10(H)

















 生活が、変わった。

 変わったのか、僕はあまり最近のことを覚えていないからわからないけれど、最近の僕はとても帰るのが楽しみだ。

 帰れば、彼が僕の帰りを待っていてくれている。

 練習の後、試合の後、疲れて帰ると、家の中の空気が柔らかい。
 いつも真っ暗な部屋は、柔らかな光にあふれて、空腹を自覚させるような香りが漂う。

「お帰り、ハリー」

「……ただいま」

 ただ、これだけのことなんだ。
 僕がずっと欲しがっていたのは、こうやって僕を迎えてくれる人が家にいることなんだ。
 ずっと、家族に憧れていたから。
 僕は嬉しくて、微笑んでしまう。ニコラスも笑ってくれる。


 ずっと、こうやって続けば良いんだ。今このままがずっと続けばいい、そう思う。


 ニコラスがずっと僕の家にいて、僕を待っていてくれたら、きっと僕はそれで満足できると思う。

 彼と話すのは楽しかった。ニコラスは本当にクィディッチのファンのようで、色々なチームの戦略など、僕に教唆してくれたりして、その案はとても素人とも思えなかった。

 ニコラスの事が知りたい。思い出せばいいだけなんだ、きっと簡単なことだと思うのに……僕の記憶の引き出しはきっちりと閉まってしまって、開いてくれない。

 きっと、僕の記憶の中にある黒い部分に彼がいるんだ。それはわかっているのに。


 思い出そうと努力をしても、前は激痛に苛まれたが、今ではもう何もない。君がそこにいるんだとわかっているのに、大きな壁が立ちはだかる。超えられない、ぶつかるだけ。


 早く、思い出したい。


 君の事を早く思い出して、君の事を知りたい。

 君の事を一刻も早く思い出して、もっと彼を知りたいんだ。



 思い出したら、ニコラスは笑ってくれるかな。











 僕は、
 彼が好きなんだ。





 ニコラスの事を忘れても、だからなのだろうか、僕は彼の事が好きだと思った。


 綺麗な君。

 精巧に造られた人形のようで、同じ人間だとすると、神様は頑張ればこうやって人を美しく造れるのに、いつもは何で気を抜いているのだろうと思ってしまう程に、彼の美貌は際立っていた。
 そんな彼が笑うと、空気の中に花が咲いたように感じてしまう。
 僕はもともと面食いだと思っていたし、親友達にもそう言われ続けていたし、そう思うところはあったけれど……こうなると完全に認めざるを得ない。
 確かに彼は中性的な容姿をしているとは言っても、男であることには間違いないのだから。


 彼は僕のファンだと言い、友人だとも言った。きっとそれが、正しいのだろう。彼の態度は、友人の線を越していなかった。話をして、笑いあうだけの仲。
 見合いが嫌で家出をしたとも言っていたが、それもきっと正しいのだろう。
 彼からは生活感のある庶民的な香りはせず、正された姿勢や立ち居振る舞いはある程度の身分がある事は簡単に想像がついたから。ただ、料理は上手だった。
 口調だって学生の頃スリザリンにいた嫌味なお坊ちゃんに良く似ているような気がするし、それにクィディッチの選手などをしているとチーム運営の出資者が貴族である事が多く、その人達の口調とも似ていた。
 ニコラスの場合はその口調がまた凛としていて僕は好きなのだけれど。

「今日は何をしていたの?」

 僕が帰って来るといつも僕が彼にする質問。僕の家には何もない。

「家にいたぞ」

 どこかにでかけているのだろうか。本を読んでいたとか、散歩をしていたとか、そんなことばかり。

 つまらなくないのかな。もし、僕の家がつまらなかったら出て行ってしまうのではないだろうか。

「今日は本を読んでいた」

 本は……彼の持っている本は一冊だけ。分厚い本だけれど、それでも僕だって昼間ずっと読んでいたら読み終わってしまうよ。
 僕の生活の中に君が来てから……僕が君を忘れてから、もう一か月は経つんだ。

