僕の瞳にはもう君しか映らない 06
手から、力が抜けた。 ヅラの髪が、するりと指先を通った。 ……今。 「お前と初めて会った時だ」 手が、ぱたりと畳に落ちた。 「…………」 「俺は、先生に気に入られたくて、とても優等生だったからな」 そんな事、知ってるって。 誰より勉強出来て、誰より剣術が上手かった。 誰よりも誉められた回数多かったし、喧嘩だって強かったし子分も多かった。 みんなのお手本の優等生の桂小太郎君。 「俺は先生の言い付けは未だに死守している」 ………それって。つまりさ。 「俺は……結局一番近くに居た奴が一番目に入ってんだけど」 俺と、同じこと言ってるよな? ニュアンスは同じだけど、根本的には同じセリフだよな? もしかして、昔っから? ずっとって、そゆこと? ずっとこいつは…… 「銀時、まさか手近な所で済まそうと言う魂胆か?」 「あー…、それに近いかな」 どうせ一番安心するし。手を伸ばして届く距離、心の距離に置いとける安心感って、やっぱり大事。 今更、何も言わなくても、一番俺の事わかってるし。言いたくない事まで解られてたりもするけど、一番言いたい事はあんまり伝わってない事もあるから……、近い距離は同じものじゃないって実感する部分が時々あるけど、同じものだって錯覚しそうになるらい、空気に触れるぐらいに近い距離。 別に惚れてるとか思ってる訳じゃねえ。もし俺がずっと抱えてた感情に名前つけんなら、そんな大袈裟なものじゃねえって思ってるけど。 ただ一番近くに居ただけ。 本当にそんだけ。それ以上じゃない。 でも以下はあり得ない。 それって、やっぱりすごいって思うんだけどな。 「お前もそうしたら?」 俺はそろそろいい年なんだし、そうするつもりだけど。悪いけど今更お前の意見聞いてやる礼儀は持ち合わせてない。 お前だってそろそろ落ち着いたっていいんじゃねえ? ふらふらしてないで、俺に落ち着いたら? いい加減、俺に決めちゃいなさいな。 何処にも行かねえよ、もう。ここが俺の場所だ。 「だが、困ったことがあってな。俺はまだ枯れたジジイではないから、そのあたりのフォローが万全とは思えん」 うん。 身体だけ見たらやっぱ細くて筋張ってそうな男よか、ふやふやの谷間に埋まりたいとか思うけど。 「まあ、愛がありゃ何とかなんじゃね?」 たぶん大丈夫だと思うけど。 お前、くっついてる顔がそれだし。うん、たぶん何とかなる気がする。昔はヅラの顔と女の身体を脳内でコラしてオカズにしてた事もあるけど、行き詰ってた時はもうわざわざ女の身体を想像するゆとりも無くなってたから、今でも大丈夫じゃねえかな。 頑張ってみるって、そんくらい。 「愛なのか? 惰性ではなく?」 「惰性でも、馴れってけっこう恐ろしいもんよ」 結局のところ、自分の中身うっかり吐露しちまってみたけど、もやもやした不定形のまま吐き出したようで、愛情の名のもとにこいつに執着してるのか、今更ながらに謎めいちゃいるが、そんな小難しいもんは哲学者何かに任せといて俺は俺が感じたままに手を伸ばしたらお前に触れる。 お前が一番近かった。離れていても、どこに居ても、昔も、今も、きっとずっと先も。 今更、どっちでもいいや。 ただ俺にはヅラだってだけ。 今更お前の見たって萎えないって。何度一緒に便所行ったか数えねえけど。そりゃ、男の裸体見て興奮するような偏屈な性癖なんか持ってねえけど。 ヅラとはガキの頃から全裸で川に入って遊んでたし、戦争中は全身剥いで手当てし合ってた事だってあったし。 今更、気持ち悪いとか思う余地もないだろ? 「馴れてる分、逆に気まずい気がするが? 今更貴様に歯の根が浮くような気の効いた台詞も思いつかん」 まあ、今更甘ったるいピロトーク展開しようって考えると、なんかの拷問とか罰ゲームを疑いたくなるくらい耳まで血が巡りそうな気がするし、そんなん俺にだって無理だけど。 お前も言ってるように、今更だろ? 今更、俺がお前以上の奴見つけて、お前以上の価値を付加して、大事にして、とか考えも及ばない。 どうせもう俺はお前だけしか見てねえんだし。 「んじゃさ」 手、伸ばしてみた。 手を伸ばしたらヅラに触れた。また髪の毛を掴もうとしたと思われたのか、少しだけ身を引かれたけど、気にせずにもっと、ヅラに手を伸ばす。そして、触れる。 髪じゃなくて、髪を掻き上げて、頬に手を添えた。 少しだけ……ヅラが、俺の手に頬を近づけた。 暖かい……体温に何故だか無性に泣きたくなった。 「試してみる?」 「今からか?」 「すぐにでも」 了 20120903 |