先日、俺は恋をした。
相手は、解らない。解らないっていうか……あるんだな、一目惚れって。一目惚れ、そんなのは、初めての体験だった。顔も立場も収入も悪くねえ俺としては、女は選ぶものであって選ばれるものじゃないつもりだったのに……。
彼女に会って……妙に上がる心拍数や、熱くなる身体に、俺は何だかわかんなかったが……俺は、一目惚れを確信した。
一目惚れだなんて、そんな一度見た程度で人間の奥まで解るほど俺もまだ老成しているつもりはなかった。相手を知って、恋に変わるのはそっからだって思ってた。
それでも、俺は彼女に一目惚れをしたんだと思った。
彼女と会ったのは、もう深夜と呼べるほどの時間だった。桂が出たと情報があったから、屯所に篭ってるのも周囲が鬱陶しいから、警戒を兼ねて散歩がてらに見回りに出た時に、彼女は川縁を歩いていた……一人で夜道を歩いていた。
彼女は、暗がりでも、遠目でも解るほどの美貌だった。
彼女は俺が向かってくるのに気付くと、隊服を着ていたからか、軽く会釈をして通り過ぎようとした。治安が悪いほど悪いわけじゃねえが、こんな綺麗な女性が夜中に一人でフラフラ出歩くのは、あんま良くねえんじゃねえかって、そう思ったから声をかけた。
「この辺は攘夷浪士の桂が良く出るから、女ひとりじゃ危ねえ」
気を付けるように言ったら、彼女はふんわりと微笑んだ。
その笑顔は……夜だってのに……月明かりの下で咲く清楚な花のようで……俺の胸は締め付けられるような思いがした。
こんな時間にこんな場所、そういう商売の女なのかもしれなかったが、それでも女からは清涼な匂いが漂ってきそうな、商売をしている女特有の擦れた雰囲気は一切なかった。
どこかで会ったような気がするのは、誰かに似てるからだろうか……こんな綺麗な知り合いはいないから、テレビに出てる女優ににてるのか?
去っていく彼女が見えなくなるまで彼女の背を見つめ続けて……また、会えるかなって……思った。
でも、会えないかもしれねえ。
広い街じゃない。でも、広い町だ。
二度と会えないかもしんないって、そう思ったら、俺は知らないうちに彼女の背中お追っかけてた。
そんで、彼女は俺が走って来るのにすぐに気がついたらしくて、俺の姿を見たら、かなり緊張していたが……それでも俺は走って行って、彼女を捕まえた。肩に触れようとすると、身をさげたから……警戒されてるのはわかった、そりゃ、当然だろう。
「悪い」
「………」
「あ、なあ、あんた」
声をかけたら睨まれた。そりゃ、当然だろう。女がひとりで、いくら俺が真選組だとはいえ、男だ。
「いや、俺は怪しいもんじゃねえ。服見りゃわかるだろ? なんなら身分証明書見せようか? 俺は真選組の土方って……」
「知っている」
知っている、は俺の名前じゃなくて、俺の服で身分が解ってる程度のことだろうが……少し嬉しくなった。
彼女の声は、見た目に反して低かったが……それでもよく通る声だと思った。
「こんな夜中、あんたは何してんだ?」
「……」
「言いたくねえなら、いい」
「家に、帰るところだ」
「夜中に、女ひとりで物騒じゃねえか。送ってやるよ」
「断る」
彼女はそう言って踵を返して歩き出した。俺はその後ろを付いていこうとすると、振り返って睨まれた。
「なんだ貴様。変質者か?」
「いや、それを取り締まる方。基本は攘夷浪士だけどな」
「何なんだ、一体! 付いてくるな!」
「危ねえだろ、女ひとりじゃ。家まで送ってやるよ」
「結構」
女はなおも歩き続けた……身長は俺と変わらないくらいでかい女だったが、だから女としては歩くのは高速だったが……それでも、服の上からでも、華奢な身体は解った。
「本当に、何だ! ついて来るな! 警察呼ぶぞ! 叫ぶぞ!」
いや、それ俺だ。
けど、まあ……仕方ねえだろう。
こんな時間にひとりで出歩いてる女なんだ。男に対して警戒心を持つのは当然だ。
「すまねえ……突然だけど、俺、あんたに惚れたみたいだ」
そう、言ってみた。
それで少し、警戒が解けりゃいいかなって思ったのと……このまま、彼女との出会いを終わりにするのはもったいなくて……もっと警戒される可能性もあったが、でも俺はあんま口が達者な方じゃねえから、何話していいか解んなくて……。
俺が、惚れたって言うと、 彼女は、目を丸くした。
「………」
口も大きく開いていた。
「あんた見た時に、綺麗だって思った。初めて会った感じがしなかった」
俺がそう言ったら、彼女はとても訝しげな顔をした。
「なあ……また、会えるか?」
そう、訊いたら彼女は少し溜息をついてから……それでも俺に笑ってくれた。
綺麗な笑顔だった。
体中が熱くなるくらいに、嬉しくなって……一目ぼれって、あるんだな。
笑ってくれたって事は、会えるってことか?
