背中










 ひゅん、と僕の矢が空間を割く音。
 手応えは無かった。

「くそっ! どこだ!」

 苛立ちを隠そうともしない黒崎の舌打ちが聞こえた。今回出現した虚は、常軌を逸した速度で僕達を翻弄した。あまりにも早く動くので、僕でも霊圧が捉えきれない。
 捕らえきれないほどのスピードと、散弾銃のような四方からの攻撃で、僕達はだいぶ疲弊してきていた。
 攻撃自体は軽いものだったが、それでもこう何度も食らうと……さすがに……辛い。直撃はかわしているが、広範囲の攻撃に全てを避ける事が不可能だ。さっきの攻撃は脇腹を掠めた。血が滲んできている……黒崎のだが。服が黒いからって隠しているつもりだろうか。

「石田っ……大丈夫か?」
「君こそ」

 口数は、減る。喋っている場合でもないが、それでも上ずった呼吸を気取られない為に、どうしても端的な言葉になってしまう。どうせ、大した意味は持たないけれど。

 それにしても……。
 まずいな……長引くと不利だ。逃がしてしまう可能性がある。もし逃げられたら、悔しい事に、僕達では追いつけないだろう。今は虚の目が僕達に向けられているけど、敵として認識されて攻撃を受けているから、まだいいけど。もし、逃げられたら厄介だ。

 虚は、本能的に黒崎の馬鹿みたいに大きな霊圧に怯えてか、照準を僕に向けている事は解っている。
 僕の方が速いのに、僕の方が多く攻撃を受けているから……まずい、な。その事に、黒崎も気付いている。僕を守ろうとするだなんて、それはまずい。黒崎の事だから、意図しているわけではないだろうけれど、僕を庇おうとして攻撃が疎かになるのが、この戦いを長引かせている要因でもある。それには気付いていないみたいだ。


 右、左と高速移動する虚の霊圧を感じながら、隙を伺う。



 このタイプの虚は、黒崎には分が悪い。

 何度も斬りつけて、掠りもしない。そんな事をしていれば、体力を消耗するだけだ。黒崎は攻撃がいちいちでかいんだ。次の攻撃に移るまでに空白が出来る。一撃必殺なんか、当たれば効果はあるけれど、実戦向きじゃない事にいい加減気付けって思うけど。

 でも、僕の放つ矢も当たらない。早すぎて、追いつかない。


「一度、離れよう」
「は?」

「敵は僕から片付けたいようだ。僕が逃げ回って囮になるから、君は隙を狙え」

 本当なら、そのくらい気付いてもらいたかったけど。どう動けば効率がよく戦えるかだなんて、そのくらいは解って欲しかったけど。

「……ふざけんな」

 声が少しかすれて震えていたのは、疲れのせいではなかったようだ。解って、居たのかもしれない。虚が狙う僕。僕が前に出れば、僕を狙う。隙が出来るはずだ。そのくらい黒崎は解っていたかもしれないけど、自分以外が傷つくのが嫌だなんて、黒崎は本当に闘いには向いていないと思う。瞬間の判断で切り捨てるべきものを判断できる冷静さが足りない。

「黒崎……遊びじゃないんだ」

 君に護られる必要なんかない。

 僕達には互いが護るべき対象ではない。僕達は、この街を、人を虚から護る為に在って、僕が護られる必要なんかはない。僕達は対等の関係なんだ。だから、僕が護られるなんて、おかしい。僕だって、倒す事はできる。魂葬は黒崎に任せたいけど、そんな場合じゃない。

 遊びじゃないんだ。

 僕だって、強いよ?
 ここで、黒崎が頷かないなら、僕じゃ君の背を預けるのに値しないって、そういう意味に感じてしまうよ。

 そう……僕が言いたいのは伝わったと思う。
 他に効率的な手段は、今見出せないしね。黒崎だってそうした方がいいだなんて、解ってるはずだ。

「黒崎」

 僕の視線は虚に向けている。勿論逸らすなんて真似はしない。それでも、隣で黒崎が頷いた気配がした。

 それでいい。

 もっと、僕を頼ってくれなきゃ、困る。






 僕は、地面を蹴る。



 虚が背後に居たのは解った。何とか視界で捕らえられる速度で、でも攻撃が追いつかない。
 振り向きざまに一矢放つが、やはりかわされた。

 走りながら、黒崎の霊圧で距離と位置を把握する。まだ、駄目だ。まだ、僕は劣りになって動いている必要がある。

 頬を弾が掠めた。かわしたとは思ったが、風圧で皮膚が少し裂けた。熱を感じるから、切れたかもしれない。
 攻撃を受けていて、どうやらこの虚は攻撃の瞬間だけ、移動出来ないようだ。それも1秒程度のモノだが……だけど、それが唯一の隙だ。

