近距離走 5
追いかけなければならないような気がした。 そうしないともう二度と彼のあの笑顔と会えない気がして……。 背中を追いかけた。 マルフォイの足はすごく早くて、彼の体調が悪いことなんかは忘れてしまいそうだった。 見失わないように僕は必死で付いていく。 どのくらい走ったのだろう。いくつも角を曲がって、だいぶ僕の息も上がって来たところだ。 (この先は確か……) 行き止まりだ。 彼は、それでも速度を緩めずに、走る。 そして壁にぶつかるようにして、ようやく止まった。 そのまま、ずるずると壁に沿って重力の働く方向に落ちて行き、壁の下の小さな塊になった。 僕は、どうしていいのかわからなくて、ただ彼の背中を見ながら立ち尽くす。 マルフォイの肩が小刻みに震えていた。 (泣いてる?) 彼が、何を思っているのかわからない。 壁に縋るような小さな背中を、僕はどうしていいのか全然わからない。 なんで追いかけてきてしまったのだろう。 「……どうしよう」 小さな呟きだった。 でも遠くで針を音してもわかりそうな程静かだったから、はっきり聞こえた。 震える小さな背中。 抱き締めて、涙を拭いてあげたかった。 どうしよう。 誰かがいるところで、彼が泣くはずなんてなかったから、僕には気付いていないのだろう。 マルフォイが泣いているなんて、それを見てしまうなんて、とても彼に悪いことをしているような気分だ。 プライドの高い彼にとって、きっと人前で泣く行為は敗北と同じ意味を持つだろうから。 声をかけて、僕の存在に気付いて欲しい反面、気付かないでいてもらいたいという気持ちも少しあった。 でも僕はここから動くことなんて、できない。 どうしよう。 それは、ほとんど僕の台詞だ。 僕は、ただ黙って彼を見ていた。 長く感じた。 このまま永遠が訪れてしまうのではないだろうかなんて、無駄な心配をするくらいに長く感じた。 ふと、彼の身体が傾いて行く。 倒れる、と思った。 「マルフォイ!」 僕は、気がついたら彼の腕を掴んでいた。 細い腕だった。 「…………!」 ひどく驚いた顔で、彼は僕の顔を見つめた。 顔は涙でぐしゃぐしゃにして、金色の長い睫毛を濡らした彼の瞳が大きく開いて僕を見た。 ぞくぞくした。 ブルーグレーに吸い込まれそうだ。 目眩がする。 泣いていたんだ。 僕が、泣かせたんだ。 彼は僕に対して涙を流している。 涙を溜めた眼が、僕を映している。 見つめあって、どのくらいだったか、もしかしたら瞬間だったかもしれないけれど、この時ばかりは時間なんか流れてなかった。 「あ……大丈夫?」 何をきっかけにして声が出たのかはわからない。 掴んだ腕が熱かったからなのか。 「……なんで、君がここにいるんだ」 声は震えていた。 絞り出すような声だった。 疑問形ではなく、僕を責めていた。 また、双眸から涙が溢れ出した。 自失した表情が感情を取り戻してきた。 顔を歪めて、唇が震えた。 涙が頬を伝い、滴を落とす。 「逃げたから」 逃げたから、逃げて欲しくないから、だから。 ただ、僕の名前を呼んで笑って欲しかっただけなのに。 「だって……一番君がここにいちゃいけないんだ」 「……なんで、僕なの」 なんで僕がそんなに嫌なの? 怖がらせたから? 僕が嫌いだから? 詰問したい気持ちでいっぱいだったけれど、言葉にならなかった。 「君が、僕を嫌いだから」 「だから、君は僕が君を嫌いだから僕のことが嫌いなの? だから僕から逃げたの?」 顔が、険しくなって来ているのがわかる。 すごい形相できっとマルフォイを睨んでいるに違いない。 マルフォイから、僕からの視線を避けるために、俯いてしまった。 こっちを見てよ。 目を逸らさないで。 俯いた顔を両手で包みこんで、無理やりに僕の方に向けさせた。 けれども、彼はぎゅっと目を閉じて、その綺麗な瞳に僕を映してくれない。 涙の筋が増える。 「君を嫌いになるように仕向けたのは君じゃないか!」 「だって、仲良くなれないなら、僕を見てくれないなら、だったら……」 嫌われても、僕のことが好きだったの? 