義理 







 扉が、二回叩かれた音がした。

 だから、僕は扉を開けて黒崎を迎え入れた。

「……どうしたの、黒崎」
 どうしたの、なんて訊いたけど、下手な質問だったかもしれない。

 黒崎は、ずぶ濡れ。霊体のままで……ああ、雨が降ってる。そんなことに、今更気付いた。いつもは徒歩だけれど、雨だからバスの方がいいかな。バスは混んでしまうから、早めに家を出た方がいいかもしれない。今、何時だろう……。


「……石田」
 黒崎は、ずぶ濡れのままで、玄関に立ち尽くして……僕に視線を合わせようとしなかった。

 虚が出たことには気付いていた。ただ、本当に小さな霊圧だったから、黒崎だったら問題ないだろうって思った。黒崎がすぐに到着し、あっという間に虚の気配は消えた。もう、寝る準備は出来ていたし、パジャマにも着替えてしまっていた。虚は、もう居なくなった。僕の仕事じゃない、死神の仕事だ。だから、僕はそのまま眠りにつこうとして……。
 でも、眠れなかった。
 虚を倒してから、しばらくその場に黒崎は居た。どのくらいだろう、布団の中で僕は、黒崎の霊圧をずっと追っていたから、僕の家に向かっていることは気付いていた。


 全然、大丈夫じゃなかったんだ……。
 雨が、降っていたことには気づいてなかったけれど……大丈夫じゃ、なかったんだ。




 あの時も、雨が降っていた。
 僕が、先に到着し、でも……僕が負けるような虚じゃなかった。とても弱い個体だったのに……僕は動けなくなってしまった。祖父を僕の前で殺した虚と、とてもよく似ていたんだ。同じ個体じゃないのは解っている。でも、とても、似ていた。
 動けないまま……どうやって、虚を滅却したのか覚えていないほど……ただひたすら弧雀を放ち、気が付いた時には後ろから、黒崎に抱きとめられていて……目の前には、もう虚はいなかった。
 僕は、あの時の光景を目に焼き付けたまま、何をしていたのか、覚えていなかった。
 ただ、怖かった。
『もう、いいんだ。もう大丈夫だから!』
 後ろから、僕を抱きしめる腕は、力強くて、温度なんてないはずなのに、暖かいって思ってしまって……。
 僕は、泣いてしまったんだ。
 怖かったって、みっともなく、黒崎の前で泣いた。
 後ろから、抱きしめられていたままだったから、前じゃなく後ろだったけれど。きっと気を使ってくれたんだろう。僕の顔を見ないようにしてくれたんだと思う。
 実際泣いていたのか、ちゃんと僕が泣けていたのかは、自分でも解らない。ただ、震えていた僕を黒崎が抱きしめていてくれたことは、事実だ。もし、涙が流れていても、雨が降っていたからって、気が抜けていた。

『みっともないところを見せたね』
 黒崎は、何も訊かなかった。僕の事に、興味がないだけだとは思うけれど……でも、それは、嬉しかった。
 嬉しくて……それが、黒崎だと言う事を、解っていたのに、目の前の霊体を見たら実感してしまって、恥ずかしくて、情けなくなってしまった。こんな所を黒崎に見られるなんて……。
『……ん、いや。まあ、そんな時もあるだろ?』
 そんな時が黒崎にあるのかどうかは解らないけれど、でも黒崎の前で泣くなんて、弱みを握られたような気分だった。
『じゃあ、君がそんな時は、僕の所にくればいいよ。今回の分くらい、僕が同じことをしていてあげる』
『は?』
『そんな時は、ちゃんとこの借りは返すよ。君のことぐらい受け止めてあげられる』
『いや、いいって。こんなこと、貸しとかにさせんなよ。てか、そんな時ねえよ』
『約束だ、黒崎……頼む』
『石田?』
『だって、君に、あんな、所を見られたんだ。約束くらい、してくれ。君が困ったときは助ける。潰れそうな時は支えになる、苦しい時はそばにいる。約束だ』
 情けなくて、僕が弱い人間だって、黒崎に知られてしまったことが恥ずかしくて、でも、こうやって約束しておけば、黒崎がいつか何かの時、僕に弱みを見せに来るって、そう思えば少しだけこの羞恥から解放されるような気がしたんだ。もしそんな時が来なくても、せめて約束してくれればって、その時は切実にそう思っていた。
『そうじゃないと……僕は』
『……お前って、本当、変な奴』
『………』
『どっちでもいいけどさ、じゃ、そんな時があったら、頼むわ』

 笑顔は、馬鹿にしたような顔じゃなかった。
 その時が来るかもしれないって思って、そのことに安心して、僕は、その時のことを忘れるようにした。黒崎のことだから、きっと忘れてしまっているだろうって思って。

