のワシミミズクがヤキモチ妬くわよ」
 上級生は僕の体を撫で回した。
 あんまり僕に触らないでくれないだろうか……。
 しかも僕に触る振りをしてマルフォイの手に触っていて……。
 マルフォイも気になったのか、先輩に僕を渡そうとしていた。
 やめてくれ。
 僕は身を捻り彼女の手を抜けて絨毯の上に降りた。
 そして、マルフォイの足に自分の身体を擦り付けてみる。
 知らない場所ではなんか、不安なんだよ。
 なんとなく、知っていると知らないとじゃ安心感が違う。マルフォイは僕に危害を加えない。
 しかも彼の綺麗な顔で頬擦りされるのは気持ち良いが、こんなブス興味ない。
「いえ、僕の部屋に迷いこんできたので、誰かの猫なのではと思って……」
「でもずいぶん貴方に懐いているじゃない」
「………」
 彼の顔を見上げると、少し照れたように笑っていた。
 可愛いなんて、思ってしまった僕はどうかしてしまったのだろうか。

「珍しいな、おまえがここにいるなんて」

「あ、先輩こんばんは」
  声のした方を見ると、こいつは知っている。
 スリザリンのクィディッチのチームのキーパーだったはずだ。名前は何だっけ。あんまりよく覚えてない。
「ちょっと今度の試合について相談したいことがあるんだが……」
 そう言いながら、やつはマルフォイの肩を抱いてきやがった!
 親しげに。
 マルフォイも嫌がればいいのに、それを当たり前のように受けている。

 なんで嫌がらないんだよ。
 僕はつい、興奮して声を上げてしまった。にゃあと鳴いて、抗議すればマルフォイは抱き上げてくれると思ったのに……。
「それよりも、先輩この猫知ってますか?」
 マルフォイの視線が僕に落ちた。
「ん? 」
 その先輩もマルフォイの視線を追って僕を見る。
 僕が猫の姿でなかったら、こんなにこんな奴に触らせたりなんかしないのに。
「さあ、わからないな。別に誰かの猫が逃げたなんて話も聞かないし」
「そうですか……」
「まあ、座れよ」
「はい」
 なんで、こんな奴の言うことなんか聞くんだ。
 真向かいに座れば良いだろう?
 隣りに座る必要なんかはないんじゃないのか?
 しかも近い。
 くっつくなよ!
 しかも、マルフォイの座ってる足にさり気なく手とか置いて……。
 僕がこんな姿をしていなければこんなこと許さないのに。
 マルフォイだって困ってるじゃないか。と、思ったけど普通ににこやかに会話している。
 マルフォイは、このあからさまな態度に機嫌を崩した様子もなくされるがままにされている。

 ……そりゃ、君が良いなら良いけどさ!

 なんとなく釈然としない気持ちで、でもさすがに腿にある筋張ってごつごつした手が気になったので、僕はマルフォイの膝の上に飛び乗った。
 上級生と楽しそうに談笑しながらというのはだいぶ気に入らないが、背中を撫でてもらうのは大して気持ちがよい。
 いつも僕には嘲笑以外で笑顔なんか見せたことないのに、なんでこんなに安売りをしてるのだろう。
 背中を撫でてもらいながら、なんとなくそんなことを思った。

 気に入らないスリザリンの上級生には、じゃれつく振りをして手にしっかり爪痕をつけておいた。

























 すごく朝から気分が悪かった。

 昨日の事もあって、なんだかイライラしていた。
 しばらくマルフォイは上級生と話していた。ライバルチームが作戦を練っているのだから聞いておいた方が得策なのはもちろんわかっている。しばらく聞き耳を立てていたのだが、ちっとも作戦らしい話をせずに、ただこの上級生がマルフォイと話をしたいだけだと気付くまでにそれほど時間はかからなかった。
 僕はどんどんイライラしてきて、早々と帰った。
 
 最近頻繁に抜け出していることはロンにはバレているから、適当に言い訳をして。それがまあ適当だってばれたから、よけいに嫌な顔をされたけど、そこは放っておいてくれた優しき友情に感謝。

 ああ、イライラする。

 外を見れば中庭に今は見たくないプラチナブロンドを見つけた。
 見事な光の色で周囲に比べると一際色素が薄いから、どこにいてもよく目立つ。
 誰か僕の知らない人と普通に話している。勉強のこととかじゃなくて、普通にお喋りをしているようだった。
 しかも時々は、声を上げて笑っているようで……。

 すごくイライラした。






「本当に君はお勉強が好きなようだね、ポッター。まったく恐れ入るよ」

 たくさんの課題を抱えた僕とロンが、晴れ晴れとした顔つきのハーマイオニーにお供するように教室を出ようとした時だ。
 僕の後ろに仁王立ちになって性格の悪い彼が話しかけてきた。本当に、彼は一体どういうつもりなんだろう。
 レポートの出来が悪かった者には課題が大量に出されてしまった。
 今回のレポートは本当に難易度が高くて、僕の他にもこの授業を受けている半数近くが課題を頂戴しているのだが。
 僕の友人である勉強が趣味というか生き甲斐みたいなハーマイオニーは当然のごとく課題なんか出されなかったけれど……もし出されたとしても、嬉々として図書室に駆け込んで取り掛かるんじゃないだろうか……ロンも僕も来週の提出まで大変だ。僕と同室のみんなは全滅だ。しばらくは、夜の外出なんかはもっての外だ。ハーマイオニーも自分の勉強どころではなく、僕達や同室の子達に大人気になるだろう。
 もちろんこの目の前の金髪は何の問題もないのだろう。何だかんだ言って成績はかなり上位だから。
 マルフォイが追試やら課題やらなんて、ハーマイオニーと同様に聞いたことがなかったから。当たり前のごとく、課題なんかは持っていない。

 にやにやと、馬鹿にした笑い方。

 気に入らない。

 はっきり言って可愛くない。
 もっと屈託なく笑える事だって知ってるのに。
 さっきだって、僕の知らない誰かとは普通に喋っていたし。
 本当は僕と友達になりたいんじゃないのか?
 仲良くしてくれる奴がいるならいいじゃないか。
 君なら、僕じゃなくたってその性格の悪さを隠せば僕一人なんかでは足りないくらい人気者になれるさ、きっと。
 そう思うとまたイライラしてくる。
 昨日だって上級生にあんなに触らせたりして、気持ち悪いだろうに嫌な顔しないでさ。
 僕には嫌味ばかりで。

「あのさあ、君、本当何なの、一体」
「は?」
「僕に構ってほしいわけ? いい加減に頭に来るんだけど」
「………」
 そりゃ、わざと頭に来るような言い方してるのはわかってるけど。
「僕に構って欲しくて嫌味言ってるんだったら笑ってあげるけど、僕のことが嫌いなら、本当にいい加減にして欲しいな」
「…………」
 ふと、マルフォイが口元に手をやって黙り込んでしまった。
「僕が嫌いならわざわざ声を掛けて来なければ良いじゃないか」
 言い過ぎてしまったような罪悪感はあった。
 でも、僕に笑いかけてくれない君にすごく腹が立っていた。

 傷つけてやりたいと思った。

「………それもそうだな。それが清々していいかもしれない」
 妙にあっさりと納得をした感じで……。
 それで良いの?
 僕と友達になりたいんじゃなかったの?
「じゃあ、先に失礼する」
 律義に僕らに声を掛けて、僕達の横をすり抜けて出て行ってしまった。
 それは、今まで僕がずっと望んでいたことなのだけれど。
 すっと、胸の何かがなくなったようで。
 自分で言ったことだし、本当は望んでいたはずのことだったんだけど。
 やけに、あっさりと君は僕の言ったことを認めて。僕のことなんて嫌いなんだって。
 それでいいのに。
 マルフォイを傷つけたいのは本当なのに。なんで、こんなに。

 横を通り過ぎるときに、マルフォイの腕を掴もうとして慌てて止めた。ひきとめようと、してしまった。

 それで、横を過ぎる時に、君の横顔を見たけれど。




 今、もしかして涙目になっていなかった?