彼女と、もう少し話したくて近づいたら、突然踵を返した。その時に、彼女の袂から、白いものが落ちたけれど、
それでも、そのまま彼女は走り去ってしまった……すぐに角を曲がって……俺もつい追いかけてしまったが、角を曲がった時には、もうそこには誰も居なかった。
足の速い女だった。
それが、俺の数日前の記憶だ。
そっから俺は、パトロールをしながら彼女を探している。
広い町じゃねえが、どんな都市よりもでかい町だ。もう、二度と会えない可能性もあるが……俺はそれでもまた彼女に会いたかった。
一つだけ、手がかりがある。
残り香、というか。
彼女が走り去ったその場所に、小さな、白いモノが落ちていた。
……妙な……というか、桂が良く連れてる白いペンギンのような生き物の形をした……人形? キーホルダー? 携帯のストラップか? 流行ってんのか、これ?
彼女が落としたか、確信は持てなかったが……でも、彼女がいた場所に落ちていたから、彼女のモノだって可能性もある。
彼女に再び会いたくて、同じ場所を歩いていた……最近、このあたりで頻繁に桂が出たとうい情報を聞く。
攘夷浪士達のアジトがあるかもしれない。彼女がまた歩いていたら、何かに巻き込まれたら、たまったもんじゃねえ。だから、俺は彼女に変な白いキーホルダーを返すために、このへんの警戒を怠らない。
数日後、案の定、桂に会った。
出没の情報はデマじゃなかったらしい。
ただ、桂の後ろ姿を見て、情けねえことに、一瞬、彼女かと思った。
流れる黒髪が、彼女とシンクロしたのが、忌々しい。よりによって桂と間違えるだなんて……。
「……ちっ」
桂は舌打ちで俺との再会を歓迎してくれた。舌打ちしてえのはこっちだ。
パトロールが終わったから、そっからは非番で、久しぶりに俺の家に帰って寝るところだったが……ついてねえ……。
桂は俺を見ると、当たり前のように刀を抜いた。
「ご苦労だな、仕事熱心も大概にせんと婚期を逃すぞ」
親戚のおばちゃんみたいな忠告をわざわざ聞き入れてやる義理なんかねえが、婚期を逃す、で多少焦りも感じた。
確かに、もし彼女と再会し、口説き落とせたら、大切にはするつもりだが、この仕事をしていて彼女に寂しい思いをさせたりしないだろうか。いや、まず再会することが必要だが。
「別に、今日は非番だ。何も持ってねえよ」
せめてなんか武器になりそうなもんでも持ってりゃ、少しはついてたかも知んねえが……生憎。
今、桂とやり合っても、何の装備もない今、情けないが、この男に俺がひとりで勝てるとも思えない。何しろあの攘夷戦争を前戦で戦い続けて生き残った化物だ。
両手を上げた。戦う気はねえ。負けるの解ってて勝負したいほど、俺は命を粗末にできねえ……今は。
隊服を着てたら別だが、今は非番だ。
「……」
俺の態度を見て、桂は鞘に刀を納めた。戦意が無いことは解ってもらえたようだ。
こんな状態で戦って死んだりしたら死にきれねえ。まだ彼女と付き合えてもねえのに。
「あのさ、訊きたい事があんだけど」
「俺に? 貴様の特になるようなことを喋ったとしても、それは嘘だと思う程度の立場と良識を弁えているなら答えてやらんでもないが」
「違えって。人、探してんだ。知ってたらでいい」
「………」
「この辺で女を見なかった?」
「普通に歩いていて、視界に入る五割は女性だが」
あからさまににバカにしたような返事に、質問を変えるしかなかった。そりゃ人類の半数は女だろうよ。
「髪の長い美女だよ。前に、この辺りで見かけた」
「……さあ? 女性を美女かそうでないか、髪が長いか短いかに分けるとすると、俺の視界に入った女の四分の一ぐらいはそうだが、その女がどうかしたのか?」
