恋の弔い 





 通りかかった人気の無い神社で、土方を見つけた。
 森を分け入って、獣道的な藪の中を突っ切ると神社に出る。明かりもなく足元は良くないが、近道だったし、雨のあとのぬかるみならば遠回りをしただろうが、いつも通っている道だ。暗くとも慣れたものだ。持ち合わせは少なかったから、賽銭は今度にして、ひとまず祭殿の中の氏神に手を合わせ、そのまま神社を後にした……

「おい」

「うぉっ!」

 階段を織りきった所で、突然後ろから声をかけられて、思わず悲鳴を上げそうになった。
 後ろに……しかも、声をかけられるまで気付かなかった。

「ち、幕府の犬か。狛犬が一体増えたかと思った」
 もう暗くなってきていた。いつもの目立つ隊服ではなく、私服の着流しを着ていたので、うっかり通り過ぎる所だった。声をかけられなかったら、完全に通りすぎてた。

 狛犬の影で、煙草を吸っていたが……。
 この禁煙ブームに逆行して……一体そこで何本吸ってたんだこの男は……足元には吸い殻が何本も……。

 とりあえず、当然逃亡態勢に入る。
 こんな場所で、真選組なんかと遊んでいるほどに暇ではない。忙しいわけでもないが、俺もそれなりに予定が埋まっていたような気がする。あまり面倒なことにならなければいいが……今日はなにか予定が入ってたはずだが、どうにも思い出せない。

「まあ、待てよ。今日は非番だ」
 土方が丸腰アピールに両手を上げた。
「ろくなもんは持ってねえよ。刀のぶつかり合いでてめえとやりあって、俺も無事でいられるほど過信しちゃいねえ」
「………」
 つまり、捕まえる気が無いと言うことか。
 俺は、刀から手を離したが、だとすればありがたい。先日乱闘になりかけた際、威嚇を込めて近くの柱を叩き斬ったせいで刃こぼれがひどい。
 ただ、待てと言われて待ってやる義理も無いと思うんだが……。

「だから、何だ?」
「暇なんだよ。少し付き合え」
「何故だ?」
「待ってる奴が来ねえんだよ」

「違う。何故俺が貴様に付き合わねばならない」
「だから、俺が暇なんだって」

 それは一体どんな理屈だ。
 俺が何故お前なんかに時間を潰さねばならない?

 そっちが非番でも俺には関係があるとは思えない。
 俺は俺で今日、確かに何かの予定を入れていたはずだった何かを思い出す責務があるんだ。
 土方は、再び、懐から煙草を取り出すと、火をつけた。ゆっくりと煙を吐き出す。

「大方、女にでもすっぽかされ……あ」
「やっぱ、すっぽかされたのか、俺……」

「ああぁ……」

「すげえ綺麗な女性だったんだ。遊ばれてたのか、やっぱ」
「あ、ああ、いや、違う。そう言うわけでは……」

 思い出した……。


 まだ、手を繋いだ所から一歩先のキスまでの関係だが、


 こいつは、確かに俺の、恋人……らしい。




 出会いは化け物屋敷と名高いカマっ娘倶楽部。生活費もままならん程に困窮していたので、俺の立場を知りそれでも雇ってくれるし、多少の融通は利くし、なにしろあの化物の中にいれば、ただでさえ変装が上手い俺は、しばらく前にかつてのバイト先に再び腰を落ち着けていた。
 その時に、上役との付き合いで来たのがこの男だ。
 何故か気に入られてしまい、俺を俺だと見抜けていないようだったから、それが面白くてそのまま金づるにしていた。
 そして、一応、店で愛を告げられて、一途な想いに根負けして、つい恋人という事にはなったが……俺だと気付かないこの男が滑稽で面白かったのと、それと、俺が見たことがないこの男の笑顔を見るのは悪い気がしなかった。
 あの店に居るんだ、俺を男だとは理解していたはずだが、俺を俺だとは認識していなかった。
 何度か外でも会った。その度に向けられる笑顔には、心が痛みもしたが……惚れていると当たり前のように言われ、そうして恋人として扱われているうちに、俺もそれなりに絆されてしまってはいた。
 女物の服を着て、俺だと名乗らずに、この男との逢瀬は、面倒だと思うよりも、嬉しいと感じてしまうことも多かった。俺も、少なからず土方に惚れてしまっていたのだろう。
 最後に会った時に来た時に、また外で会いたいと言われたから、渋々承諾をした。それから、俺は忙しくなってしまい店に入ってなかったが……俺も男だ。男からの気持ちを受け入れてやったんだ。恋人としての付き合いを持つなど、俺もそれなりに悩んだ末に出した答えだった。