 スピードで追い付いて、その隙を狙うしかない。魂葬は黒崎がすればいい。そう思っているのも事実だけど、僕はこの滅却する能力を疎ましく思ったり恥じたりなんかしない。僕が滅却できるなら、僕は躊躇いなど感じない。虚を滅却する為に、僕がいるんだ。でも、黒崎が魂葬すればいい。その方がいい。それは、確かにそう思うから。僕は今虚を誘き寄せればいい。

 とにかく広い場所に、黒崎の攻撃の延長線上まで導けば、黒崎が倒してくれる。信頼というよりも、それは確信。黒崎が……だから、僕は撹乱して、誘き寄せて。



 僕は、虚に負けないぐらいの速度で逃げ回る。

 逃げる間に虚に矢を放ち、意識を僕に向けさせる。僕だけに虚が意識を集中して、虚が黒崎の事を忘れてしまうように、僕は隠れもせずに逃げる。



 攻撃をギリギリでかわしながら逃げ続ける。攻撃範囲が広い分、多少は受けてしまうけれど。見た目の傷よりも、痛みも出血も酷くないのが救いだ。





 でも大丈夫だ。

 虚は黒崎が移動したことに気付いてない。気付いていても、僕があそこまで誘い込めば……。


 そろそろ、だ。

 僕があそこまで行けば、虚は身を隠しながら僕を攻撃できる。きっと虚は僕を殺せるチャンスを逃すはずはない。知能は高くなさそうだけど、そのくらいは本能で解るだろう。僕があの場所まで行って、そこで虚の攻撃を受ければ……。

 黒崎がその瞬間を狙って倒してくれる。

 さっき、それを約束した。一方的なものではあったが。でも、黒崎は確かに頷いた。見てないけど、気配がした。


 僕は地面を蹴り高く飛ぶ。


 そして、着地……の瞬間。足元を、狙われた。

「……っ!」

 バランスを崩して、僕は倒れ込んだ。足にも攻撃を受けたが……。

 それよりも……



 虚が、……僕の目の前に居る。
 近い場所。

 虚の霊圧が膨らむ。
 霊圧を上げて僕に最期の攻撃を仕掛ける気だろう。

 狙っている。

 ようやく僕はこの虚の全貌を見た。大きくはないけれど……虚の暗い目が見えた。

 虚は僕に攻撃にしかけるために、止まった………。僕のすぐそば。何だか、ゆっくり、動いているように見えた。何故か、時間が止まっているような気がした。

 体勢が万全なら避ける事もできた。回避は可能だった……。
 それでも体勢を崩してしまった僕は動けないで居る。こんなに考える余裕も、虚の外観を把握する余裕もあるのに、身体が動かない。

 倒れてしまったこの体勢で、この距離……間に合うか?


 虚の霊圧が凝縮される。それが僕に向けて、放たれる。


 僕は、僕を殺すそれを凝視した。








 でも……間に合った。

 それでいい。






 ドォン、と砂ぼこりを巻き上げて、黒崎が振り下ろした刃に虚が倒れた。







「………間に、合った」

 肩から力が抜けたのを感じた。間に合った。

 虚の攻撃が、放たれる直前に、黒崎の攻撃が虚にぶつかり、消失した。

 だから、僕はかわすことの出来なかった攻撃を受けずに済んだ。


 あの距離からの攻撃なら、身体が動いて避ける事が出来たとしても、致命傷を避ける事など出来なかった。




 間に合った……。



 吐いた溜息は、深かった。

 転ぶように僕はその場に腰を下ろした。重力が、重たい。重たいなんて感じるのも、僕が生きてるからだ。


「石田っ!」
「……黒崎」

「てめえ、無茶苦茶な作戦立てんじゃねえ!」
 黒崎の怒鳴り声が、それでも今はとても心地好い。死んでしまっていたら、この声も聞けなかったと思うと、とてもこの怒鳴り声も僕の心を軽くさせる。