「ハリー、よく言ったわね! 気持ち良かったわ」
「これで少しはマルフォイの奴も嫌がらせして来なくなるんじゃないか?」
 ひどくテンションを上げた二人が僕の肩を叩いた。二人で今の事に関してとても楽しそうに話し合っている。
「………」
 僕はそれどころじゃなかった。
 なんだか生返事をしたような、何かを話していたような、上の空を向いていたことしか覚えてない。

 もしかして、今泣いていた?
 だって僕は本当にイライラしていたんだ。 
 君のせいで本気で腹が立っていた。
 見間違いかもしれない。
 僕が傷つけたいと思ったから、泣けばいいと思ったから。
 ただの願望かもしれない。
 でも、もし、本気で泣いていたら。

 いい気味だ。そう思った。傷つけたかったんだから。
 でも、それより、
 背筋がぞくぞくした。














「いらっしゃい」
 マルフォイは猫の僕をいつも通り笑顔で迎え入れてくれた。
 いつも通り僕を抱き上げて、ひとしきり撫でたあと、いつもはベッドの上に座るが、今日は机に向かって座った。いつも座っているなら僕を膝に乗せるのに、今日は僕を机の上に置いた。
 何か不満だ。
 いつもみたいに僕に話しかけるわけではなく、ぼんやりと黙り込んで、時々気が向いた時だけ僕の手触りを楽しんでいた。
 引き出しから一通の手紙を出した。
 彼はびりびりと端を破り中身を出すと、上から下にさっと視線を動かした。
 僕ものぞき込んだら、その途端にぐしゃぐしゃと丸めてくずかごに投げ入れた。
 一瞬だけ見たところ、どうやら家からの手紙のようで、家族を羨ましく思う僕の期待を裏切るかのような簡素なモノだった。
 二、三行で連絡事項のみ。
 そうして、彼は大きく溜め息をついた。
「うるさいなあ……」
 いつも家のことや父親のことを自慢しているからどんなファザコンかと思ったら、意外にもそうではないらしい。
 また、溜め息をついた。
 なんだか、すごく沈んでいる。
 まるで両肩に大きな岩がのしかかっているかのように沈没していた。
 先日の喧嘩が効いているのだろうか。
 確かに少し言い過ぎたと思う。 
 本当にただ単に嫌がらせが趣味と言うわけではないと言うことがわかっているし、実際僕のことだってどうやら嫌いではないらしい。
 そんなに嫌な奴じゃないことはわかったんだ。
 言い過ぎたと思った。
 ごめんね。
 あれからマルフォイは僕に何も言ってこない。失敗しても、遠くで馬鹿にしたような視線を感じたことはあるけれど、特に何にも言ってこない。嫌いだったら声をかけてこないでっていった僕の言葉に対して律儀に守ってくれているから。
 初めは、君の弱みが見つかれば良いなと思っただけで、まさかここまでの弱みが見つかるなんて思わなかったからさ。
 すごく罪悪感で、でも、なんだか少しだけ楽しい。
 人を傷つけておいて不謹慎だと思うけれども、君が僕によって笑ったり泣いたりするのが、とても嬉しい。
 どうやら、僕は本気で自分のことが好きなんだろう。マルフォイなんかに気にされても、こんなに嬉しいなんて……。

「僕はね、好きな人がいるんだよ」

 突然のマルフォイの告白に時間が止まったかと思った。

 ………。
 そうなの?

「大好きなんだ」

 もちろん彼だってお年頃なんだし、僕だって可愛い女の子に優しくされればどきどきするし、不自然な事でもない。
 まったくそんな素振りを見せた事がないけど、今まで仲良くした事がなかったから知らなくて当然だった。
 どこの誰のことだ?
 今落ち込んでいるのは、僕じゃなくて他に彼が好きなどっかの女の子によってなの?
 なんだか癪に障る。
 癪に障るどころか、この打ちのめされた気分は何だろう。
 僕がまだ特定の誰かを好きになった事がなくて、彼がなんだかそんなことになっているのが気に入らないのだろうか。

 それにしてもどこの誰だよ。

 僕がこの部屋に来るようになってから気付いた事だけど、彼はとても綺麗な顔をしている。
 今までは腹が立つばかりで顔なんてじっくり見た事なんかなかったから。
 シャワーを浴びた後なのか、いつもは撫で付けてある髪の毛はさらさらとして、絹糸の光沢を持ち、長い睫毛に縁取られたアイスグレーの瞳も冷たさを持ちながら、笑えば暖かな青空を思わせる。
 肌も白く陶器みたいで、赤い唇がよく映える。肌の薄い色素は透けそうで、嫌がらせさえ言わなければ空気にそのまま溶けてしまいそうな儚さがあって、庇護に置きたいような錯覚をしてしまう。
 それでも、家柄や育ちのせいか、背筋をぴんと伸ばした姿は威厳も持ち合わせている。
 僕や僕の友達や、スリザリンを敵視しているグリフィンドールにはとても人気はないが、それ以外では普通に喋っているところも見るから、僕達以外にはそれほど最低な性格と言うわけではなさそうだ。
 君がマルフォイじゃなくて女の子だったら、もしかしたら好きになってたかもしれない。
 そのくらいには、美人だと思った。
「でも、僕は仲良くないし」
 その性格少し隠せば、顔やら学力やら家柄やら、大丈夫なのだと思うけど。
 まあ、性格がひっかかるのかも……。
「……その人は純血じゃないし」
 ああ、いつものプライドが邪魔になって、素直になれないのか。
 ざまあみろ。
 君のその性格だったら、自分からなんて絶対告白なんか出来ないだろうね。するにしても、きっと高圧的な態度なんだろうね。うまくいくはずなんてないよ。
「それに……」
 また、目が潤んできた。
 大丈夫だよ、泣かないで。 僕は、頭を抱いて髪をやさしく梳きながら、撫でてあげたい気持ちでいっぱいになった。
 この姿じゃ無理なのに。
 せめて、彼の手の上に自分の手を重ねた。
 彼は、慰めてくれるの? と僕にとても優しい笑顔を向けた。
 何でだろう。
 傷ついて泣けばいいと思っていて、それを慰めたいと思って。
 僕は僕の中の矛盾をどうする事も出来ない。
「でも、無理なのはわかってるんだよ」
 マルフォイよりも綺麗な女の子なんかそんなにいないのに。
 誰がこの隣りに釣り合う気でいるんだろう。
 僕はなんだか、すごく切ない気分になった。

 誰か知らない相手に彼が最高の笑顔を向けて、今僕の毛並みに沿わせている手で誰かを優しく抱き締めるんだろう。
「君のことも大好きだけどね。君の瞳によく似ている人なんだ」
 大丈夫だよ。
 泣かないで。

 そう心の中で彼に語りかけながら、彼が僕でない誰かに傷つけられてなんだか嬉しくて。

 声を上げずに泣き出してしまった彼の頬に伝う涙の筋を僕は彼が泣きやむまで、ざらついた舌で舐めていた。















 なんだろう、この不愉快な気分は。


 朝からすごく気分が悪かった。
 夢の中に何度もマルフォイが出てきて、知らない誰かを隣りに置いて優しく髪の毛を梳いていたり、楽しそうに目を細めて笑っていたりしていた。
 すごく気になる。
 隣りに座る人物は一体誰なのだろう。
 朝から僕の目付きはすごく悪かったに違いない。
 横を通り過ぎる知らない女の子を頭の中のマルフォイの隣りに置いてみて、点数をつけてみたりする。
 ちなみに今の子は五十点。今までの中で最高点だ。
 一体誰なのだろう。
 せめて、可愛い子であれば良いのだろうかと思い、僕が知っている一番可愛い子を並べてみるが、なんだか頭にくる。

 休み時間に外を見ると僕の不機嫌の種が、誰かと話していた。
 あれは、マルフォイにこの前ベタベタしていたチームの上級生だ。
 なにやら、楽しそうだ。
 僕に向けるいつものいやらしい笑い方なんかと比較にならない。

 あいつか!?

