Full Moon 06








「石田? 昼休み終わるけど、起きれるか?」
「………あ」
「保健の先生はこれから出張だってさ。お前起きたら帰すように言われた」

「……黒崎」

 黒崎の背後でカーテンが揺れた。窓が開いてるんだ……など、ぼんやり思った。


 まだ、居たんだ。それとも、また居たのか?


 枕元に立つ黒崎の首に、絆創膏が貼ってあった。自分で貼ったのか、あんまり上手に貼れてない。
 さっき、流れた血がシャツを汚したみたいで、少し錆びた色になった赤いシミができてる。

 首筋の傷口から甘い匂いがするけど……もう、大丈夫だった。お腹が好いてない時に美味しそうな匂いをかいでも、それほどそそられない。美味しい匂いだって思うけど、黒崎の血の匂いでおかしくなった、さっきみたいな苦しいほどの感覚は、もう無かった。



 さっき……僕は黒崎の血を飲んだんだ……、やっぱり。黒崎の首に貼ってある絆創膏がその証拠だろう。
 それに、さっきまであんなに美味しそうで、逆らいがたい欲求は、消えていた。

 僕は、血を飲んだ。黒崎の血を飲んだ。それがとても美味しかった。美味しくて……その事実に何より僕は目眩を起こした。
 血を飲んだ事で貧血になるなんて……馬鹿じゃないのか?





「……お前どうしたんだ?」

 こっちが、訊きたい。
 今まで何でもなかったのに。今まで生きてきて、ずっとこんなに乾かなかったのに……。

 高校に入ってから。黒崎と同じクラスになってから……満月になると、とろけそうな甘い匂いが教室に充満した……。



 乾く、と感じたのも、それから。
 からからになって、僕が渇いて、砂になってしまいそうな気がした。

 満月の日にその欲求が強くなるけど。我慢すれば、乗り切れていたのに……どんどん、匂いが強くなる。我慢ができないくらいになって……。



 僕は、さっき、黒崎の血を飲んだ。






「僕は吸血鬼だから、満月の日には血が飲みたくなる……って言ったら信じる?」



 僕は信じたくない。
 そんな馬鹿げた話、どうやったら信じられる?

 だけど、黒崎の血は……美味しかった。

 すごく……美味しかった。

 きっとまたあの味を確かめるためなら、僕は何でもしてしまえると思えるほどに、黒崎の血は美味しかったんだ……。
 僕は、黒崎の血の匂いが甘くて苦しくておかしくなってしまいそうな感覚を覚えている。本当に、苦しかった。
 そして、黒崎の味を覚えてしまった……。

 すごく、美味しかった。




 だからといって、吸血鬼だなんてお伽噺じゃないか!
 サンタクロース以下の存在だよ。

 僕は枕元に居る黒崎を見ていられなくて横を向いた。正確には、黒崎の血で汚れたシャツと絆創膏……だって、僕が……。





「馬鹿言ってんじゃねえ」

 ほら、やっぱり……、そんな強引な話を誰が 信じる?


 言い訳を考えた。
 だけど馬鹿らしくてやめた。
 何を言っていいのかわからない。
 だから、言い訳を考えるのをやめた。


 でも、どうやって、黒崎に謝罪すべきかもわからない。
 黒崎が僕を見る視線に嫌悪が込められる事に、僕は耐えられるのだろうか。

 ごめん、って、そう言ったら、黒崎は許してくれるだろうか?
 許してくれると言っても、やはり僕は黒崎に変質者扱いされてしまわないだろうか……それは、嫌だと思った。

 どうすれば……許してほしいと思っているわけではないけれど……。




「……って、言いたいけど、お前がそう言うなら信じるよ」



「え?」



 ……何を、言って居るんだ、黒崎は?
 もしかして黒崎は小学校を卒業するまでサンタクロースを信じていたりしたのか? 馬鹿でも知ってるよ、吸血鬼なんか架空の生き物だって。




「さっきお前が噛んだ痕、変だったし。普通の歯形じゃねえの。蛇に噛みつかれたみたいな痕してた」


 それは、僕も……確認した。

 今口の中に違和感は無いから、僕の歯は人間の歯をしているはずだ。



 でも……僕は、さっき、黒崎の血を飲んだ。
 あの全身に震えが走るような、甘い感覚は、覚えている……覚えてしまった。




「………それは、手品だとは思わなかったのか?」

 僕だったら、その可能性をまず考える。吸血鬼だなんて非現実な結論を出すのは一番最後だ。


「お前が? 俺に? 何の為に?」




「………嫌がらせ?」


 に、したって……色々と黒崎には迷惑をかけられているけど、それでも流石にそんな事はしないけど。

「………マジ?」

「いや、冗談だけど」


 黒崎が、あまりにも驚いた表情をするから、慌てて否定してしまってから、もし僕の嫌がらせだと信じてもらえたなら、そっちの方が良かったんじゃないだろうかって気付いた。訂正するのはもう遅いかもしれない。

 僕は、黒崎にどんな目で見られるのだろうか。今、僕は何て思われているのか、気になった。気になったけど、訊けない、そんな事。






「でもまあ……別にいいんじゃねえ?」
「は?」

「俺だって昔から幽霊見えるし、今じゃ死神だし、お前だって今更滅却師に吸血鬼とかの付加価値ついてもいいんじゃねえの?」


 黒崎の口調は、いつも通りだった。



「………なんだよ、それ」


 あまりに楽観的すぎやしないか?
 黒崎のその言い方に、力が抜けた。今、僕は真面目な話をしているつもりだったのに……。


「それに、滅却師よか吸血鬼の方がメジャーだし。俺、吸血鬼は知ってるけど滅却師なんか知らなかったぜ?」
「……なんだよ、それは」


 わざと、ふざけて言っているのだろうか。


「で、どんな感じなんだよ。吸血鬼って」


 なんか、肩の力が抜けた。
 黒崎に知られたら、どんな反応が返って来るのか、怖かった……別に黒崎に何て思われたって気にするつもり無かったけど……でも、やっぱり怖かったんだと思う。











20111009