「有り難う、黒崎。助かったよ」
 黒崎が、あのタイミングで虚を倒してくれたから、助かった。

 倒せても、後少しでも遅れていたら、僕は攻撃を受けていただろう。

「ふざけんなっ! 俺が間に合わなかったり攻撃外れたりしたらどうするつもりだったんだよ!」

「転ばなかったら避けるつもりだったよ」
 勿論、避けるつもりだった。死ぬつもりなんて最初からなかった。
 でも、着地の足場を狙われて、バランスを崩して転んでしまった。それは僕のミスだ。

 だから。



「信頼していたよ、黒崎」



「……………」



「君なら、任せられる」


 黒崎なら、僕の命を預けられる。


「……んな事言っても許さねえぞ。なんであんな……」

「君に言われたくないよ」

 いつも傷だらけになって。

 ぼろぼろになって。

 滅茶苦茶な戦い方で……。


 僕だって、君の背中守れるくらいには、強いよ。
 盾にしてもらえるぐらいには、役に立つと思うよ。
 君だけが、傷つく必要はないんだ。

「だけど!」

「黒崎」
「………」

「僕の事も信頼して」


 僕だって、強くなるよ。足手まといにはならないから。

 君が背中を安心して預けられるように、僕ももっと強くなるから。


「石田………」

 まだ座り込んだままだった僕の横に黒崎が膝をついた。
 そして、そのままどかりと座り込んだ。

 僕もだいぶ怪我を負った。明日は少し熱が出るかもしれない。

 でも、黒崎だってかなりの傷を受けている。何でもないようにしているけど、その脇腹の傷、かなり深そうだ。いくら零体で、生身じゃないからって、身体に戻った時にダメージがまったく無くなる訳じゃない事ぐらい、僕だって解っているんだ。

 僕を何回も庇おうとして、何回も僕の為に傷ついた事にだって、僕は気付いていた。


「あんま無茶すんなよ」
「気を付けるよ」

「お前、生身なんだし」


「もう、やめろって言わないんだ」

 自分が傷付くの厭わない癖に、他人が傷付くのを酷く気にする奴だから。
 黒崎の事だから、もうやめろって、もうこんな事は二度とするなって、そう言うんだと思ってた。

 自分一人で背負い込めばいいだなんて、デリカシーの無いこと考える奴だから。だから……


「どうせお前、きかねえだろ?」

 ………意外な台詞だと思った。

「どうせお前、危ねえことして、自分が怪我したって、ギリギリだって倒せりゃ良いとか思ってんだろ? 自分が怪我したって倒せりゃいいとか思ってるだろ?」

「………」

「その考え、解んないわけじゃねえし、俺だってそうだし……」
 黒崎だって、というよりも、黒崎の方が酷いじゃないか。自己犠牲なんて今時流行らないと思うけど。そう嫌味を言える雰囲気じゃなかったから、僕は黒崎の次の言葉を静かに待った。

「だったら、俺もお前の背中ちゃんと守ってやれるぐらいには強くなりゃ良いって事だろ?」




 ………意外、だった。




 僕の事なんか気にしないで一人で突っ走って行くような黒崎が……。


 信頼、してくれてるんだ?

 ちゃんと、僕の事、信頼してくれているんだ? 護る対象じゃなくて、背中を預けてもいい相手だって、僕のこと見てくれてるんだ。そう、信頼してくれてるんだ?





「負けないよ」
「何の勝負だよ」

「負けない」


「……石田」


 黒崎が僕の腕を引っ張るから、僕はそのまま黒崎の胸に倒れ込んだ……。
 こんな場所で、誰かに見られたらどうするんだよ。君は霊体だから、僕は一人でこんな所で変な人みたいじゃないか。そう文句を言うのも今はやめようと思うくらいには、僕は今、すごく嬉しい。
 黒崎が僕を信頼してくれている。

 黒崎の身体から血の匂いがする気がした。霊体でも、匂いってあるのかもしれない。
 僕も泥々だ。早く手当てしないと、そう思う傷もいくつかある。


 それでも……今はこうして居たい。



「石田、あんま無茶すんなよ」

 霊体なのに……。

 黒崎の暖かい体温に包まれているような気がして……。



「君こそ」




 僕は黒崎の胸に体重を預けた。












桃子さまリクエスト。
「一雨的な何か」でした。

100902
修正 2500→4600