 この間、半月前に、こいつらのせいで、半年にも及ぶ俺の計画が頓挫し、お陰で方方に走り回る羽目になり、可愛さ余すところなく、すべて憎しみに変わっていたから、すっっっかり忘れていた。

 今日、だっけ?
 第四週の木曜日って、今日?
 久しぶりだった。
 確かに、1ヶ月ぶりぐらいだ。

 楽しみにしていなかったわけではないが……1ヶ月とかブランクあったら、日にちとか、忘れるだろ、普通。




「俺の事なんか忘れてんのかな、ヅラ子さん……」

 すみません。

「いや、きっと、何かの用があって、来られなくなったのではないか? 電話とかしたのか?」
 いやまずい。電話はまずい!
 最近持った携帯の番号を土方に教えたが、今かけるんじゃない、頼むから! 

「何度もかけた」
「マジでか」
 袂にしまいっぱだったが……何度もって……気付かなかった。
 何度かけたんだろう、気になるが、さすがに今見るわけにはいかないだろう。

「またかけてみる」
「いやいや待て待て!」

 俺の静止も聞かず、土方は携帯を懐から取り出して、通話ボタンを押した。


 当然、俺の懐から着信のメロディーが流れ出す……。




「そっちも、電話かかってきてるみてえだが、出ねえの?」
「ああああ、そうだな。いや、あまり、今出たくない」
 と言うか、出れない。
 留守電に切り替わったのだろう。土方が短いため息をついて、携帯を閉じた。そして、当然、俺の携帯からも着信音が消えた。

「出たくないって、なに? 俺に言えないような相手から?」
「……プライベートだ」

 って、言ってみてから、土方に言えないような攘夷のお友達からってしておけば良かったと後悔した。それならばいくら着信があったとしてもこの男の前で電話にでなくとも当然だろう。

「てめえのその面構えじゃ、面倒な相手に好かれてるとか?」

 その通りっ!!!!
 面倒な相手に好かれてしまい、その相手の真摯さに負けて、俺も惚れてしまったのが、何よりもの痛手だ。

「否定しないってことは、図星か?」
「………」

「悪い」
「……いや」

「じゃ、俺、もうちょっと待ってみっから」
「来ないと分かっているのにか?」

 心中の動揺を隠すように、からかう様に言ってみたら、土方は誰にでも解るような凹んだ顔を見せた。

「……」
「すまん」
 本当に、心から申し訳ありません。

「……やっぱ、来ねえんだろうな」
 忘れてたけど、来たけど……来ないことになったらしい。それがいい。今までも何度も着信はあったが、半月前の恨みを込めて、その全てを無視してしまっていた。
 もともと、続けられるような関係ではない。

 終わるなら、傷が深くなる前がいい。早いほうがいい。

「すげえ、綺麗な人なんだよ。あんま、自分のこと喋んない人だから、よく知らねえけど、凛としてて、綺麗で。見た目も綺麗だけど、内面から出てくる真っ直ぐな気迫に圧されるような、そんな感じの人で、目を奪われちまったら、ついでに心までな。どうしても付き合ってくれって頼み込んで付き合ってくれたんだけど……もう、一ヶ月も会ってなくて」
「………大層な褒めようだな」
「てめえも見てみりゃ解るって」
 身だしなみ程度なら毎日のように鏡を見ているつもりだが、卑下するほどではないが、悪いとは思ってもいないが、そこまで言われるほどではないと思うが……嬉しいと、感じてしまうあたり、俺もこの男にだいぶ毒されてしまったのだろう。