「でも……これ以上嫌われたくない」 滴が落ちた。 胸が痛い。 胸が潰れてしまいそうだ。 僕が勝手に動いていた。 マルフォイを、腕の中に閉じ込めていた。 きつく抱き締めて、もう少しも離したくなくて、腕の中の小さな身体が折れてしまいそうな程抱き締めていた。 離したくない。 なんだろう、この執着は……。 しばらく、マルフォイは身体を強張らせていたが、そのうちに僕が離す気がないことを悟ったのか、だんだんと力を抜いて行った。 僕に体重を預けて、落ち着いて来たのか、今度はまた思い出したかのように泣き始めた。 彼の頬が当たる首筋が熱かった。 嗚咽を漏らす度に震える身体を抱き締めて、さっきまでの力一杯抱き締めていたけれど……どちらかと言えば逃がさないように捕まえていたけれど、今度はあやすような優しい抱擁。 彼に対してだけではなく、僕が誰かに対してこんなに優しい気持ちができるなんて考えたこともなかった。 とんとん、て心臓よりだいぶゆっくりとしたリズムでマルフォイの背中を叩いた。 僕はこんなことされた記憶はないけれど、こうやると落ち着いてくることは知っていたし、やりたいと思ったわけではなく、自然にこうなった。 彼もなんだか落ち着いて来たのか、徐々に泣きやんで来ていた。 それにしても、首筋が熱い。 直に触れているからもあるが、そういえば彼は体調を崩していたことを思いだす。 「保健室いかないとね」 こんな寒い廊下でよけいに悪化してしまう。 けれども彼は嫌だと言う意思を首を振ることで伝えてきた。 「外で寝てたから風邪ひいちゃったんでしょう?」 もう一度、彼は頷いた。 いつになく素直な彼に苦笑を押さえられない。 本当に、信じられない。 この腕の中の小さな身体が、あのマルフォイだなんて。 僕のことが好きだから、ずっと僕の気を引くためにあんな態度に出ていたなんて。 僕の顔は崩れまくっている。きっと未だかつてないほど締まりのない顔をしているに違いない。 こんなに僕のことを想ってくれていたなんて。 もう一度、強い力で抱き締めようと思ったら、 突然、 マルフォイが、僕との距離を引き離した。 急にその空間に寒さが生まれた。 「なんで!?」 離れたマルフォイの顔は耳まで真っ赤だった。熱が出ているせいじゃない。 なんで、て何が? 「ああ、ローブをかけたのは僕だよ」 にっこりと擬態語が付きそうな笑顔で彼の顔を覗き込んだ。 「ねえ、もう一度僕をハリーって呼んでみてよ」 彼はくちをパクパクさせて何かを言いたそうにしていたが、言葉にならずに終わる。 しばらくの間、表情を喪失させていたが、僕の手を振りほどいて立ち上がった。 急な動作だったので、僕は慌てて彼の手を掴んだ。 離したくなかった。 「どこ行くの」 「保健室」 ああ、そう言えば風邪をひいていたね。今握っている手だって、とっても熱いから。 本当はこんなことやっている場合なんかじゃなかったのに。 「一緒に行こうか?」 「断る」 もう、いつものマルフォイだった。 「ねえ」 「何だ?」 「ドラコって呼んでいい?」 マルフォイの顔が、目に見えて真っ赤になっていった。 そんな様子は、本当に可愛くて。 何で僕は今まで彼の事を見ていなかったのか悔やまれた。きっとずっとこんなに可愛かったんだ。 「馴れ馴れしい」 「じゃあ、僕のことはハリーって呼んでくれればいいよ」 「そういう問題じゃないだろう? 君と僕は仲が悪いんだ」 「じゃあ、二人しかいない時はそうやって呼んでよ」 僕は、彼の手を握る僕の手に力をこめた。 頷かないと、手は離しません。そういう一種の脅迫にも似ていると思う。 「ね」 僕は、もう一度確認のためマルフォイに笑いかけた。 勿論、君に拒否権なんてありません。駄目だなんて言ってもそれは許さない。 「…………」 ドラコは、顔を真っ赤にさせて、俯いて、少しだけだけど、でも本当に頷いた。 |
書きたかったのは、にやけるハリーが気を引き締めて怖い顔になって、それにおびえるドラコ
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