 黒崎は、忘れているって思ってた。


 でも、今ここに居る。
 黒崎は、あの時の僕に義理立ててくれたんだろうか。

 ずぶ濡れになって、真っ青な顔で、俯いて……黒崎が、普通じゃないのは解った。何があったのかは解らない。でも、何かあったことは解る。








「石田……」
「あがりなよ。不審者みたいだ」
「俺、今霊体」
「君が霊体なら僕が不審者みたいだろ」

 玄関に立ったままでいる黒崎の背後の扉を閉めた。鍵を占めて、数歩歩いたところで、後ろから抱き締められた。

「……黒崎?」
「悪い。ちょっとこのままでいい? 顔、見られたくない」

 何があったのかは、知らないけれど、僕にも返したい借りがあるんだ。
 雨の雫が頭から落ちてた黒崎の顔は見ていなかった。どんな顔をしていたかわからないけれど、雨で濡れていたんだって、僕はそう思っている。そう、おもってあげる。
 辛かったら、僕のところに来てくれって。そしたら、君が僕にしていたように、僕が君を抱きしめていてあげるって、その時はそう思ったのに。

 これじゃ、逆だろ?

「……仕方ないな」
 仕方がないって言いながら、僕は嬉しかったんだ。黒崎が、ちゃんとぼくのところに来てくれたことが、嬉しかった。

「石田……俺」

 理由なんて、言わなくていいのに。君が、落ち着けばそれでいいのに……君が、大丈夫にになるまで僕がそばにいてあげる。
 そう、約束しただろう?

「いったら、迷惑になるって、思ってたけど、やっぱりお前の所に、行きたくて……どうしようもなくて」
「……大丈夫だよ、黒崎」

 僕は、君に借りがあるんだ。今、ちゃんと返してあげるから。そばにいてあげるって、約束したのに。

「俺……」
 黒崎が、震えていた。
 僕に回された腕が震えていて、でも強くて……何が、あったんだろう。でも、気になるけど、それを僕が知る必要はない。

「黒崎、大丈夫だよ。僕が、そばに居てあげるから」

 落ち着かせるようにして、僕は僕の身体に回された腕に触れた。本当は、逆なのに。僕が、君を抱きしめてあげようって思っていたのに。でも、黒崎がこうしてたいなら、これでもいいけれど。


「俺……もう、どうしていいか、解んなくて」
 言いたくないなら、言わなくていい。でも言いたいなら、聞いてあげる。相談だったら乗ってあげるし、

「君のことぐらい、受け止めてあげられる」

 僕が、そう言ったの、覚えていないのだろうか。
 大丈夫だって。君程度で一緒に潰れたりするほど、僕は弱くない。
 潰れそうだった僕を君が守ってくれたんだ。だから、今度は僕の番だ。

 僕達はまだ大人じゃなくて、強いつもりだけど全然強くなれてなくて、でも、こういう時、潰れそうな時、僕がいたら、君がいたら、二人だったら、支えにはなれるって思うんだ。


「俺……お前のこと好き」

「………黒崎?」

「だから……どうしていいか、解んねえんだよ」
 意味は、あまりよく、理解できなかった。
 でも、黒崎が震えているのは本当で、顔が見たいって思ったけれど黒崎は放してくれなかった。でも、きっと嘘を言っているわけじゃないことくらいはわかる。

「僕も、どうしていいか、解らない」
 そんな事、考えたこともなかった。黒崎が、僕をどう思っているのかなんて、僕は考えたこともなかった。

「だろ?」
 当たり前だ。友人よりも少し遠い関係で、仲間という絆に近い関係だって思っていた。そんな級友で。

 ただ、僕が黒崎に助けられたことがあるように、僕も黒崎を助けることができたらいいって思って、僕が黒崎を助けたいって思って、二人でいたら、もっと強くなれそうな気がして……。


「どうしようか」
 困ったなって、思いながら……でも、僕の結論は、もう出ていた。

 でも、黒崎の気持ちを聞いて、そんな昔の約束なんかよりも、嬉しいって感じている僕がいて……。

「黒崎は、今、苦しい?」

「苦しい」
「辛い?」
「ああ。潰れそう」
 君が苦しい時はそばにいてあげないとって、そう思ったんだ。僕はそう約束した。
 君が困ったときは助けるって言った。今、黒崎は困っているんだから助けないと。潰れそうな時は支えになるって言ったんだから、黒崎が潰れそうなら、僕がとなりにいないと。
 苦しい時はそばにいるって、言ったんだ。僕は、約束は守るよ。

 そんな過去の義理なんかじゃなくて、僕は黒崎の気持ちを、素直に嬉しいって感じているんだ。


「これは僕の考えだけど、僕が君を好きになるというのはどうだろう」



 今、思いついたふりをしながら、最初からきっと答えは出ていたんだ。












20130731

20110615(たぶん)に独り言にアップしたやつ。400文字→3500