投げ込まれた桂は、溜息を吐いて少しだけ身体を起こそうとして……俺と目が合った。
俺を見て、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
それからすぐに侮蔑した眼差しで溜息を吐いた。
妥当すぎる反応を頂けて願ったりだ。あー、煙草吸いてえ。
「情けねえな」
「誰がだ? お前がだろうな?」
床に叩きつけられるようにして、部屋に投げ込まれた桂は、何とか身体を起こして、顔にかかる長い髪を鬱陶しげに掻き上げた。
頬には、殴られたような痣がある。部屋に明かりなんかついてねえから、良くは分からなかったが、殴られたんだろう。
普段、町中で追跡する桂は、どんなに派手に動いても、着崩すような事はない。どんな訓練受けてきたんだか、どんな戦いを潜り抜けてきたんだか知らねえが、俺達が追いかけても服が乱れたりはしない。
が、今の桂は上着も着ていず、中の襦袢は着ていたが帯すら無かった。
どんな揉め方したんだかはわかんねえが、派手にやられたんだろう事はわかった。
おおかた、暴れてる時に取り押さえられた……ってところか。
「ざまあねえな」
「貴様が、だろう?」
当然、俺もこの状態で人の失態を笑えた義理じゃねえが……桂の呼吸は整っていなかった。桂がここまでやられるなんざ……らしくねえな。
なんとか起こした身体は荒い呼吸を繰り返し、顔を片手で覆う……。
「てめえは何で拘束されてねえの?」
「……」
桂は、着物は激しく乱れていたが、両手も足も縛られていない。つまり、桂が俺の手の拘束を解く可能性を考えてないのか? それとも俺の手が自由になる程度では、どうにもならないって思われてんだろうか……。
「おい、桂。何とか言え」
「うるさい」
……うるさいって、言われたが……うるさいって、言ったよな、今? んなにでかい声じゃなかったけど、俺に聞こえるようにはっきり、うるさいって言ったよな?
「てめえ、ここにはてめえと俺しか居ねえんだ。なんとかこっから脱出しなけりゃ……」
「だから、今考えている。静かにしろ」
「……!」
何だよ、その威圧的な上からの発言は! 仮にもてめえに協力してやろうって言うか、そうしなけりゃこっちも桂もどうにもならねえだろう状況で、どんな言い方だ!
桂は、苦しげな溜息をついた。
横顔しか見えねえが、口は薄く開き、荒い呼吸を繰り返す。目は閉じられて、眉根は寄せられていた。
桂の顔をこんな間近でじっくり見た事なんてねえけど……造作が整ってくことぐらいの認識はあったが……やけに色っぽくねえか、こいつ。口から洩れる呼吸の湿り気すら見えるような気がした。
が……未だに整わない呼吸……どんなやられ方したのかは解らねえが、かなり酷いのかもしれねえ。
「……なあ、お前、怪我でもしてんのか?」
血の匂いはしなかったが、どこか骨でも折られてるんだろうか? 顔は、殴られたような痣はあるが……とすりゃ、身体もどこかに怪我してる可能性はある。
桂が苦しそうなのは、誰の目から見ても瞭然だった。
「怪我など、していない」
「じゃあ、具合悪いのか?」
この部屋に投げ込まれて、荒い呼吸をしていたから、だいぶ派手に揉めたんだろうって思ってたが……。
なんか、やけに苦しそうだ。
あんま表情を崩さねえ奴で、無表情か高笑いぐらいしか見たこと無いような気がしてたが……眉間に皺を寄せて、唇を噛み、少し震えていた。
「うるさい」
「てめ、いい加減に……」
「馬鹿みたいに吠えるな、弱い犬の真似事か?」
「………」
そこまで言われて俺がどうして黙らなけりゃなんねえんだ。怒鳴り返すぐらいはしなけりゃ気が治まらねえ……できれば一発ぐらい殴らせてもらいたい。
「外に、見張りが居る」
「……」
それは、気付かなかった。
じゃあ、さっき俺が扉に体当たりしたのもばれてたって事か。だから、少しの隙間から桂だけを押し込んでさっさと閉めた。それでも飛びかかりゃ、少しは違う状況だったかもしれねえが、俺が驚いて身を引いたから……にしたって。
「だから、何でてめえは縛られてねえんだよ。手が使えるならこっち解け」
確かにこっからじゃ、手が動いても簡単には抜け出せない状況だ。窓からは垂直な壁と遠い場所のアスファルト。隣のビルに飛び移るにしたって羽でも必要になるだろう。離れてる。ロープになりそうなもんも見当たらねえ。俺の手には巻いてあるが、このくらいじゃどうにもなんねえ長さだろう。んで、扉は開かねえ。
八方塞がりだが……手が動きゃ俺も、何かあった場合の咄嗟の戦力になる。
「断る」
「ちょっ……! てめえ。今がどんな状況かわかってんのか?」
このままガスでも投げ入れられりゃ、近くに海もある、証拠隠滅は簡単だろう。
マズい状況なのは、お互い様だ。それとも桂は自分だけ逃げようって魂胆か? そんなアテでもあんのか?