 あいつが、マルフォイに気があるなんてすぐにわかった。距離を近く取りたがるし、何かと触ってきていたりして……。
 そういえば、マルフォイもあんまり嫌がってなかった。
 男同士だから、とか、この際置いておく。
 あいつなのだろうか。
 
 そんなのは許さない!
 許さないとか、僕の許可なんかはまったく必要ない事くらいは分かっているけど、それでも、それは許せない。
 あんな奴より僕の方がよっぽど………。
 僕は、思考を一時停止した。

 ……よっぽど、なんだろう……。

「ハリー、あなたすごく怖い顔よ」
「は?」
「最近悩みでもあるんじゃない?」
 僕が混乱の渦中にいることに気付かずに、ハーマイオニーが僕の眉間を指した。
 悩みなんかは、すごい量だよ。
「ぼんやりしてたり怖い顔してたりして、最近ちょっと変よ」
 だって、相談できないじゃないか。

「ええと……これは相手の名誉のために名前は言えないんだけど」
 でも、なんだか、僕は相談する気になっている。
 もう、答えなんか自分じゃあ出せなくなっていた。ぐちゃぐちゃとしている。
 なんだろう。
 誰にだって言えないし、相手なんかまさか言えないし、でも、話す事で落ち着くかもしれないし。
 そんな僕の中の言いわけ。
「なんか、僕の友達なんだけどね、今まで仲良くしたこともない相手が、好きな人がいるって聞いてから、すごく気になっちゃってさ。相手の女の子が誰だかわからないけど、なんか誰が隣りにいるにしても、誰かと仲良さそうに話しているだけでもなんだかイライラしてきて……」
 僕のことだなんて言えないし、相手なんかは言ったら僕の正気を疑われてしまう。あんまりうまく説明できないけど。
「ってことらしいよ」
 僕は慌てて付け加えた。僕のことだなんて口が裂けても言えない。そのうえ相手がマルフォイだなんてもっと言えない。
「どういうこと?」
 ロンがわけが分かってない顔をした。確かに今の説明ではろくな情報を提供していない。
「つまり、ハリー、あなたの友人Aが、Bと仲良くない間柄だけどBがCの事を好きだと知って、なんだか気になってしまった。そういうわけ?」
「ああ、うんそういうところ」
 さすがハーマイオニーは理解が早い。ロンはようやく納得したような顔をしたけれど。
 とどのつまりそいうことになるだろう。
 マルフォイが好きな人がいるとわかってから、なんだか胃の奥の方がムカムカする。
「嫉妬じゃない?」
 ハーマイオニーは単刀直入にそう言った。
「は?」
「嫉妬よ、嫉妬。仲の悪い子の隣に誰がいても嫌なんでしょ?」
 そうだ、その通りだ。きっとどんなパーフェクトが隣りにいてもきっと僕は認めない。
「うん……」
 そうしんみりと言ってから慌てて付け加える。
「そうらしいよ」
「簡単じゃない。その相手の好きな相手に嫉妬してるんじゃない?」
「は?」
 新しい説だ。
 もちろんもともと僕は何の答えも見出だしてないけれど、嫉妬?
 確かに、僕はまだ誰も特定の誰かだけを見つめた事がなかった。
 誰かをそういう特殊な感情を伴って見た事はなかった。
 そういうところで僕より彼の方が優れているような錯覚で、なんだか負けた気になっているのだろうか。
 彼が僕の知らないところで幸せだとなんだか腹が立った。でも、彼が不幸せになることをそれほど望んでいるわけでもない。
「その相手の好きな相手が嫌いなんでしょ? その相手に恋をしているんじゃないの、ハリー?」
「………」
 僕が?
 恋?
 僕の時はきっとしばらく止まっていたはずだ。
 がーんといっぱつハンマーにでも殴られた気分だ。
「でも、だって、さ、その友達もその仲良くなかった人も男だよ」
 ロンがその言葉を聞いて、顔をしかめたのはこの際気にしない事とする。
「だから、気付かずにいるんでしょう?」
「………」
 いや、マルフォイが男同士で付き合う事があっても別に不思議な感じはしないけれど、彼ははっきり言ってそこら辺の女の子よりかは綺麗だし肌も白いし、外見だけは認める。確かに彼が男と並んでいてもそれほど違和感はない。
 僕ははっきり言ってそういう偏見はある方だ。
 なんで可愛い女の子がいるのに、男を好きになる必要があるのかわからない。
 わからないけど彼なら何となく変なな感じはしない。
 華奢だからだろうか。笑うと実は可愛いからだろうか。
 彼に関してはそうだけれど、僕となると話は別だ。

 僕が、マルフォイを好き?

 嫌いじゃないとは思った。
 僕以外にはなかなか良い奴なんじゃないかとは思った。それが果てしなく腹が立ったのは事実だけれど。
 好きなのかなと思った。
 なんだかしっくりくる。
 彼も僕のこと嫌いじゃないってことだし。それどころか構って欲しくてわざとだってわかって、ちょっと可愛いと思ったりした。
 僕以外には別に嫌な感じもしなくて、けっこう人と話しているのも見た。それがなんだかイライラした。
 好きな人がいると知って確かに嫉妬している。
 ああ、そうだね。
「……好きなんだ……」
 僕は呆然として呟いた。
「まあ、同性だからとかあるかもしれないから、受け入れ難いかもしれないけれど、どうするの?」
「どうって………どうにもならないと思うけど」
「その人が好きな人て仲良くなって、幸せそうにしてて平気なのってことよ」
「平気なわけないじゃないか!」
 誰かと抱き合ったりキスしたり、そんなのは絶対許せない。
 誰かにキスされて、それを受け入れて、幸せそうに笑う彼が頭の中に登場した。
 今少しだけ想像するだけでもハラワタが沸騰する。
 だからつい力んで即答してしまった。僕のことだって気が付いてしまっただろうか。それともハーマイオニーのことだから、最初っからお見通しなのだろうか。
「まあ、無理なのが当然なんだから、さっさと玉砕して清々しちゃった方が良いんじゃない? 辛気臭い顔ずっと晒されるよりマシだと思うわ、回りとしては」
「だから、友達の話だよ」
 僕は憮然として言い放った。僕のことじゃないて言ってるのにさ。僕のことだけどさ。

 ロンは見た事と聞いた事を自分の中で変換する能力が備わってないから、男同士て聞いてから顔をしかめてしまったままだけど、大変だねと人事のような感想を述べてくれた。
 もちろん人事だけどさ。




 そうか、好きなのか。
 僕は授業中もそのことばかりが頭を占める。そんなもんなんだろうけれど、けっこううざったい。
 考えないようにしていても、遠くにいるプラチナブロンドを目で追ってしまう。

 構って欲しいわけじゃないなら話しかけないで、て言ってから、彼は僕の失敗に薄笑いを浮かべる事はあっても近寄ってきて嫌味を言おうとしたりはしなかった。
 そうだよね、好きな人がいるんだもんね。僕もわかってしまったよ。
 頭の中それどころじゃないよね。その人の事しか見えないのに。




