この状態……。
つまり、土方が俺の腕を掴んでいる、この状態だが……。
久方ぶりに、前後不覚になるまでに怒りに身を任せてしまった。
当然、落ち着いて考えれば、こんなやつに腕を取られる前に、とっとと逃げるべきだったが、どうにも正気に戻ったのは今だ。
何しろ何も覚えていない。いや、殴ったり蹴りつけたりした手応えは、かすかに残っているが……。
「……………」
下を向いて、唇を噛む。
このまま、捕まってしまうだろう。いや、もう既に捕まれている。
まだ、呼吸が整わない。だいぶ派手に暴れてしまったようで、廃屋に近い空家の壁も穴が開いて入口になっているし、入口だったような場所には戸は無く風通しが良くなっている。近くに頭から板を被って居る奴が居るから、手近にあった扉を掴んで叩きつけたようだ。
周囲を見る限りでっは、だいぶ、派手に暴れたらしい。俺が。
これほどまで手当たり次第に暴れて、その中で誰も死んでいないのならば良かったが……それは、良かった。何よりも、良かったと思う……が
土方が、居る……のは、良くない。
何故、俺は理性まで放棄してしまったんだろうか。この男達の隙を見て、逃げ出すことぐらい、俺には出来たはずだ。きっとできたに違いない……と思う。たぶん。
だからキレないように気を付けていたと言うのに……。
当然だろうが、土方は……俺を捕まえるだろう。既に掴んでいるし。
さすがに、今この男とやり合って勝てる気はしない。真選組(カス)であっても、それなりの使い手だ。普段であれば負ける気はしないが……だいぶ派手に暴れたようで、まだ呼吸も整わない。先程までの指先の震えはなくなっていたが、それでも小気に戻った途端に、一気に疲労物質が身体を重くした。
今、この状態で、どうやって逃げるか、だ。逃げられるのか? すでに、捕まれている。
俺は、悔しさに唇を噛み締めた。そのくらいしか、出来なかった。
「……大丈夫だから」
大丈夫?
大丈夫だと、そう言って……そっと、土方が、俺の掴んでいた手首を離し、両手で俺の手を包んだ……のは、何故だ?
「大丈夫だから、屯所まで来てくれないか?」
………嫌だと断りたいが、非情に不本意だが、俺にはどうせ断る権利などないのだろう? そうせざるをえないだろう?
今の状態で、さすがにこの男から逃げ切れるとは思わない。武器も無い、己が身の体力も底を尽きてしまっている。
こうなったら何処へなりとも連れて行くがいい!
「怖かっただろ?」
怖かったに決まっている。命を落とすような恐怖ではないが、男としての何か大事なものを捨てなければならない所だった。怖かったに決まっている。
が、それより……今が、怖いというか、マズイと言うか。
土方はまだ震えている俺の指先を、俺の腕を掴んで居ない手で、暖めるように握った。
「酷いこと、されたんだろ?」
いやいやいや………されてたまるか! 未遂だ、まだされてない!
俺は何よりも攘夷を優先させて生きてきたが、攘夷以外にも武士の誇りも男のプライドもちゃんと兼ね揃えている!
「大丈夫だから、俺はあんたの味方だから」
いや、敵だ!
目下最大の敵だ!
何だ、コイツは?
「怖かったなら、何も言わなくていいから」
そうワケの解らない事を言った土方に、意味を問おうとした時に、抱き寄せられた……土方は、俺の背を優しく撫でた。
「もう大丈夫だ……」
……?
土方は……何だ? どうしたんだ? 俺が覚えていないだけで、うっかり土方も殴ってしまっていて、脳の変な場所に妙な作用を起こして、人格が反転したのか?
「何されたかわかんねえけど、俺が守ってやる」
守る?
何から何を?
万が一、俺を保護しようなどというつもりがあるのならば、それよりも開放してくれた方が有難いのだが……。
それに、何も、されてない!
確かに、触られたけど。不快なもん押し付けられたけど!
顔にかけられた唾液も、触られた足も、突っ込まれた指も、押し付けられたブツも全てが思い出すだけでも鳥肌ものだが!
未遂だ!
自分の貞操くらい死守できるわ。
ふと、顔に唾液が付着していたことを思い出し嫌悪感が極まりなかったので、土方の肩に頬を擦り寄せて拭ったら、土方が俺の背に回した腕に力を込めたのが解った。
「話が聞きたい。屯所まで来てくれねえか?」
「………嫌、だ」
と。
そう言ってみたら、今、何故か、土方の家に居る。
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20120917
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