桂は俺を一瞥すると、抱えた膝に顔を埋めた。俺を無視するとでも決めたんだろうか。そっちがその気なら……っても、やっぱり手は何とかして解いてくれないだろうか。そろそろ、手が痺れてきてるし。
「……っ、は、ぁ、…っ!」
桂は、苦しそうに呻き声を上げて、自分の身体を抱き込んで、床に倒れた。
「ちょ……おいっ! 桂」
なんか、具合悪そうだってのは見て解ってたが……ちょっと、これマズそうじゃねえか?
ここに入ってく桂は、遠目で暗がりだったが、普段通りだったはずだ。こそこそとしては居たが、いつも通り背筋を伸ばして歩いていた。
今、この桂は、どう見たって、具合が悪そうだ。
怪我じゃないとすりゃ、なんかマズい薬でも飲まされた……ってことか?
桂は、苦しそうに吐息を漏らして、横になったまま自分を抱き抱える。乱れてた衣服が、より乱れて……こんな時になんだが、男のくせにって思うような姿だった。
肌蹴た裾から覗いた脚が、やたらと白く艶めかしかった。
「桂、大丈夫か?」
桂の心配すんのは後にも先にもこれだけだろうが、死ぬような薬だったら……急がなけりゃマズい。桂を背負って一人で何とかしなけりゃ……俺だけでどこまで動けるか?
触れて、脈でも計りたいが、手が動かねえ。
何とかして近づいたら、少し充血した潤んだ瞳で、睨まれた。
「近づく、な……」
「でも、お前、大丈夫なのか? 何か飲まされたんだろ? 解毒すんなら早い方がいい。隙を見て脱出するから、俺の手を」
「……断る」
「てめっ、この期に及んで……」
「毒じゃ、ない。速効性のようだ。から、あと三時間程度で、落ち着く」
「……」
速効性って……何を飲まされたのかは解らねえが……桂は自分の症状も状態も持続時間も自覚があるらしい。それならそれでいいが……それにしたって、あと三時間もこのままかよ。
桂は、かなり辛そうだ。それまで少しでも介抱してやりてえが、俺はこのザマだし、桂は俺の手を解く気はないようだ。
「俺のこと……かまうな……」
「ああ、そうかよ」
「…ん………ぅ、っ」
桂は自分を抱えたまま、身体を振るわせた。
……毒じゃねえなら、いいが。
毒じゃないらしいが、かなり、辛そうだった。
毒じゃねえらしいし、三時間もすれば落ち着くって自分の事態を把握できてんなら、何飲まされたのか解ってんだろう。毒じゃねえらしいから、かまうなって言われたし……。
これは、桂だ。どうせ。
こいつに頼ろうとした俺が馬鹿だったのは、明白だ。きっと俺の人生で最大の過ちで、黒歴史になんだろう。
かまうなって言われたんだから、かまわねえよ。って、思ってはみるが……一体何の薬飲まされたんだ?
こんな状態になるような薬飲まされるんじゃ、けっこうしんどそうだ。もし何だか解ってりゃ、俺も対処法を知ってるかもしれねえ。
桂の額からは、汗が滲んでる。
「なあ、何飲まされたんだ?」
訊いてみたら、桂は苦しそうな顔のままだったが、あからさまに不機嫌そうな表情をした。
「……媚薬」
「………は?」
「媚薬だ!」
桂は、叫ぶようにそう言うと、身体を反転させて、俺に背を向けた、が。
「媚薬……って」
そう、聞こえた気がするけど、それは俺の空耳だろうか……。
「知らんのか? 性欲を高める薬だ。」
いや、そのくらい聞いたことあるが……媚薬って、つまり媚薬だろ? 知ってるが、当然飲んだことも飲ませたこともねえが……。
こいつにそれを飲ませて、なんのメリットが……。
「ぁ……ッ」
桂は小さな呻き声を漏らしながら床に転がってる……。
当然、桂をそう言った目で見たことなんか無かった。そりゃ当然だ。桂なんだから。
確かに顔立ちは整っていて、やけに女みたいに線が細い美貌をしてるって認識はしていたが、桂の一つの情報としてのただの事実で、そんなんは江戸中が知ってる。
苦しそうに桂は転がって、上を向いた。
相変わらず、両腕で自分の身体を抱き込むようにしていたが……。
服を押し上げて……。
桂が、欲情してる……のを、見た。
だなんて、目の当たりにした今だって信じらんねえ……いつも涼しげな顔をしてたから、こいつと性欲を結びつけたことがなかった。当然そんなことする必要もなかったからだが。
ごくりと、喉が鳴った。
知らずうちに生唾を飲み込んでいた。この音が、桂の耳に届かなかったことを願うばかりだ。
いや、これが桂だって解ってんだが。桂が男だなんて知ってるし、服を押し上げてる股間の物も、雄だって見て解る。だからだろうか……、こんなに気を使わなけりゃいけねえのは……ちょっと、どうしていいか解んねえとか……。