 すごく切ない。















そうか……好きなのか。







 授業が終わってからクィディッチのレイブンクローとの練習試合があった。練習試合だから別に今後にかかわる大事な試合というわけではないのだが、キャプテンの意気込みはなかなか強かった。まあ、もともと熱心すぎるきらいはある。
 僕は高速で飛行するスニッチを追いかけながら、飛行する選手を避けながら、それでも集中出来ない。
 まさか本当に、好きになるとは思いたくなかった。
 男同士だし、何よりあのマルフォイだし。
 口さえ開かずにそして女の子だったらきっと好きになるのは納得できた。
 笑うと可愛いし、育ちも良いから上品だし。
 猫なんかに変身しなければよかった。
 間違ってもマルフォイの部屋になんか行かなければ良かった。
 こんなに苦しい思いをするなんて思わなかった。
 ファーストキスも初恋もあんな奴に奪われるなんて。
 マルフォイが僕に笑いかけたから、例え僕が猫だって僕は僕なんだから、僕に笑いかけたからいけないんだ。
 また、笑顔を思い出して切なくなる。
 マルフォイは、あんな綺麗な外見だから、僕みたいに男だってついうっかり好きになってしまったりするけれど、彼自身はちゃんと男なんだから、好きになるのは絶対女の子なんだろうし。
 家柄も顔も成績も良いし、僕やグリフィンドール以外にはそこそこ人当たりも悪くないし、きっとモテるんだろうと思う。きっと望めば何だって手に入るんだろう。
 彼の恋がうまく行って幸せになれるだろう。
 誰か物静かそうな可愛い女の子を隣りにおいて、
 でも、そんなこと、きっと僕は許せない。
 でも、確かに彼は僕と仲良くなりたかったのかもしれないけれど、僕みたいな好意は僕に向けてくれるはずないんだし。
 僕が、彼に気持ちを伝えたとしたら、仲良くなる前にきっと気持ち悪いなんて思われてしまうのだろう。
 告白なんか、絶対無理だ。
 前の喧嘩以来ほとんど口をきいていない。律義にも彼は口約束を守ってくれている。ありがた迷惑。
 このまま、忘れられると良いのに。
 もう、彼の部屋には行けない。
 マルフォイの膝の上に乗って背中を撫でてもらったり、口付けをもらったり出来ない。
 そう思うとひどく彼の体温が懐かしくなってきたけれど。
 僕の初恋は気が付いた時には終わっていた。
 認めたくないけど、認めざるをえない。

 僕はマルフォイが好きだ。

「おい、ハリー!」
 そんなことばかり授業中から考え、集中なんかできていなかったから、僕は気付かなかった。
 追いかけているはずのスニッチが、僕の横をすごい勢いで通り抜け、それに引き続いて暴れ玉が僕をめがけて飛んで来ているなんて。
「っ痛」
 むちゃくちゃスピードをあげていたから、衝突はすごい衝撃を伴なった。
 慌てて避けたのだけれど、間一髪間に合わなくて、僕の左肩に強く当たった。
「おい、何やってるんだ、ハリー!」
 キャプテンの強い叱咤の声が飛んで来た。
 すごい失態だった。
 すごいチャンスだったのに、それを逃すなんて。
 崩したバランスを何とか立ち直して、また再びスニッチを追いかけた。
 左腕が麻痺して来た。指の感覚がなくなって痛いを通り越してただ熱くなっている。
 そのまま汚名を晴らせず僕達は負けてしまった。

 ウッドが僕の方に駆け寄って来る。
 怒られるんだろうなあ、そう思いながらぼんやりと彼を見ていたが、いきなり左腕を掴まれた。
 すごく痛い。
「大丈夫か?」
「……ごめんなさい」
 もう、痛いやら何やら僕は目茶苦茶だ。
「大丈夫です」
「かなりしっかりぶつかったじゃないか」
「大丈夫です」
 僕はムキになってそう答えた。




 布団の中でじくじくする腕を抱えて、僕の考える事はそれでもマルフォイのことだった。













 左腕が痛い。
 放って置けば治る程度のもので、とりあえず湿布薬をもらっているから本当にすぐに治ると思うけど、でも左でよかった。
 あんまり動かしたくない。


 僕はまた気が付いたらマルフォイの部屋の前まで来ていた。
 もちろん猫の姿だけど。
 猫になると左腕……今は左前足だけど……も使って歩くからけっこうしんどい。
 でも最近スリザリンとの合同授業で、マルフォイに元気がなかったから。
 目の下にクマがある。
 寝ていないのだろうか。
 もう、来ないと決めたのに、僕の意思はやるせなくなる程柔らかくて脆い。
 でもここまで来て僕はためらっている。
 やはり帰ろうか、腕も痛いし。
 その時、かちゃりと静かな音を立ててドアが開いた。
 上を見ると白い顔が僕を見つけた。
「いらっしゃい」
 極上の笑顔でそんな風に微笑まれると、僕は……。
 無意識に彼の足にすり寄っていた。
 顔を見ただけで切なくなるのに、笑わないでよ。
「最近来ないから心配してたんだ」
 もしかして、最近やつれてた訳は僕が来なかったせいだろうか、なんて自惚れてみる。
 僕をひょいと抱き上げると、彼は自分のベッドに向かった。
 珍しくゴイルもクラッブも起きていて机に向かって必死に何やらやっている。
 ああ、やばい魔法薬学の宿題があった。
「マルフォイ、教えてくれる約束だったろ」
 ゴイルが僕の姿を見つけて情けない声を上げた。
 ついでに僕も教えて欲しいよ。この課に関してはマルフォイは確かハーマイオニーと肩を並べているから。
「後でな」
「マルフォイ〜」
 クラッブも情けない声を上げた。
 こういうところでこいつらはマルフォイの恩恵を受けているのか。
「わかったよ、僕の宿題写していいぞ」
「やった」
 喜々とした顔つきで二人がマルフォイの机の上のノートをさらって行った。
 僕も喉から手が出るほど、欲しい。
 けれど、今こうして彼の膝の上でゆったり撫でられている時間を失うのは耐えられない。
 撫でてもらった記憶なんかすっかりないし。
 すごく昔、一歳にも満たない頃には当然だったかもしれないけれど、覚えてるはずなんかないから。
 こうやって大事にされるのは本当に癖になる。
 でも、よかった。
 君が元気そうで。
「でもよかった。ポッターも怪我が大したことなさそうで」
 どきりとした。
「この前の練習試合の時に暴れ玉にぶつかったんだよ、ポッターは」
 よくご存知で。
 てか、見られてたのか?
 気まずい思いでいっぱいになる。
「なんか、腕痛そうだったけど大丈夫かな。あれ当たると本当に痛いんだ。僕も足にぶつかった事あるけど立ってられなかったもん」
 もう、本当痛いです。
 でも、そんなことより、君の事で頭がいっぱいなんだよ。
 伝えたい。
 伝えられないけど。今猫だし、もちろんちゃんと僕の姿をしていても、そんなこと犬猿の中の君には伝えられるはずないし。
「左腕、今日も痛そうにしてたんだよ」
 そう言って彼は僕の左前足を優しく撫でてくれた。
 これだけで少し治った気がするから不思議だ。
 ありがとう。
「いい加減、お前にも名前を付けないとな」
 彼は僕を目線の高さまで抱き上げて、にこりと音がしそうな程の笑顔を作った。
 やめてよ。それは僕の笑顔じゃないのに。
「もう、決まってるんだ」
 いや、すでに僕は名前があるんだし、好きな女の子の名前なんて付けられて呼ばれたりしたら、凹み具合も一入だ。
 まあ、抵抗する気もないけど、気に入らなかったら引っ掻いてやるさ。そんなことはしないけど。
「僕の一番好きな人なんだよ、きっと気に入るさ」
 奈落。
 やっぱりとか思ったし、まあ気持ちとしてはわからなくないし。
 まあどこかの知らない女の子の名前付けられたって僕がこうして膝の上にいる事には変わりがない。
 すごく情けない優越感。
 まあ、マルフォイが好きな人を知るのもちょっといいかもしれない。知ったところで何もないし、知ったらその子のことをすごく嫌いになるのだとは思うけれど。

