反射



 





「なあ……」

 土方が、俺の髪をそっと掻き上げて、その指で俺の頬の形を辿る。


「桂……俺の事、好き?」

 吐息に混ぜられた声は、俺の中枢神経まで届かずに、上辺を掠めた。

「ああ。俺は、お前が好きだ」

 心で濾過させてから吐き出されたわけではなく、俺のこの言葉はただの反射だ。歩くために、右足を出した後に左足を出すのと同じこと。
 好きかと訊かれたら、好きだと答える。そうすることになっている。心を通さずに跳ね返しているだけ。

 俺の言葉に、何も意味などない。在ってはならない。



 土方の唇は、ゆっくりと笑みの形を刻むのに、その眉根は苦しげに寄せられていた。

 ……ああ。


「なあ、桂……」

 土方の指先が、形を思い出させるように、ゆっくりとした動きで俺の唇をなぞる。くすぐったいような……土方の指先の動きに意識を翻弄されるわけにはいかないので、視界を閉ざすことでやり過ごす。

「俺を見て」

 望まれてしまったので、仕方なく俺は目蓋を持ち上げた。

「ああ……俺は土方を見ている」


 見たくもないのに。

 目を開くと近く居る土方の表情が見えてしまうから……見たくはなかったのに。


「なあ、見えてる? 俺のこと見てる?」

「ああ……俺は、お前を見ている」

 見たくなど、無いのに。
 お前は自分で気付いていないのか? 酸素は俺と同じようにこの空間に足りているはずなのに、何故それほどまでに呼吸が苦しそうな顔をするんだ。
 お前の表情を見ていると、俺まで苦しいような気がしてしまう。

 だから、見たくないのに。


 土方が今自分でどんな表情をしているのか、自分では、きっと気が付いていないのかもしれない。気付いていて、わざと俺に見せつけているのかもしれない。

 だが、俺がその事を指摘するわけにはいかない。その表情が辛いと、そのそぶりを見せるわけにはいかない。
 この空間を崩す要因を俺が作り出すわけにはいかない。

 俺は、土方の表情を反射させなくてはならない。

 土方の表情を見た俺の心が辛くなったとして、俺が同じ顔をすれば、今土方が自分の表情を認識してしまう。
 俺は、土方の表情を映しているふりをして、ただ笑っていなければならない。


 俺は今、上手く笑えているだろうか。




 土方が、この空間に満ちた欺瞞には気づいてはいけない。それが、俺達の黙約だ。


「なあ、桂……」


 そっと、土方が顔を寄せるから。
 俺も同じ速度、ゆっくりと焦らすほど、時間を感じさせないほどの動きで、土方に顔を近づけ……そっと、唇を重ねる。
 掠る程度。
 湿り気を帯びた吐息が、触れる。

 じんわりと、熱を持つ。



「俺の事、愛してる?」



「…………………ああ」


 もっと。

 深く。

 唇を重ねて皮膚の感触を唇で感じ、吐息も唾液も混ぜあうようにして舌を絡め合うようにして、もっと、深く……と、

 そう、俺が思うわけにはいかない。
 俺は、そう、思っているはずがない。



「愛しているよ、土方」


 これは、ただの反射だ。
 そうやって土方に訊かれたら、そう答えるようになっているだけで、俺の心を透過させた言葉ではない。ただの、反射であり、優しさだ。

 嘘ではなく、ただの優しさだ。嘘などと言う本質に即した利己の主張ではなく、自己擁護のための優しさでしかない。



 俺は自分の為にこの嘘を反射的に口にする。自分に対する甘えだ。

 反射として用意された言葉を吐く……そう思っている自分に対しての甘えだ。

 それなのに、その度に、痛い。
 ただの、反射だというのに、俺の心のはずがないのに。
 まるで心臓を斬られるような痛みがする。痛いのに、こんなに痛いのに、それでも俺はその痛みを表情に記載するわけにはいかない。


 この言葉はただの、反射だ。そうする事になっているだけだ。
 この反射に込められた優しさは土方へ向けられているものではなく、ただの自己保身だ。



 痛みを伴う嘘は、反射として口先だけで行わなくてはいけない。



 心を通した言葉を土方に告げるわけにはいかない。
 嘘でなくてはいけない。ただ、用意された言葉で、何も意味などない。

 好きだと訊かれたら好きだと返す。そうする事になっているだけだ。だから、違う。





 土方の持つ情報の対価として、俺が持つ情報ではなく、土方はこんな言葉遊びを条件に出した。
 感情などなくていい。ただ、二人で居る時は真選組も攘夷も忘れて恋人のように振る舞えばいいだけで、他の見返りは要求されなかった。
 何の役にも立たない、誰のためにもならない、ただの無意味な言葉遊び。

 俺は土方の望みなど知らない。
 目的も解らない。

 こんな恋人の真似事など、時間の無駄でしかないというのに。


 離れた唇が名残惜しいなどと、思いたくはない。





 感情など、無用な長物に過ぎない。無駄なものだ。必要がない。何の役にも立たない。
 だから、俺は土方の言葉を唯おうむ返しに繰り返しているだけだ。

 土方も、そう認識してくれているはずだ。




 吐息が触れ合うほどの距離で、土方の手が、俺の両頬に添えられ、土方の手の平の温もりに包まれる。
 土方が瞬きをしたのだろうか、睫毛が俺の目蓋に触れた。






「土方……俺は、お前を愛しているよ」







 もし、心を通過させてしまえば、その言葉が真実になってしまいそうなんだ。
























20120505
湿っぽい話ですが、土方さんお誕生日おめでとうな気分で、土桂文のつもりで、今は26日じゃないですよ。2012年5月5日26:30ですよ。
2000