「好きなんだよな。一目惚れって、本当あるんだよな。本当に綺麗な人なんだ。手に入れたいって、本気で思ったんだ……けど、ふられんのかなー、やっぱ」

 痛みを堪えるような顔をした……その言葉に、俺の心臓にも痛みが走る……。

「綺麗な人なんだ。いつもは偉そうなんだけどさ、時々向けてくれる笑顔が、嬉しくて。俺を見てうつむいた時の顔が、壊れちまいそうで、守りたいって、思ったんだ」
「………」
 この男が、俺をどういった評価をしているのかは解らなかったが、たいそう好かれていることだけは解った。
 時々、この男といる時に、いつが終わりになるのだろうかと考えてしまい、毎度会うたびに、きっとこれが最後なんだと、それが顔に出てしまったことがあるから、それを気に病んでいたのだろう。

「何で、俺、こんな話、あんたにしてんだろうな」
「まあ、こんな時間だ。逢魔が時とは言ったものだな。魔が差したと思えばいい。俺もお前の話を聞くのは、興が乗った。そのお前の恋人が来るまで付き合ってやる」
 待っていても、来るはずがない。すでに、ここに居るのだから。
「そりゃ、どうも」

 土方は吸っていた煙草を踏み消して、懐から新しい煙草を取り出して再び火をつける。

「あんたも、さっさとふっちまえばいいだろうが。相手の事少しでも気遣ってやれるなら、さっさと、ちゃんと言ってやったほうがいいぜ」
「…いや、それが、どうにも踏ん切りが悪くてな。そうした方がいいのは解っているのだが」
「あ?」
「どうしてもと要求されて付き合ってみてはいるものの、俺に懐くように好いてくれていると……離れると思うと寂しくてな」
 俺も、一体何を言っているのだろうな。
「本当に、俺を好いてくれていて、それが嘘じゃないって……あんなに真顔で好きだと言われれば、誰だって絆されるわ」
「へえ、なんだ。両想いなら、わざわざふらなくていいんじゃねえの?」
「……誰からも祝福はされんような関係だし」
「まあ、てめえの身分考えりゃそうだろうな」
「ぬかせ。そのうちひっくり返してやるわ」
「惚れてるんだ、そいつのこと」
「………たぶんな」
「じゃ、電話出てやったらいいのに」

「いや、出ない方がいい。もう、終いにした方が良い。この電話に出なければ、終止符の位置もわからんような無能な相手じゃない」
「どうすんの?」
「どうにもならん。このまま、終わる」
「そっか」

 思わず溜息と、自嘲が溢れてしまう。

 これで、終わりにした方がいい。

 土方がここで俺を諦めるのを見ていれば、きっと俺も自分の気持ちに踏ん切りがつくだろう。


 言わなくて、よかった。俺を俺だと知らないまま、この男の恋が終わるなら……どう考えても、それが一番の上策だ。
 俺だと気付いてしまったら、何よりも傷つけてしまうことは解っているんだ。

 土方が俺を見ていた。その視線は感じた。あまり視線を合わせたくなかったから、俯いてしまった。俯けば、俺の髪が俺の顔を隠す。顔を、見られたくなかった……きっと、今俺は情けない顔をしている。


「お前……桂?」
「ん?」

 何を言いたいのだろうか、俺は、俺なのに……。

「お前……」

 土方の声が、震えていた。
「土方?」

「……お前、手首、細いな」

 ……土方に、言われたことを思い出す。初めて、この男から口付けを受けたのは、手の甲だった。手を取られて、そんな言葉を言われて、手の甲に口付けを貰った。手の平と、指先と……。

 思い出して、身体に、震えが走る……柔らかくて熱い唇だったことを、思い出して……。




 俺の懐の携帯が、鳴った。

「あ……」

 思わず、土方を見たら、土方が電話を持って、俺を見ていた……。



 気付いた?