「ハリー」

 僕はにゃあと鳴いた。
 呼ばれたのかと思った。
 クラッブの机の上にあいつのでかい頭が落ちる音と、インク壺が倒れてゴイルが悲鳴を上げたことで僕は、気がついた。

 今、僕の名前を呼んだよね……。

 果たしてバレたのかと一瞬冷や汗が流れたが、優しく笑っているマルフォイがそこにいた。
 一番好きな人の名前なんだよね。
 ハリーて、僕の知ってる以外で僕以外にいる?
 どうしよう。
「すごいだろ。お前は英雄と同じな前なんだぞ」
 くすくす笑いながら、僕を抱き抱えたまま、ベッドに寝転んだ。彼は本当によく笑う。普段はこうなのだろうか。
 僕は彼の腕の中で、彼の薄い胸の上に立った。


 実は頭の中真っ白だ。

「大好きだよ、ハリー」

 心臓が止まったかと思った。
 また、ゴイルかクラッブが羽ペンを落とした音がしたが、この際気にしない。

 好きだと思った人が、好きだと言ってくれて。
 うわー。
 僕は今僕の姿だったら確実に耳まで真っ赤だ。


 どうしよう。

 とても、君を抱き締めたい。


 でもこの姿では、何もできないから。
 僕はハリーだけど、君のハリーだから、何もできない。
 僕は彼の腕から抜け出してベッドから降りた。
 その時に左前足に力を入れてしまったのか、ズキリと痛んだ。
 明日本当に意地を張らないでマダム・ポンフリーのところに行かないとまずいかもしれない。
 僕は左前足をあまり使わないようにひょこひょこ歩いていた。
 いつもならここで彼が帰るの? と声をかけてくれるのに今は、ただ視線を感じた。
 何かと思いマルフォイを振り替えると、ベッドから半身を起こして丸い目で僕を見ていた。

「前足を怪我しているのか?」
 あ……。彼は僕が怪我をしている事を知っていた。
 まずい、かもしれない。

「ポッターも左腕を怪我していた……」

 僕に語りかける声ではなかった。
 少し怯えたような……。

「君は、もしかして、」

 薄いブルーが僕の奥を見つめていた。
 多少痛くても我慢すべき所だったかもしれない。ただ忘れていただけだけれど。
 じっと彼は僕を見つめている。
 すごくいたたまれない気分だ。
 ここで、僕が正体を現したら彼はどんな反応をするだろう。
 彼は僕が好きなんだ。
 僕は知ってるから。
 ここで、………無理だよな。そんな勇気と度胸は僕にはない。
 だから、僕は猫のふりをしてにゃあと鳴いた。

「まさかな。ポッターは変身学この前も追試だったし」
 残念でした。
 その追試のおかげでコツを掴んでしまったのだ。

「それに用があってもこんな所には来ないさ、嫌われているんだから」
 
 その後僕は逃げるように自寮に戻った。

 もちろんレポートの事もあったけれど、それ以上に彼の最後のセリフ、その自嘲的な顔が、忘れられない。








10








 僕は、薬品棚の掃除をしてた。
 魔法を使わずに棚を拭きながら渡された一覧通りに並べ替えるのだ。
 
 予想通りレポートの出来は案の定最低だった。しかもそれに機嫌を悪くした教授が、僕を指名して答えられずに、減点と再提出と薬品棚の整理を申し渡した。
 まあ、今回ばかりは仕方がない。
 まあ今日は、とても気分が良いから鼻歌なんかも歌ってしまいそうだ。
 にやける顔を止められない。

 好きだよ、ハリー。

 だって、さ
 わかってしまったよ。
 君が僕を好きな事を。
 あんな優しい顔で見つめられて、そんな事を言われたら、好きじゃなくても好きになってしまうよ。
 本当は、僕に言いたかったんだよね。
 言えるはずないのは分かってるけど。
 好きなんだってさ。
 僕の機嫌のバロメータは振り切ってしまいそうだ。
 朝からなんかテンション高いねとロンに訝しがられたが、気にしない。言えないし。
 僕は棚を拭きながら鼻歌が混じって来る。 
 掃除が好きな訳ではないけれど、子供の頃から棚やら何やらの掃除は僕の役割だから慣れているから早い。
 もうあらかた終わっている。

 それにしても、どうすればいいのだろう。
 僕の想い人は僕のことを想ってくれているのだ。
 両想いと言う事に他ならない。
 僕は多少卑怯な手段ではあったが知る事ができた。だが、待っているだけではこのままだということはわかっている。
 彼から行動に出ると言う事は僅かばかりも想像できない。
 あんなに僕のことを好きだとしてもだ。
 さて、どうするべきか。
 ただでさえ今は口すらも聞いてない状況であるのだから、せめてまずこの状況を打破すべきだ。



「ポッター、少し話があるのだが……」
「わあっ!」
 そんな事を悶々と悩んでいた時に、後ろから声を掛けられたから、心臓が跳ねた。
 慌てて振り返ったため、空瓶を一つ落とした。
 割れなかったけどひやりとした。
 瓶にヒビが入ってないかを確かめてから、顔を上げた。
 マルフォイだった。

「その……一つ聞きたい事があるんだが」
 僕は慌てた。
 どういう態度を取れば良いのだろう……。
 そして、何の話か!

「何の話? 嫌味なら聞かないよ」
 声が優しい声に変わりそうになる。
 男の前で態度が急変する女をどう思うかで議論した事あるが、どうとかの話では無く、勝手にそうなるのだと初めて知った。少しでも優しく振舞って、少しでいいから気に入られたい。つまりそういうことだ。
 でも、変に思われたくは無いから、勤めていつも通りに。
「いや、……大したことではないのだが」
 マルフォイの口は重い。
 何の話かこっちはウキウキして待っていると言うのに。
 まあ、愛の告白では無いだろう。そこまでは期待していない。
 話しかけるなを律義にも守ってくれているので、最近はまったく喋っていないから。
 声をかけてくれただけでも嬉しいよ。

「僕は最近、猫を飼っているんだ……いや飼っているほどでも無いんだが」
「へぇ」
 名前はハリーって言うんでしょ。
 なんだ、その話かとちょっとつまらなく思ったが、もしかしたらバレるのかと思ったら少し怖い。まさかバレる事はないだろうけれど。
 ただ、やはり少し気付いたところはあるのだろう。そりゃ同じ場所怪我してれば当たり前か。
「それで?」
 すっとぼけてみた。
 彼がまごついているのが分かった。
 わざわざこっちから言えないけど、嘘は付かないよ。聞いて来たらきっと嘘は付けない。
 下を向いたまま、彼は固まってしまった。
 凝視するのもなんだか変に思われてしまいそうだったので、僕は作業を続けながら次の言葉を待った。
 本当は、近づいて顔を見て喋りたいけれど。変に思われるのは嫌だから。
 後ろに彼がいると思うと背中に全神経が集中して行くのがわかる。
 そのまましばらくだった。

「………いや、すまない。忘れてくれ」

 静かな声。
 僕は慌てて振り返ってしまった。

 まだ。
 もう少し。
 何でもいいから。
 一緒にいたかった。

 だが、もうそこには彼の姿はこの部屋のどこにもなかった。







11










 相変わらず僕は上機嫌で彼の部屋に行く。
 人間同士の付き合いは相変わらず最低のものでしかないが、僕が猫の姿であれば、彼は特上の笑顔を向けて撫でてくれるし、抱き締めてもくれる。
 今日もまた彼の部屋に僕が行くと彼は僕のことを抱き上げて、僕にキスをして、