「あの、桂……で、大丈夫、だったのか、その……」
女が主犯格の組織じゃねえ。そのくらいの情報はある。トップが男にだってのは知ってるが……相手は桂だ。そして、桂は男だ。
男に……桂は、犯されたんだろうか。薬飲まされて……。
確かに、綺麗な顔をしている。声は男だし、やたらと華奢な体躯をしているがが骨格も男の物だ。
が、顔だけ見りゃ、女だって言われりゃ納得できる。女物の服を着せて喋らなけりゃ、きっと誰も女だって疑わないだろう。そういう美貌だ。
「桂……お前、その……大丈夫ってか、いや……」
もし、こいつのプライドとか折って服従させようとでもした場合……桂に一番の苦汁を味わわせると考えた場合は、一番の良策なのかもしれねえ……。
「……うるさい」
言いたくねえってことは……。ヤられたんだろうか。
もし、俺がそんな事になった場合……とか考えたくもねえが、プライドなんかはズタズタに引き裂かれちまって、地獄の果てまでも追いかけて相手を八つ裂きにしてやろうと思うだろう。
きっと、桂も男なら同じはずだ。
「大丈夫、か?」
桂だ、これは桂だ。
俺の、敵だ。そんな事は知ってるが……。
そういう目でなんか見たことなかったから、いや、当たり前なんだが。
プライドの高そうな奴だと思ってた。きっとそれは間違いないだろう。
桂を屈服させるのは、きっとその手段は有効だ。男に、犯されるだなんて、こいつの事だ、最大限の屈辱だろう。
「口に……突っ込まれそうになったから、食い千切ってやるつもりで噛みついてやった」
「………」
そりゃ……勇ましいって言うか、相手が御愁傷様って言うか。聞いただけで、脂汗が滲むくらいの痛みだった。桂も自分にそれがついてんならどんだけの傷みか理解しての行為だったんだろう。
相変わらず苦しげに呼吸を繰り返していたが、口調はあっさりしたものだったから……大丈夫だったんだろう。
具体的には解らねえが、見つかって、薬飲まされて、ヤられそうになった所を噛みついて、相手の怒り買ってここにぶち込まれたってとこだろうか。
もうカマを掘られちまったかどうかは、さすがに訊くのは憚られたが。
「んっ……」
桂は、自分の身体を抱きしめるようにして、身悶えている。
上を向いた綺麗な顔は、苦しそうに歪められて、薄く開いた唇から漏れ出す吐息は微かに艶ある声が混ざる。
俺は……。
目が、離せなかった。
桂が男だなんて知ってるが、それでも……手が動かせるんなら、きっと………触ってた。
縛られたままで良かった。縛られてて良かったって……そんな事が嬉しかったのは人生で初めての経験だ。
でも、実際、良かった。俺が、何もできなくて良かった。
桂の手はゆっくり動いて、服の中に手を差し込む。
左手は、自分の胸に置いて……まさか、胸、触ってんのかよ……。そこ感じんのか、こいつ。
そして、右手は下肢に伸ばされた。
そっと、自分のを包むようにして、触れる……。
ごくりと、俺が生唾飲んだ音が自分の耳に届いた。
「あ……ッ」
桂の口から、艶めいた声が吐き出された。
「……」
手伝って、やろうか?
だなんて、俺は、今言うつもりじゃなかっただろうな!?
いや、桂だから。これは桂だから! 本当良かった、俺の手が使えなくて良かったっ!
「土方……」
桂が、俺を見た。桂の潤んだ瞳が俺を見る……これは、桂……なのか? 男だって知ってんのに、やたらと……
普段からは想像もつかねえ。男だなんて解ってるが……。
「な…、何だ?」
何を、言われるのか……俺は、次の桂の台詞を待った。
「あっち、向け」
「……あ、悪ぃ」
うっかり、ガン見してた。
から、慌てて後ろを向いた。
薬がどんなもんなのかは知らねえが、苦しそうなのは見て解った。が……だからって!
人が見てる前で、何やろうとしてんだコイツは!? 今から一人で始める気だったんだろ?
外に見張りが居るとか言ってなかったか!? 俺だけならまだしもって、いや別に俺も見たくねえけど! でもそっからなら、外から監視用の穴から丸見えだってのに……そんなことはお構いなしに桂は続けようとする。
「ここには俺が居んだ。ちったぁ我慢しろ」
「も、我慢……できな、ぃ」
桂の口から出たとは思いがたい情けない声で情けない言葉を俺は聞いた。
「っって! おい!」
俺の制止も意に返さず、そもそも耳にも届いてないようで、桂は、自分のを自分の手でいじりながら、盛大に一人で自慰を始めた……とか、これ、何かの拷問か?
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