惑溺  前









 桂を見つけたのは、昼間だった。

 見つけた時、桂は共も付けずに一人で歩いていた。今日は、変装すらしてやがらねえ。してても、巧妙に姿を変えるから、なかなか気づける事もないが。
 こっちの目を欺こうともせずに、一人で人通りの激しい町を歩いていた。どんだけなめられてんだ、俺達は。





 いい度胸じゃねえか……。





 桂の後ろを、付ける。

 桂の光沢を持つ長い髪は人混みでもいい目印になった。女ですらあれほど見事な黒く真っ直ぐな長い髪を持っている奴は居ない。桂の長い髪を見ながら、一定の距離を保ち付けていく。 途中で、少し立ち止まりったが……振り返ることはしなかった。


 人気のない方へ、歩いていく。何があるのかは解らねえが、わざと裏路地を選んで進んでいってんのは解った。
 今日は非番で隊服を着てたわけじゃねえが……今着てんのはただの普段着だ。


 それでも、俺が桂の後付けてんのは、気付かれてただろう事ぐらいは解った。俺も気配を殺すような真似はしなかった。せっかくの非番なんだ、面倒なことにはなりたくねえから。


 別に、それでいい。
 当然、できれば錠をかけられりゃとは思ってるが……。



 見失わないようにして、付いていく。

 裏路地は、あまり品のいい場所じゃねえ。探しゃ、お訪ねモンの類はゴロゴロ出てくんだろう。俺達も暗黙の了解で不介入の場所だった。



 桂が路地を、曲がる……。



 曲がって……この先は、袋小路のはずだが……。



 行き止まりだ。
 奥に、屋根の落ちかけた、薄汚れた誰も住んでないボロ屋が一軒あるだけで……。



 桂は、迷いもせずにその中に躊躇なく入っていく。
 桂のアジトの一つだろうか……。



 音をたてないようにして、そっと、中をのぞき込んだ。
 壁も穴だらけで、中の様子はよく見えた。朽ちた家は昔は人が住んでいた気配もあったが、家具もなく、中は黒ずんでいて、暗かった。




 が……居ねえ! 桂が、今目の前で中に入ったってのに、こっからじゃ見えない場所にでもいんのか?
 今桂が、中に入ったのは確かだ。だが覗き見ただけじゃ、桂の姿はどこにもなかった。


 巻かれたか?
 確かに、桂は俺の気配に気付いているような動きをしていた。当然、俺から逃げようとすんのは、解っちゃいたが……。

 逃げられんだろうって、解ってた。

 が、それにしたって……家の中は隠れるような場所もなさそうだ。今入ったのは確かだってのに……手品師かあいつ。

 逃げられたんだろう。




 逃げて欲しいって、どこかで思ってた。だから、俺も気配を殺さずに桂の後を追った。桂が逃げてくれりゃ、俺はまだ桂を追いかけていられる。早く捕まえたいけど、まだ早い。


 だから、桂が逃げて、捕まえらんなけりゃ、このままで済む。

 俺が、我慢すりゃ良いだけだ。














 桂の中の気持ちよさが忘れらんねえ。

 一度犯してやったあいつの胎内は、熱くて意識すら溶解して、無我夢中になって桂の細い腰に自分のを打ちつけた。

 あの、熱を忘れらんねえ。
 桂なのに。テロリストだあいつは。敵だ。

 そもそも、女ですらねえってのに。


 自分でやっても思い出して使うのは、桂の痴態ばかりだ。どんな上等な女相手でも俺が満たされることもなくなった。

 桂じゃなけりゃ、この持て余した熱が消えることはないだなんて……妙な妄執に取り憑かれるでもしたんだろうか。ただ、実際、あんなに気持ちよかったのは、初めてだった。

 桂の後ろを付けて……非番ではあったが、手錠も刀も持ってた。捕まえるつもりは、全くなかったわけじゃねえ。って、誰に対しての言い訳なんだろうか。

 ただ、今、この状態で桂を目の前にして……本当に俺は桂を捕まえられんのだろうか……また。また、と……思う。





 扉を開けた。どうせもう逃げちまったんだろう。
 少し、黴臭い。

 人が住まなくなって、換気もされなくなって、屋根もところどころ光が漏れる。雨漏りもするような場所は、すぐに朽ちる。
 暗い部屋。

 土足のままに上がり込んだが……やっぱり、居ねえ。覗き見たままの部屋だ。もっと良く見りゃ隠し扉とかあるかもしれねえが……。


 逃げたんだろう。そりゃ、当然か。



 逃げられた方が良かった。残念なことに今日は非番だ。捕まえりゃ仕事しなきゃいけなくなる。
 それに、今この状況で桂を目の前にして俺の理性は保てるか、俺には自信がない。












「貴様、何の目的だ?」



 突然、背後から声が聞こえた。



「……」

 逃げたんじゃ、無かったのかよ……逃げてくれてりゃ、俺が醜態をさらさずに済んだってのに。





「何が目的ってのは、ご挨拶じゃねえか? てめえが誰だか自覚ねえのかよ」

 俺が桂を追いかける目的もクソもねえだろ? 一つしかねえじゃねえか。俺を誰だか知ってんだろ?
 俺は背後にいる桂にも解るように、俺は懐に腕を入れた。今は手錠も、ちゃんと持ってる。それを主張する。




「ならば、ちゃんと仕事しろ。後ろを歩く貴様から、殺気が感じられなかった。何か俺に用事でもあるのかと思うのは、仕方ないだろう?」


「用、ね」

 確かに、捕まえる気は、無かったかもしれない。いつもみたいに殺す気でかかるつもりはなかった。




 振り返ると、桂は桂で、玄関付近の柱に背をもたせ、腕を組んだままで、俺の気配を……殺気がないって言ってたが、俺の感情でも察知したのか、わざわざ刀を抜く気もないようだった。今、確かに俺も刀を抜こうと思っていない。


 今、目の前、すぐ、そこに桂が居る。







 前に、この中に入った。桂の中に、入った。

 圧倒的な快感に意識を浚われるように、俺が獣にでもなったかのように理性も何もかんも吹っ飛んで、ただ桂に熱をそそぎ込んだ。桂は俺の熱に反応して、女のように高く切ない喘ぎ声を上げた。

 それを、俺は忘れることができなかった。







 手を伸ばす。

 桂に向かって、手を伸ばした。






 触れる……、桂の、頬。
 薄暗い室内で、それでもやたらと白かった。

 俺の手を払いのけようともせずに、動きもしない。俺の手が桂の頬を撫でるのを、桂は空気にでも触れられていると感じているようだ。
 唇を、親指の腹でそっと撫でる。




「何のつもりだ?」


 腕を組んだまま、憮然とした表情を崩しもせず、俺を見た。睨み付けるわけではなく、ただ、俺を景色の一部として、俺を見た。


 認識されたいと思った。こいつに。俺は桂に見て欲しい。
 桂が、俺を見ればいいと、そう思った。

 




「なあ、やらせろよ」




 そう、言った俺の声は、上擦っていなかったか?

 喉が、やけに乾く。

 思いだそうとしなくても、勝手に身体はあの時の熱を再現しようとしていた。なにもしてないのに、中心に熱が集まっていくような感覚。




 俺の言葉に一瞬だけ、桂の目が大きくなった。大きく見開かれて、俺を見た。

 桂が、俺を、見た。