「好きだよ、ハリー」

 僕も好きだよ。
 大好きだよ、ドラコ。

 なんでこんな事になったんだろう。
 好きだって言われたいけど、好きだって言う事ができない。
 僕が猫をやめれば僕が彼に気持ちを伝える事は出来るけど、きっと僕が猫をやめたら、こんな風に好きだって言ってくれることもなくなるかもしれない。
 そのジレンマから僕は度々彼の部屋を訪れる。

 好きだよ。
 僕も大好きだよ。

 好きだって言われる度に、僕はどうしようもなく彼を抱き締めたくなる。
 笑顔で撫でられる度に彼に口付けたくなる。

 どうしよう。

 日常生活もなかなか危うい。
 僕が機嫌が良かったり、溜め息を付いたり、イライラしたり、また溜め息を付いたりすると、ハーマイオニーが視線を投げてくる。その視線に込められた意味を感じとることはたやすいが、敢えて無視している。そろそろちゃんと言葉で伝えられるかもしれない。彼女は常に正しく、正しいからこそキツい。適切に端的に彼女の視線の意味を答えるならば、三文字で「ウザい」だろう。


 もし、僕が猫のハリーであることを秘密にして彼に告白したらどうだろう。
 はっきり言って、僕が卑怯な真似をしたのは分かっている。どちらかと言えば、彼の十八番だ。
 もし、僕がハリーだとバレたら、きっと軽蔑されてしまう。卑怯な事をしている自覚はある。
 もしそんな事になったら僕の凹み方はきっと尋常ではなくなるだろう。
 だったらこのままでいれば、撫でてもらって、抱き締めてもらって、キスもくれる。
 もし、僕が彼に僕が猫でないことを黙ったままこの気持ちを伝えてみたら、どうだろう。
 マルフォイが僕を好きだってことはよくわかった。
 もし、僕がこの気持ちを伝えたら、きっと頷いてくれるだろう。
 きっとであって確実ではない。
 だいぶ彼を観察したからだいたい分かってきた。
 きっと僕の告白には頷いてくれるだろう。だが、好きだと言ってくれてもこの状態の……優しく笑いかけてくれて、好きだってたくさん言ってくれるマルフォイを手にいれるのはなかなか難しそうだ。
 素直じゃない、意地っ張り、照れ屋、そのへんのすべての要素がきっと彼のこの全開の笑顔を遠ざけるだろう。
 しかも、今現時点で喧嘩をしている相手にこの話を持ち込んでも、すぐに納得してくれるものだろうか。僕もだけど、マルフォイも猜疑心は強い方だ。
 どうにかして彼からの告白を引き出す手段は無いものだろうか。

「ねえ、ハリー。君はいつもどこに帰るんだ?」
 僕は僕の生活があるから、マルフォイが寝る前に部屋を出る。寝てしまった後にこっそり出て行くこともあるけど。
 朝まで一緒にいる事はできないから。
 僕だって眠くなるし、寝てしまってまで維持できる能力じゃない。
 彼はそのへんが不満らしい。
 僕は彼の膝の上でにゃあとだけ答えておいた。
 ふふ、と彼は軽く笑うと、ごそごそと自分のポケットの中に手を入れた。

「今日は君にプレゼントがあるんだ」
 彼の笑顔は相変わらず花が咲いた様だった。
 今までは決して信じられない顔。
 彼はそう言いながら、きれいなリボンを僕の目の前に出した。

 深緑色のベロアのリボン。

「君の瞳の色に良く似合うと思ってね」
 そう言って彼は、僕の首にそのリボンを巻いていた。
「うん。やっぱり素敵だよ」
 似合うのかそうでないのかなんかさっぱり分からないけど、マルフォイから素敵な笑顔だからきっと似合ってるのだろう。似合わなくても別にいいけど。
 結び終わったのか、彼はにこにこと僕を目の高さまで抱き上げて僕を見つめていた。

 本当に、僕はこの笑顔が欲しいんだ。

 どうしたらいいんだろう。

 来なければ良かったなんていう消極的な後悔はとっくの昔に終わった。
 後悔は終わった事だから。
 きっと今なら、この笑顔を手に入れるために僕は何だってできる!

「ほら、これで君は僕のモノだ」

 彼は、その言葉と僕にキス。


 脳に直接の打撃。


 頭がくらくらするよ。
 なんて、強い響きなんだろう。

 僕は君の所有になってしまったよ。

 ――君は僕のモノだよ

 僕は君のモノだ。
 ああ、そうさ。
 確かに間違いないよ、僕は君のモノだ。
 何をしていても想いは勝手に君に流れて行くんだ。
 人を好きになることは、自分勝手に相手の所有になることなんだ、きっと。

 でも、君は僕のモノなのだろうか。
 僕を好きな事に偽りは無いだろう。
 僕自身にそれを伝えない限りは、君は僕のモノにはならない。
 猫のハリーじゃなくて、ちゃんと僕自身の目を見て僕が好きだって言って欲しくて、ちゃんと僕の前で僕のモノになると誓って欲しいんだ。
 猫であることで、僕は喩えようもない幸福と苦悩を手に入れた。


 どうしよう。


 君を抱き締められない僕が切ない。





12







 僕は朝起きると珍しく髪の毛を梳かした。
 何をやっても強情な僕の髪は好き勝手な方向に思い思いのまま跳ねる。
 僕はロンに頼んで、僕の短い髪の毛の一か所を頑張ってムリヤリ結んでもらった。
 ロンははっきりと気持ち悪いと言った。
 髪の毛結ぶなんて女の子みたいな真似をすることも、いつもは髪を梳かす余裕がある時間なんかには起きない事も、いつも夜出歩くことまで持ち出して気持ち悪がっていた。

 でもね、残念でした。
 誰のどんな視線も気にならない。

 案の定、僕のことを見たルームメイトでさえ、起きた瞬間に吹き出していた。
「ちょっとした恋のおまじないだよ」
「何言ってんの、ハリー」

 朝早くから叩き起こされたロンはいかがわしい物を見る様な目付きで僕の頭を見ていた。




 もう僕は決めてしまったから。

 僕は何があっても君を手に入れる、そう決めたんだ。

 絶対に逃がさない。

 ただ君に好きだと伝えるだけじゃなくて、追い詰めて絶対に逃がさない方法がある。
 強行手段だけど。
 僕を軽蔑なんてさせない。
 絶対に君のその笑顔も手に入れる。

 ――僕の頭には昨日君から貰った、僕が君の物だっていう証明の緑のリボンがついている。








 大広間で、朝食の時間僕はいつもの通り君が見える席。
 マルフォイが僕をよく見ている事は知っていた。
 だって僕のことが好きなんだもんね。
 僕は彼がこっちを見る機会を窺って、視線が合った時に挑発的な笑顔をむけた。
 僕をいつも以上に気にする様に。
 
 もう、半月近くも話をしていないんだから、僕を好きな君としては、僕からのアプローチってことで、気にならないはずなんてないんだ。
 僕の頭を見えない彼は、僕の挑発にあからさまに顔をしかめた。

「ちょっと用があるから先に行くね」

 ハーマイオニーとロンに一言言い置いて僕は席を立った。
 確認のため視線を上げるとまだ彼は僕を見ていた。
 僕はもう一度彼に今度は普通に笑いかけた。
 後ろを向く。
 まだ、僕を見ているだろうか。
 ここが勝負なんだから、ちゃんと見てよ。
 君からもらったリボンだよ。
 僕は君のモノなんだよ。

 彼の表情を見れないのは残念だけど、きっと期待通りの顔をしている。





 絶対君を捕まえる。


 僕は、ゆっくり歩いた。

 あそこからの距離じゃ良く見えなかったのか、僕のあとをこっそり着いて来ているのがわかった。
 君だったらきっとそうすると思ったんだ。
 あんまり良く見えない様な距離を保って、僕はあんまり人気のない方に足を進めた。
 しばらく行ったところ、曲がり角で僕は壁に張り付いて待っていた。



 ドキドキする。


 ここからが勝負だ!