「いや……」
惚れたからまた会いたくてこの辺を歩いてるって……冷静に考えなくても、ストーカーかよ、俺は。法を遵守して取り締まる方だって。
当然そのまま、言えるはずがない。この男に言えるはずなんてねえ。
「前にその人にあった時の、落とし物……たぶん彼女のだと思うが、大事なもんならって思ったから……」
まさか、こんなものが大事なはずはないと思うが……口実なのはみえみえかも知れねえが……いや、口実だけど、会いてえし。
桂は頻繁にこのあたりで目撃されてる。
彼女とあったのもこの辺だ。もしかしたらって……そう思ったから、
俺は手の平くらいの、妙な人形を懐から出す……
桂はそれを見て……
「……………エリザベスッ!」
いきなり俺に飛びかかってきた!!
「ちょ!」
刀を抜く余裕も無く、桂に懐に入られたっ! 油断した!
コイツの掛け声、おかしくねえかとは、思わないでもなかったが、
まずい、間合いが足りねえっ! 確かになんの装備もしてねえが、いきなり……と、思ったが、桂は刀を抜くわけでもなく、ただ俺の手に飛びついてきた。
あ、これ?
「探してたんだ! これをどこで?」
桂は俺の手ごと、両手で包むようにして、人形を握る。
「いや、ちげえよ! 彼女が落としたんだ」
きっと、多分。走るときに彼女から何か落ちたのが見えたのは、錯覚じゃなかったはずだ。
「いや、俺のだ! 証拠に内側に桂って名前も書いてあるぞ! 他の奴が書いてもわかるからな!」
桂は俺の手から、引ったくった人形の裾をめくると、「桂」って書いてあった……のは、気付かなかった。なんだよそれ。こいつ、もしかして下着にも名前を書くタイプの人間か?
いや、だが、俺の目の前で、あの美女が落としていったはずだ。すり変わったのか? それとも、桂が落としたこれをあの美女が拾って落として、さらに俺が拾ったのか?
「良かった。汚れてない。白いから、すぐに汚れてしまうのに……もう踏まれてボロボロになっていると思っていたのに……土方、お前が保護していてくれたのか?」
「あ、いや……まあ」
保護って……。
桂は俺の手からひったくった人形に頬擦りとかして……なに、この男……あれ? こいつ、攘夷浪士の桂だよな?
「こいつは限定品で、もうどこでも手に入らないんだ……良かった」
「あ……ああ」
桂は、笑顔を浮かべた。年齢は、調べによれば俺より年上のはずなんだが……可愛いとか
思うわけがない! 思ってたまるか!
可愛いなんて桂に感じる感情のはずがない!
が……不思議と、彼女の、あの美しい笑顔に重なる……少し、似てるかもしんない、確かに。
俺は彼女に会ったことがあるような気がした。
もしかしたら、こいつに似てるのかもしれない。桂も、敵ではあるが、敵としてしか認識しちゃいねえが、それでも真選組内部でブロマイドを持ってる奴もいる程度には、人気が高い。たぶん、見た目のせいだろうって事ぐらいは解る。
確かに、綺麗な奴だよ。攘夷浪士でさえなけりゃ、そんくらいは認めてやるよ。綺麗な男だ。それは、解ってるが……
でも、可愛いとか……今俺はそう、思ったか?
間違いじゃねえか?
俺は、もう一度、バケQみたいな白い人形に嬉しそうにキスをしている桂を見る……。
可愛い、とか。
あるはずが、ねえ。
でも……なんか、顔が熱いんだが……。
「有り難う、土方」
「……」
俺は……彼女に、もう一度会いたいって思っただけなんだが。それでこの辺りを歩いて、
うっかり桂に出会しちまって……
今、桂を別の意味で捕まえたくなった。
了
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