暗黙2






















 彼の顔が、ふと。




 窓に視線が向けられた。





 僕のいる方。








 僕と、視線が絡み合ったのがわかった。











 彼の顔が、驚愕に歪んだ。










 涙を零して、唾液で濡れた唇。それも頬を伝って……。





 視線は、僕に向けられていた。







 彼が、僕に気付いてしまった。

 苦痛ではなく、僕の存在を確認して、認識して、そしてその表情………。




 僕に、見られたくはなかったのだろう。
 僕だけには………そう思うことはただの自意識過剰なだけだろうか……。彼は僕なんてそんなに大した評価を持っていない、そう思うべきなのだろう。けれど、この顔は………。



 僕は、どうすればいい?


 今更君を助ければいい?


 見なかったふりをして、このまま立ち去ればいい?




 彼は、今までと同じように声を上げながら、中に他人を受け入れながら、







 人差し指で二回ほど床叩いて、
 手の平を僕に向けた。






 それが何を意味しているのかはわからなかったけれど、



 ここに来るのは待てという意味だろうか。




 去れ、という合図ならば、手の甲で払う形を作るだろう。

 逆に来い、であるならば手招きするはずだ。



 待て?




 僕がどうすればいいのかわからないからそのまま窓から彼を見ていると、彼は僕を見て、少しだけ頷いて、ほんの僅かだが、唇の端を持ち上げた。



 それでいい、と言うように。






 僕は、彼の声を聞きながら、その行為が終るのを待った。







 僕は、ぼんやりと彼の顔を見ていた。


 顔は上気して赤く、艶めいた表情を時折見せながら、喘ぐ。
















 本当は、すぐに彼の元に行って、二人を殴り殺したかったはずだ、僕は。
 本当は、僕は彼に触れる全ての人間を排除してしまいたい。



 僕だけが、彼に………。










 本当なら、僕は……。



 その感情は封印したから。僕の中から消し去らなくてはいけなかったものだ、彼のために。

 これは、あってはならない。そう感じてはいけない。

 彼は、僕のこんな感情を望んではいない。だから、僕は彼のためにそう思う事が出来ない。









 二人がいつの間にか離れていて、一人は彼の指先に、もう一人は彼の足の甲に口付けていた。



 彼はぐったりとしていて、指先すらも動かす気力がないようで……。

 白い白い身体。











 扉が開いた。


 僕は息を殺して、壁に張り付くようにして小さくなる。


 二人はローブのフードを被り、視界は狭いようだから。
 二つの後姿が闇の中に溶け込む。






 二人が去った後、僕は扉を開けた。



















「…………」


 彼がこのまま床に沈んでしまいそうだ。

 僕は彼を見下ろした。




 動かないけれど、呼吸だけが荒い。













 僕は床に転がる彼のそばにあるベンチに腰を掛けた。

「………」

 僕は、彼に何を言えば良いのだろう。彼は僕からどんな言葉を望んでいるのだろう。色々と頭の中で言葉を探すが、適切な表現が見当たらない。きっと、僕はここで彼の為になる事をしてはいけない。だからと言って放っておくことなどできない。


 ふだんから彼は細身ではあったが、床に転がる姿は、本当に小さく見えた。喩えるならば猫の死骸のようだった。

 剥き出しになった足がやけに白いのが目立つ。


 こちらを向いているが、その目はきつく閉じられ、苦しげに眉根を寄せていた。
 呼吸が荒いから、生きているのは分かるが。
 僕は声を掛けるための言葉が見つからずにただ彼を見ていた。
 保健室に連れて行った方がよいのだろうか。だがきっと彼はそれを望んでいないだろう。考えるんだ、彼が今一番望んでいる事を。


 逡巡をしていたら、アイスグレーの瞳がこちらを向いていた。体は動かさないで、知らないうちに瞼を開いていた。

 僕を見ているというよりも、僕の周囲を含めた光景をぼんやり眺めているという感じの目付きだ。

「マルフォイ?」

「………」

 まだ、返事がない。まるで気付いていないかのように。
 しばらく、無言。息遣いだけが聞こえてきていた。喋ることも出来ないほどに疲弊しているのだろうかと、もう一度呼びかけようかと口を開きかけた。





「………何の用だ」




 ひどく聞き取りにくい、呟きに近い声だった。


 何の、用?
 君が、僕を呼んだのではなかったのか?