 君は僕がいない間、何をしているんだろう。

「何か欲しいものはない?」

 今日の夕食はシチューにパンとサラダ。
 おなかが空いた僕はがつがつ食べる。本当においしくて。
 ニコラスは上品にパンを小さく千切ってから口に運ぶ。

 服は少し大きないけれど僕の服を貸している。僕の持っているトレーナーは彼にはあまり似合わなかったけれど、それでも彼は僕の服を朝選びに来る。

 欲しかったら、買ってあげるのに。

「鍋がもう一つあると便利だな」
「鍋ですか………」

 君が喜んでくれるなら、なんでも買ってあげたい。なんでもしてあげたい。

 洋服は白いシャツと細身のパンツが似合うだろうし、もし好きならアクセサリーなどで彼の肌を飾ってもいいかもしれない。
 僕は、彼に無断で頭の中にいるニコラスを色々着せ変える。
 今度、何か買って帰ろう。何か………。

 指輪とか買って、こっそりとペアで持つのも良いかもしれない。気付かれないように。

 でも彼の指と僕の指は、全然ちがう。

 こっそりと見比べて……。

「あれ?」



 僕の指に。


 僕は指輪なんかはめる習慣はあったのだろうか。女性がアクセサリーで身を飾るのは好きだが、僕自身がつけるのはただ邪魔なだけだ。今までの彼女にペアリングをねだられたことも何度かあったけれど、僕は頑なに拒否し続けた。だって僕には似合わないだろう?

 そう、思っていたのに、今まで気付かなかったから、気にならなかったようだ。
 ただ、リングなんて僕のガラじゃないのに。

 それに僕は今特定にお付き合いしている女性もいないのに、薬指に……。僕は一体何を考えているんだろう。

「なんだ?」

「いや、別になんでもない」
 そして、彼の中指に、シンプルなプラチナの指輪。光沢を消したそれは繊細な彼の指を飾る。

 デザインは僕のと似ていた。同じデザインじゃないのだろうか。




 いつから僕はこの指輪をはめていた?
 最近、リングをはめた記憶はない。買った記憶も随分昔の彼女への石の付いたものだし……。アクセサリーを売っているような店には僕はあまり入らないように思う。


 僕は、彼を忘れる前から彼のことが好きだったのだろうか。
 彼が指にはめているリングは僕が送った物だろうか。




 好きだったのかな、やっぱり。

 それは、ほぼ確信に近い。彼を好きだと思う気持ちはすんなりと受け入れられた。その気持ちに違和感はなかった。
 僕はきっとずっと彼が好きだった。


 僕は君に気持ちを伝えていたのだろうか。



 君に、君は僕の気持ちを受け取ってくれていたのだろうか。

「ねえ、ニコラス、その指輪って僕のと同じ?」

 僕は彼に手を差し出して、その指輪を見せてもらおうと思った。
 ニコラスは、ただ笑っただけだった。笑って、

「すまない、抜けなくなってしまったんだ」

 見せては貰えなかった。ただ、肯定も否定もしなかった。

「外してあげようか?」

 リング自体に呪いがかけられているようでもないので、魔法を使えば簡単に外れるから。

「別に邪魔になっていないから」

 立ち上がる。声は冷たい。
 僕はまた何か怒らせる酔うな事をしてしまったのだろうか。記憶がないと何が地雷になるのか分からない。


 僕達が食べ終わった食器を彼はキッチンに持って行く。シンクで水音がして食器がかしゃかしゃとぶつかる音を立てていた。音が聞こえる最中に、ニコラスが紅茶を持ってきて僕に勧めてくれた。魔法で洗い物をしているんだろう。随分日常的な魔法も覚えているようで、彼のその外見からは想像も付かない。

 食後にいつも出される紅茶は、すっきりとした渋味があり、とても美味しかった。僕のうちにあった紅茶のはずだけれど、僕が煎れた時はこんなに美味しくなかった。


「ああ、あと紅茶も欲しいな。欲しい紅茶はこの辺りには売ってないから」

「紅茶って葉っぱでしょ?」
「銘柄があるんだ。高ければ良いって物じゃない」

 戻ってきたニコラスはいつも通りの口調に戻っていた。いつも通り、向かい合って座って、いつも通り夕食後のお喋り。

 僕はこの時間が一番好きだ。

 ゆっくりと流れるんだ。

 君の笑顔がとてもきれいだし、僕は君を手に入れていたのだろうか。





 それでも彼の態度は……


 友人の域を脱していないように僕には思えた。




 僕は次の日彼に似合いそうな指輪を買って帰った。












070529
誤字脱字チェックしてません。間違えていたら教えてください。見直す気力、ない・・・・・・
早く続きが書きたい