初めて見た時に、女神様かと思った 11
きっと再び会うだろうとは……とは言ってしまったものの……。 まさかその間一週間とは思わなかった。せめて一ヶ月くらいのスパンは欲しかった。 きっと会うことになるだろとは思うが、会いたいなどと微塵も思っているわけではないのだし、本心から会いたいなどと思っているわけでもない。面倒だし、しつこいし! それにしても……失敗した。俺としたことが。道を一本間違えた。この辺りの地理は叩き込んであったはずなのに。 抜け道があるのは隣の路地だった。 この道は…………袋小路。 足場も無く、屋根までもさすがに登りきれない。そこにマンホールはあるが、立体での経路は、屋根をも含めてこの街の地図は出来上がっているが、流石に下水までは手を伸ばしていない。 失敗した……。 俺は……追い詰められていた。 土方に……土方ごときに! 刀を構え、俺が一歩後退したら、後ろの壁に背がぶつかった。 これ以上は、退けない……さて、どうするか。ジリジリとした緊迫感が漂う。 だが、相手は土方だけだ。 土方一人だけならば、逃げられるとは思う。いくらこの男が手練とはいえ、真剣勝負で俺が遅れを取る気などはないし、俺が真選組ごときに負けることもないだろう。 が、やはり厄介なことには変わりない。いくら負けることはないとは言え、この男が相当な手練だとは理解している。こちらも多少の覚悟は必要になってくる。逃げられないとは思わないが、多少は手傷を負うかもしれない。 「観念しな、桂」 刀を構えた土方は、俺を追い詰めたことに満足してか、生意気にも笑いかけてきた。 何だこいつ。 若僧ごときが俺を追い詰めたからって意気がるのも大概にしろ。と、当然の不快感がこみ上げる。 だが、それと同時に…… やはり、完全に俺の顔など覚えて居ないっぽい。 先日俺を好きだと、言われた気がするが。 しかもなかなか真剣な感じだった気がするが。 見た目からは想像できなかったのだが、もしかすると土方は好みの外観の女ならば口説かないと失礼に当たるとか、どっかの黒毛のテンパの持論を共有する奴だったのだろうか……人を見る目はそれなりにあると思っていたのだが。 俺の判断では、コイツはどちらかと言うと思春期的な要素がぷんぷんと臭っていて、惚れた相手に恋心を伝える時は心臓が口から飛び出す系統だと思ったのだが。 あの時も、手がかなりの体温で、絞れるくらいの手汗をかいていたし、顔が赤いどころか、耳まで赤かった。 一目惚れとか言ってなかったか? つまり、俺の見た目に惚れたのだろう? 名前すら名乗っていなかった。もちろん名乗れるわけがないが。それでも、俺を好きだとか言わなかったか? 土方は、真っ直ぐに、俺の威嚇を込めた視線を相殺する程の力を込めた視線で、俺を見据える。 俺が、ちゃんと見えているのだろうか。 一触即発のこの距離で、この状態で、なんもないのか? いや俺の名誉を考えれば、どう考えたって、あれはどっかの黒髪の女性が不埒な輩に絡まれて、そこに桂小太郎という正義の味方が登場し、女性を救い颯爽と逃げ去ったというストーリーをこの男の中で展開させておいた方が絶対にいい。俺もそれがいい。そうでなくとも、攘夷志士同士の乱闘にただ巻き込まれた女性が居た程度の認識であっても構わない。だから、あの件に関しては誰にも言わず、俺だけの心に秘めておいた方が得策だ。 この男らしい俺が男に掘られそうになった挙句、真選組の副長に愛の告白を受けたなどと、どう考えても俺が恥だ。言う必要はない。 すぐに会うことになるだろうと言う俺の嫌な予感はこの通りに正しく、あの時に嘘を吐いたわけではない。 が……気にくわない。のは、確かだ。 なにやら胃の辺りがもやつく。 いや、土方のクセに、俺を捕まえられるとか、思い上がった心を叩き潰してやりたい。と思っているだけだ。 この思い上がった馬鹿を完膚無きまでに叩き潰してやりたくなったけだ。 そのための策であり、だから、俺を好きだとか言っておきながら、低脳のために俺の顔すらろくに覚えて居ない事に、馬鹿だとは思っても、腹が立ったとか、気にくわないとか、ではないはずだ! きっと。 こいつがもう二度と立ち直れないくらいのダメージを与えてやりたくなっただけだ。 俺も無駄な労力を払わずに済み、どちらも手傷を負うこともない、唯一にして絶対の方法だ。 ただ、それだけだ。 俺に惚れたとか抜かしながら、俺の顔をすっかり忘れているこの男に腹が立ったとか、絶対にそういう事ではない! きっと! 俺は、俺に笑いかける土方に仕返しになるような微笑みを返してやった。その有頂天になった笑顔を凍らせてやりたい。 「土方……」 声音は、なるべく柔らかいものを選んだ。 「あ?」 「この前は、世話になったな」 俺には切札がある。 俺はお前の致命的な弱点を知っている! 「はあ?」 案の定、土方は怪訝そうに眉根を寄せた。 ああ、そうだ。これが土方だ。 あの時の気持ち悪いほどの笑顔は、妙なテンションに妙な回路が接続されてしまったのだろう。 この人相の悪い近寄りがたいチンピラ的な表情が土方だ。俺が罪悪感など感じてやる必要などどこにもない。 「お前のお陰で傷ももうカサブタになった。痕も残らずに治りそうだ」 俺はわざと、満面に笑みを湛える。この笑顔は、麗しい奥方を口説く時にしか使用しないとっておきのものだ。お前ごときにくれてやる義理はないが……わざわざ使ってやる。 ただ、最近ではエリザベスが可愛らしい仕草を見せた時には、意識せずとも頬を緩ませていることもあるけれど、俺の笑顔など希少価値の高いものを使ってやるんだ。せいぜい感謝しろ。 「なに、訳わかんねえ事言ってんだ、てめえ」 「不器用そうに見えたのだが、手当ては上手いものだな。少し感心した」 「何、言って……」 土方が、言葉を詰まらせた。どうやら、ようやく、本当にようやく、こんなに時間がかかって土方の脳裏に先日が蘇ったようだ。 俺はカサブタになって、痒みの残る傷口を見せつけてやるために、髪を掻き上げた。 さすがに、忘れたわけじゃないだろう? まだ一週間しか経っていないんだ。そこまで馬鹿ではないだろう? これで覚えていないと言うならば、お前の家の湯飲みが欠けて居たことを話せば良いか? 家具の配置でも具に伝えてやれば良いか? 土方は、俺の傷痕を、ただ凝視する。 からりと、刀がその手から落ちた。 → 20121029 |