 あの合図は?





「いいザマだと思って」

 僕は滲み出して来ていた感情を押し潰すように声を絞り出した。



「じゃあ、しっかり見ておけ」



 彼は身体を起こそうとして、少しだけ上体を持ち上げたところで、鈍い呻き声をあげて再び床に転がった。

「大丈夫?」
「貴様に心配される義理などない」


 彼の声が苦しそうだと言うのを除けば、いつも通りの口調だった。僕にもそれを強要しているのがわかる。僕も、彼と同じ温度に下げなくてはならない。




「ねえ、よくあるの?」
「何が」
「こんなこと」
「あってたまるか」

 吐き捨てるように。

 ただ、その姿のままではいつもの威厳も何もない。
 無様に床に這いつくばって、いつもきちんと正している装いはぼろぼろに引き裂かれている様は、なかなか僕の機嫌をよくした。良くならないといけない。嘲るぐらいまで……彼はきっとそれを望んでいるんだ。






「他言はするな」
「言って欲しいなら言うけど」
「………」
「別に君にそれほど興味はないよ」


 それは、嘘だ。

 僕は……その言葉を彼が望んでいたから。言わされたんだ。
 君に興味を持ってはならない。そうでしょう?




 彼はそれを聞くと、凄絶な笑みを向けた。この顔を見たのは久しぶりだ。


「それは、感謝する」

 綺麗だと思った。
 作り物のような顔。
 腹立たしいくらいに綺麗だ。

 はだけた胸元からのぞいた喉元の噛み跡が、赤く生々しいので、僕は目を逸らした。彼のシャツは片腕に絡み付いているだけだ。




「あの人達誰?」
「僕の信望者だ」

 彼は何でもないことのようにそう言った。

「何、それ」

「僕の言うことを何でも聞く犬さ」

 彼はそう言ってクスクスと笑った。立てないほどのダメージを受けているくせに、それでも彼の態度は尊大だった。



「それでそのザマ?」

 どう見ても彼が望んでいたとは思えない。どう見ても彼は無理矢理犯されている様にしか見えなかった。

「ああ、まったくだ。一人なら何とかなると思ったのだがまさかあの二人が一緒に来るとは思わなかった」

 彼は忌々しげに飼い犬に噛まれた気分だと、そう言いながら上体を起こす。ミシミシと言う音が聞こえてきそうだ。痛むのか、その綺麗な顔は歪められていた。
 僕は、今ここで彼に手を貸しても大丈夫なのだろうか。助け起こしたら、彼は僕をどうするのだろう。



「他にも君の信望者って言うのはいるの?」

 そんな奴等がいるなら、もし他にもいるなら……。

「あと八人今みたいのがいる。ほとんどスリザリンだが……他の寮にも一人づつくらいはいるな」

 彼の口調はあっさりとしたもので、僕は予想以上の数字を聞かされた。


「グリフィンドールにもいるんだ。誰?」


「僕に興味はないのだろう?」

 無駄な詮索はするなという言外のプレッシャーに僕は口を閉じた。
 僕はこれ以上何か言うことはできない。
 僕は黙って彼を見ていた。彼から何かあるまでは僕は黙っていることが一番だろうけれど。



 彼が、僕に何かを望むまでは僕は何も出来ない。










「気持ち悪い……」

 彼はぼんやりとそう呟いた。






















被害者ぶった偽善者

↑何か文章中に使ったけど削除して、だけど気に入ったから残しておいた模様。いきなりこの文章だけがあっても何のことやらさっぱり。
だからと言ってこれをどうしろと。

070404