 ひょこりと壁から顔を覗かせたマルフォイと目が合った。

 僕はにこりと笑った。








13










 まさか僕が曲がったところの壁に張り付いているなんて思わなかったのか、僕の顔が目の前にあった時小心者のマルフォイは声も出すことも出来なかったようで、目を丸くさせて息を詰まらせていた。

「何の用?」
 僕は自分でも意地が悪いと思ったけど、白々しく聞いてみた。

「………別に」
 俯いたマルフォイの顔は真っ赤に染まっている。
 そのまま彼は踵を返そうとしたから、慌てて彼の手首を掴んだ。

「待ってよ!」

 普段彼と接触する時は猫だから気付かなかったけど、僕の想像以上に細い手首だった。
 こんなところで逃げられたら、これからずっとリボンを結んで生活しなければならないし、猫になっても抱いてくれたりなんかはしなくなるだろう。
 逃げられたら終わりだと思うと、自然と力が入る。
「これが、見たいの?」
 僕は僕の頭に結んであるきれいな色の紐を、横を向いて彼に見せつけた。

「僕の目の色に良く似ている色で、きれいでしょ。似合ってる?」

 彼に視線を戻すと、マルフォイは目を大きく開いて、その薄い青が赤く充血してきていた。
 唇が震えている。

 何かを言おうとして言葉を見つける事ができずにまた閉じる。
 僕は根気良く待った。
 何度も唾液を飲み込もうとして、やめた。

 どこかで始業を告げる音が聞こえたような気もする。
 
「………君は、ハリーなのか?」
 声は、小さくて、そして震えていた。
「僕はハリー・ポッターだよ」
 肯とも否ともとれる答えにマルフォイはまた俯いた。

「だって、前に違うって言っただろう」
「何にも言ってないよ、あの時は」

 前に彼からの話の時ははぐらかしたけど、否定の言葉は一言も言ってないよ。
 僕は彼の泣き顔を助長させるように、精一杯の笑顔を作った。
 見る間に彼の瞳に涙が溢れて来る。
  
「……お前は卑怯だ」
「うん」

 胸が、痛んだ。
 嫌われてしまうのだろうかと思うと、胸が本当に痛くなる。
 嫌われても、離すつもりなんかはない。逃げる事なんか許さない。
 無意識に僕は彼の両手を掴んでいた。
 少し力を入れてしまっていたのかもしれない。彼の手首が赤くなっている事なんかはこの時気付かなかったから。
 もしかしたら震えていたかもしれない。それ以上にマルフォイが震えていたから、気付かなかったけど。

「卑怯な僕を君は軽蔑する?」
「……」
「僕の事を嫌いになった?」

 もし、ここで頷いても、僕は構わないと思った。
 頷かれたら、僕はどんな行動に出るかはわからなかったけど。

「もし、嫌になったんだったら、僕は二度と君に近付かないようにするし、話もしないし君の存在を無い物とする。それで僕の謝罪の気持ちとして君の気が済むのなら」

 諦めの言葉をしおらしく告げるけど、これはただの脅迫だと言う事は知っていた。
 そんな事を言っても諦める気なんか何もないけど。
 僕の言葉は彼の琴線に触れたのか、溢れた涙が瞳から零れた。
 頬を伝う涙はきれいで、そのまま滴となって落ちてしまうのが勿体なくて僕はその涙を、いつものように舌で舐めとった。

「……嫌いじゃ、ない」

 君の涙は不思議だね。
 すごく切ない気分にさせる時と、うれしい時と。特に今なんてごちゃ雑ぜで困ってしまう。

「……僕は………」

 涙が、また零れた。
 目が溶けちゃうよ。



「僕は……恥ずかしくて、死んでしまいそうだ」



 そう言って、彼はぼろぼろと涙をこぼした。


 君を愛しいと、思った。
 抱き締めたいと思った。

 今まで何度、そう思っただろう。
 君は僕のことを抱き締めてくれるのに、僕は何も出来なくて、君の想いは知っていて、通い合っている気持ちがあることを僕は知っているのに、どうすることも出来なかったけど、今はこうやって抱き締めることが出来る。

 僕の両腕の中に君を閉じ込めると、素直に収まった。
 僕の肩に顔を押しつけて、
 抱きしめても、抵抗しないなんてね。やっぱり君は僕のことが好きなんだ。
 顔を見せない事で落ち着いたのだろうか。
 今はただこの腕の中の存在が愛しい。

「ねえ、僕は君のモノになったんだよ」
「それは……ハリーのことだ」
「どっちも僕だよ」

 屁理屈は得意な方だ。

「僕が要らないの?」

 脅迫とかも、得意なのかもしれない。
 君が僕の事を好きな事を知っている僕を君が知っている。
 でも、卑怯な事をして君を好きになって、君を手に入れようとしている僕の方が弱い立場なのを君は気付いていない。
 君は僕に気持ちを知られた事に動揺してて、そんな事全然分かってない。
 僕が君を好きだと言う事もまだ気がついていないだろう。

「僕は君のモノになったんだ」

 もう一度僕は言い含めるようにゆっくりと言った。

「………」
「だったら、君が僕のモノにならないなら不公平じゃないの?」

 僕の君に対する想いはすごい自分勝手なものだから、不公平とかそんなことなんかはないけど。

「ねえ、僕のモノになってよ」
「………」

 ぎゅって抱き締めて、ここにいることがこんなに。

 緊張する。
 ドキドキしている、心臓の音が腕の中のマルフォイに気がつかれてはいないだろうか。
 彼からの言葉を待って、早く返事が欲しいけど、もし僕の期待通りの言葉じゃないのなら、別に要らない。ずっとこうしてればいい。

「……僕は、どう言えば良いんだ?」

 僕の肩から声がした。

「君の気持ちを僕は知ってるんだよ、マルフォイ」
「………だから」

 震えるていて、ようやく押し出している声はか細くて、消えてしまいそうで、心許無くて僕は抱き締める腕に力を込めた。

「………――すまない」

 それが、彼からの答えだ。


 僕は固まった。

 




14









「すまない」



 それが、彼からの答えだ。


 僕は固まった。

 謝らないでよ。

「なんで謝るの?」
 ほんの少しの可能性として、彼から断られる事を考慮に入れていないわけではなかった。
 僕が猫になって君の部屋に行き君の気持ちを知って、そのことで君が嫌悪を感じてもそれは仕方のない事だと思っていた。
 諦められるなんて今でも少しも思っていないけど、やはり拒否されると、どうしようもなく、切ない。
 僕も、マルフォイのように泣いてしまいたい気分だよ。
 離したくないよ。
 何があっても捕まえる気持ちは変わって無いけど、今ここで君を離すなんてできないよ。
 君の気持ちは知っているのに。

「ポッターは、僕なんかに好意を寄せられて、気持ち悪いだろう?」
 ………。
「何、言ってるの」
「だって………」
 そう言ってまた彼は泣き出してしまった。
 気持ち悪い?
 そういえば、僕達男同士だね。
 気持ち悪いのかな。君はこんなに綺麗なのに。僕はちっともそんなこと思ってないよ。
「僕は君にいつも嫌なことばかり言っていて、それなのにこんな………」
 でも、僕が好きで、その裏返しだったんでしょ? それを知ったら、嬉しかったんだよ。
 僕は何をどう言って君を説得しようか、一番効果的な言葉とタイミングを探して、君の次の言葉を待った。




「本当はこんなに、君と友達になりたかっただなんて」








 力が、抜けた。



 友達ですか?