 俺を、俺だと、気付いてしまったのだろうか。




「出ねえみたいだ、俺の相手」
「ああ、そのようだな」

「お前も出てやんねえんだ」

「ああ。出られない」



 土方が携帯を閉じると、俺の懐の携帯電話から音が消える。


「………そっか」
「……」

「ふられんのか、俺」

「いや、逆だ。お前がふる方だ……そうだろう?」

 俺は、情けなくて、それが出来なかった。俺は事実を知った上で、情けなくもお前の感情に引きずられてしまっていたんだ。


「……惚れちまって、悪いことしたかなあ」
「好意を向けられて、悪く思う奴などいない」

「悪いこと、しちまったんだな、俺」

 気付かなければ、良かったのに。気付かなければ、良い思い出のまま、終わる。俺を憎しみを込めた敵だと認識せずに、そのまま恋は終われたはずなのに……。

「……俺も、失恋が確定したようだ」
「ああ……そうだな」

 いつか、終わらなくてはならない関係だったんだ。続けられるはずがなかった。土方が気づかなかったから、それでいいと思ってしまっていた。

 気付かなければよかったのに。最期まで。

「邪魔したな」
 ここに、いることが苦痛だった。もう、用はない。最初からここにいるべきではなかった。最初から敵同士だ。のんきに話をする必要もなかったはずだ。

「なあ、桂……失恋したばっかで、ちょっと人恋しい気分なんだ。これが吸い終わるまで付き合えよ」
「未練がましいな」

 ……俺が。

 だいたい、初めからその気はないと言っておけば良かったことだった。あまりにもしつこかったからと、結局はただの言い訳に過ぎない。
 女の服を着た俺が俺と認識できていなかったから、好都合と俺は自分の名を名乗らなかった。最初から俺の名前を出していれば良かったんだ。そうすれば、こんな事にはならなかった。

 土方は、俺を知らなかった。

 俺は、俺達の立場を把握した上で、この関係を続けていた。

 俺の方だ。どう見ても、明らかだ。未練があるのは俺だ。
 この男を手放したくないと思っていたのは。俺だ。


「何で、しゃがむんだ?」
「煙、けむたい」

 顔、見られたくない。

「……そっか」


 ゆっくりと、煙を吐き出す息の音。そして、数分して、煙草が落ちた。落ちたタバコの火を、踏み消して……。これで、終わる。

 早く、行ってしまえ。
 俺が、まだまともな顔をしているうちに、早く見えない場所まで消えてしまえ。そう、思っている俺の顔を見られたくなくて、膝を抱えて、俺はしゃがみこんでいた。



「あ……」

 土方の、手が、俺の頬に触れた。

 驚いて、土方を見ると、土方は膝をついて俺と同じ視線の高さまで腰を落とし、頬に触れた手はそのまま俺の髪を後ろに流す。

 そのまま指の背で、俺の輪郭を辿り、俺の顎を僅かに持ち上げる。俺は、ただ真っ直ぐに俺を見るその瞳を見ていた。
 表情は、俺が好きだって、そう言った時の顔……。

 ゆっくりと、俺と、土方の唇が、重なる。

 ふわりとした感触は、涙の味がしたような錯覚がした。



 この儀式が、俺の恋の弔いになればいいのだが。





「桂……待ち人が来るまで、付き合ってくれてありがとな」
「……いや」

「付き合わせちまって、悪かったな」


 涙をこらえて笑顔を作ったら、土方の顔が泣きそうに歪んでしまった。


「いや、思ったよりも、楽しかった」







20130810
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