正しい関係 





 何度もキスした唇が、忌々しい捨て台詞を吐いた。
 俺の顔に触れて優しく頭を撫ぜて暖かな手は刀を握り、その鋒を俺に向けている。
 瞳が溶け出してしまうように柔らかく潤んだ瞳には、鋭利な眼光が宿り射抜くように俺に刺さる。


「てめえこそ今日こそ縛に付け」
「貴様ら幕府の犬ごときに何ができる」

 ああ、そうだ。
 これがお前の言ってた正しい関係なんだ。









「十四郎……」
 事後の余韻が残る火照った桂の身体に手を伸ばし、そっと抱き寄せると、桂は抵抗もせずに素直に俺に擦り寄るようにして、肩口に顔を埋めた。
「ん?」
 桂は、俺と二人で居る時は、俺を土方とは呼ばない。桂と俺と二人でいる時だけは、俺は真選組の土方十四郎でなく、俺はただの個としての十四郎になる。外側についた俺を構成しているようなものは何もなく、外殻は剥がれ落ち、ただの俺という個体になる。

「……いや。もう少しだけ、こうしていたい」
「小太郎……」

 俺もこれを俺の宿敵である桂だと呼ばない。今俺の腕の中に素直に収まるこの綺麗な男は、俺達の敵ではなく、桂も攘夷浪士共を束ねる過去の英雄でもなく、ただの小太郎になる。
 桂としての男の情報は色々と掴んでいるが、俺は小太郎のことを何も知らない。見た目に反して高い体温、手触りの良い髪、猫のように甘えてくる時の表情、感じやすい身体、そういう事は知っているし、小太郎はそれだけでいい。

 桂は、俺の身体に腕を回す、痛いくらいの力で俺を抱き締めて……だから俺も同じように、苦しいほど力を込めて抱きしめる。
 このまま抱き締めていればいつか圧着して、俺はコイツと離れないようにならないだろうか。
 二人でいる時は、お前が俺のモノであるならば、ずっと俺と二人で居られるようになんないかな。

「俺達のこの関係は、どこで間違えたのだろうか」

 桂は、そんなことを言った。

 ぽつりと自嘲的に吐き出されたその言葉は、溜息によく似ているとは思ったが、諦観か後悔か判別はつかなかった。

「どうした?」

 桂が、この関係である時に、俺達を持ち出したことはない。
 俺が俺じゃなく、桂が桂じゃなく、だからこそ成立しうる感情なんだ。
 だから、俺達だと認識してしまうような言葉を口から漏らしたのは、初めてだった。

 間違いなんかじゃねえ。間違いであってたまるか。
 間違いだなんて……この感情が、間違いだなんて、認めたくない。錯覚でもなく、確かな熱を持って俺の中に存在している、桂を愛おしいと思うこの狂おしいまでの感情が、間違いだなんて、そんな事あるはずがないのに……。

「俺は、己が信じた正しい生き方しかしてこなかったはずなのにな」
「正しいって?」

 正しいって、それって何なんだ? 俺は真選組である俺を矜持している、そうすると俺らにとって敵であるお前が間違っているでも桂は自分が正しいと信念を曲げない。そうすると俺が正しくない。
 正しいって、それって誰が決めるんだ? 勝てば官軍だって、それってただの結果論だろ?

「土方、お前を愛しいと思ってしまった」

 そんな興醒めな台詞は、夢の終わりを告げている事は分かっている。

「………桂」

 俺は誰よりもこいつを桂だと知っている。俺を土方だと理解されている。
 相手のことなんて何も知らない。

 それでいいって、思っていたのに。

「十四郎……俺は、帰る」
「そうか」
「ああ、こう見えても忙しい。お前も、こんな場所で悠長にしている暇はないぞ。お前もそろそろ戻れ」

 対象を問う場合、どこに? じゃなくて、何に? だって、わかってた。桂の表情が、そう言っていた。今浮かべている表情は、小太郎じゃなくて、桂に戻っていたから……。

「じゃあ、あと十分」
「すまない、もう本当に時間がいないんだ」
「じゃあ五分」

「そんなことを言われると……困るな」
「困るなよ」
「困る。離れたくなくなる」

 そう言って微笑んだ桂の瞳には涙が浮かんでいた。その涙は透明で悲しい色をしていた。
 腕の中のぬくもりを、俺は心から手放し難いと感じていたのに……俺の背に回された腕にも、俺と同じ気持ちが込められていると、そう、俺は知っている。

 顔を見られたくなくて、桂の頭を俺の胸に押し付けた。
 俺は、だって泣いていたから。俺の腕からこの存在が消えることが怖くて、俺は泣いていた。初めからあるはずがなかったのに……。

 でも、桂の細い肩も震えていたのを、俺は気付いていた。













 離れがたいと涙を浮かべた瞳は、険しく俺を睨み付ける。
 苦しいって心臓が言ってる。心臓が握りつぶされるような痛みに耐えて、俺は桂を見据える。

 お前なのにな。
 苦しくて、泣きたくなる。
 お前なのに……それでも俺は興奮していた。

「観念しろ。てめえこの状態で逃げられるとでも?」
「当たり前だ。貴様ら犬などに捕まるはずがない」

 こうして桂と、俺の敵と対峙する時に湧き上がる高揚感。追い詰めて、睨まれて、ぞくぞくする。
 血液が沸騰していくような感覚にも心臓を握られる。身体中の毛穴が開いて、びりびりする殺気を全身に受けて、気分が高揚する。目の前にいるのは、俺達の敵だ。
 俺達の敵である、桂だ。

「桂。てめえを今日こそ捕まえる」

 俺の台詞に対して映えたその不敵な笑みは、本心からのもんだって、俺も知ってる。


 桂が、優雅な動作で刀を鞘から抜き、俺に向かい構える……

 これがお前の言ってた、正しい関係ってやつなんだろうな。






 でも、叶うことなら、もう一度でいい。

 お前を抱き締めたい。








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