 僕の勘違いってやつですか?


 ずるずると力が抜けて行く。
 力が入らない腕はだらんと重力に任せて、ようやくマルフォイの肩に頭を乗せることで立っているのがやっとだ。
「ポッター、どうしたんだ? どこか具合でも……」
 君はおろおろして、僕を気遣ってくれるんだね、優しいね。
「大丈夫、何でもないんだ」
 何でもないわけじゃないけど、嫌われてるわけじゃないけど……。
 友達かぁ。
 力が抜けてしまうよ。

 嫌われてるわけじゃないけど。
「ポッター?」
「泣いて良い?」
「どうしたんだ? 僕がなにか気に触ることでも言っただろうか」
 マルフォイは本当に心配してくれちゃって、僕の顔を伺おうと肩を掴んで僕から距離を置こうとしたから、もう一度抱き締めた。
 自分がどんな顔をしているのか、自覚が無い。
 君は僕のされるまま、黙って抱き締められていた。
 友達かぁ。

 まあ、男同士なわけだし、僕だってしばらくは好きだなんて思わなかったわけだし。
 嫌われてるわけじゃない。
 こんなに可愛い子からあんなに好きだって言われて、僕も舞い上がっちゃって好きになっちゃって、そこ来て友達かぁ。

 嫌われてるわけじゃないけど。


 そうだよ。
 嫌われてるわけじゃないんだ。

 どっちかって言うと好かれている。
 しかも、ちゃんとよく考えれば、君が猫のハリーに好きだって言った表情は、友達とかにむける以上の優しいものじゃなかったか?
 勿論、僕の希望的観測。
 友達ごときで、好きな人程いじめちゃうとかになるだろうか。
 友達でも、諦めきれないで僕に嫌なこと言われても、僕と話がしたかっただなんて。
 きっとマルフォイが気付いていないだけで、本当は友達以上なんじゃないだろうか。
 僕の希望的観測だけど。

 ここで一度離れてしまうんじゃなくて、お友達から始めましょうか。

 それもいいかもしれない。

 だったら、この作戦は成功だよ。
 もし、僕が猫のハリーだって黙って、好きです、お付き合いして下さいなんて言ったところで、マルフォイは困ってしまうか、最悪僕を男が好きな嗜好として認識されてしまい気味悪く思われたりしてしまったかもしれない。
 急ぐのは良くない。多分。
 勝手な妄想だけど、多分僕が君を好きな気持ちと同じように君は僕が好きだ。
 君はまだそれに気付いていないだけ。

 大丈夫。

 なんだか、僕は本当に力が抜けた。
 すごく緊張していたのもあるけど、なんだか、切ない気持ちと安心とがどっと押し寄せて来て、僕はつい笑ってしまった。
 もう笑うしかないじゃないか。
「ポッター、どうしたんだ? 泣いているのか?」
 心配してくれてるとこ、申し訳ありませんが、僕は今、期待に胸を膨らませて笑っているよ。

「何でもないんだよ」

 ようやく僕は僕と君の間に空間を作ることが出来た。
 ようやく顔を見る事ができた。
 泣いていた跡があるけど、彼はもうすっかり泣きやんでいて、笑ってしまった僕を泣いていると勘違いしていた君はとても不思議そうな顔で僕を見ていた。
 大丈夫。

 友達だったら抱き締めたりあんまりしない。
 まあ、触られるのに慣れているだけかもしれないけれど。
 だから多分………。





15








 僕はにこりと君に微笑みかけた。
 つられて、君も笑ってくれた。


 その笑顔は、いつも猫になった僕にしか見せてくれた事がない、優しいあったかい顔だったから。
 僕に向けて、は、初めてだったから。
 
 やっぱり、好きなんだなあ。


 だから、ついキスをしてしまった時には、自分でも驚いた。

 その笑顔が、とても可愛かったので。

 という言い訳は通用するのかわからないけど。

 吸い寄せられてしまった。
 僕に笑ってくれたから。

 僕のことを嫌いだと思ってたのに、本当は僕のこと大好きな君が、本気で好きになってしまったんだ。

 今まで、僕には嘲笑しか向けてくれなかったのに。

 僕が、見惚れてしまったすごく綺麗な笑顔が僕のものだったから。

 嬉しくて。

 キスをしてしまった。

 ちょっと触るだけのキスだったけど、君の唇は解けてしまうような柔らかさで、猫の時には何度かキスをしてくれたけど、もっと感覚はダイレクトに背骨を熱い痺れが抜けた。
 君の体温はどちらかと言えば低い方だけど、重ねた唇はとても熱くてびっくりした。

 すぐに離したけれど、余韻は僕の中で続いていて。

 好きな人とキスするのは……気持ちが良いというのは、実話だ。

 頭がくらくらするよ。
 もっと、もっとずっと君を好きになってしまうよ。

 ねえ、君は?

「………」
「いつものお返し」

 友達はこんなことしないんじゃないか、とか、きっと抗議の声が上がると思った。
 だけど。

 その顔は、表情がなくて、ただ僕を見つめていて。

 もしかして、怒らせた?
 友達として好きだって言われたんだし。
 キスとか友達同士でするものじゃないんだし。

 怒らせたと思って、

 その時、マルフォイが僕の視界から下の方へ。
 膝が折れてしまったみたいで、へたりと座り込んでしまった。

「ごめん!」
「………」

 マルフォイは何も言わないで、ぼんやり僕を見ていた。
 怒らせた。
 ここまでうまく持って来たんだから、機能しなかった僕の自制心を恨まずにいられない。
 慌てて僕も座り込んで、マルフォイの顔をのぞき込んで、彼の顔色を伺った。

「ごめん、嫌だった?」

 何度、僕がごめんを繰り返しただろうか。

「………びっくりした」

 そう、言った後にマルフォイの顔は見る間に赤くなっていったんだ。
 いつも白くて血が通っているのか心配するほど白いのに、今は耳まで真っ赤だ。

「嫌だった?」
「………いや、びっくりしただけだ」
「もしかして膝にきちゃった?」
「……わからないけど、立っていられなかった」

 どうしたんだろう。
 そう、ぼんやりと言っていたけど。

 もしかして、今のキスで僕と同じ気持ちになってくれていたとしたら。
 もし、すごく僕を感じてくれていたとしたら。

 ひどく嬉しい。
 それって、僕のこと、好きって事だよ。

「気持ち良かった?」
「わからない」

 そっか。
 わからないのか。

 僕は緩む顔が戻らない。
 
「初めてだったんだぞ」

 ようやく思い出して表情を取り戻した君が、僕を睨み付けてきた。
 そんな赤い顔で上目遣いに見られたら怖いどころか、またキスしたくなっちゃうよ。

「僕もだよ」

 僕だってファーストキスは君だったんだから、おあいこだ。お返しだって言ったじゃないか。

「ねえ、マルフォイ。僕達仲良くなれると思うんだ。確かにいきなり仲良くなっちゃうと、僕達が犬猿の仲なのは周知の事実だから、みんなびっくりしちゃうと思うから、しばらくこうやって二人っきりで会おうよ」

 僕はどっちでもいいけど、マルフォイがひどく体裁を気にする方なのは良く分かっていたから、これは譲歩。
 それに二人きりなら、抱きしめたりキスをしたりしてもきっと大丈夫。

「………」

 マルフォイはゆっくりと頬を染めて、そして今まで見た中で一番綺麗な笑顔を僕に向けて、頷いた。

 飛び跳ねたい気分だよ。

 君は僕が大好きだ。
 分かってしまった。

 僕も君が大好きだ。


 だったらきっとすごく仲良くなれると思うんだ。

 友達以上にね。