耳元で、桂が荒い呼吸を繰り返している。
「ひじ、かた……」
俺の耳に、脳味噌に直に触れるような小さな声で、静かに、名を呼ばれた。
「桂?」
うっかりと……やけに甘い声が出た。桂に対して、俺はなんて声出してんだ? きっと、手が動いたら当たり前のごとく俺はこいつの身体を抱きしめていただろう。
手が動いたら、きっとこいつの髪を撫でたりしてたんだろう……。
桂相手に、何考えてんだ? 終わったからって別に何かが変わるわけでもねえのに……中はまだ熱くて達した直後の倦怠感は全身を襲うが、事後の余韻に浸るには相手が悪すぎた。
「土方」
もう一度、小さな声で、呼ばれたが……
違和感。
今までのような艶のある、鼻にかかる高い声じゃなくて、なにやらやけに堅い声をしていた。さっきまで悲鳴じみた甲高い声でよがっていた声じゃ、無かった。
どちらかと言うと町中で居丈高に俺たちを侮蔑する時の口調によく似ていて……。耳元に、そっと吹き込むように、俺の名を呼んだ。
「土方、そのまま声を出さずに聞け」
「桂?」
「黙れ。声を出すな。外に聞かれる」
「……」
外……そうだ! 今の全部見られてるってことだよな……いくら、こんな状況だったからって、外に、誰か居たかもしんねえのに……。
「声は出すなよ」
桂が俺を抱きしめるように、俺の身体の下に手を忍ばせる。桂の手が俺の背に滑り込んできた。
桂の服で覆われているから、桂の手がどうなってるかは外からは見えないだろうが、俺の縄を解いているようだ。
「……何かいい案でも思いついたか?」
俺の腕の拘束を解こうとしている……という事は、脱出方法でも考えたってことか?
「このまま続けるぞ」
「は?」
何言ってんだ? こいつ?
「黙れ、声を出すなと言っている」
「………」
有無を言わせぬ圧力に、俺は口を閉じた。こんな状況で外に誰も居ないのが解ってんだったら、何を続けんのかを訊きたいとこだったが……いや、でも続けるって、何をだ? まさかまだ足りないとか言うわけじゃねえだろ?
「このまま……お前が縛られていて、俺が薬で酔っていると油断すれば、煽られた馬鹿が入ってくるかもしれん。扉が開いた時を狙う」
「………」
薬にやられておかしくなったかとばかり思ってたんだが、んなこと考えてたのかよ、こいつ。こっから出て助かったらまず桂を屯所より先に病院に突っ込もうと思ってたんだが……一応脱出を考えていたらしい。一応正気だったらしい。
が……。
「んな事で入ってくるかよ」
ここに居る奴は桂が誰だか解ってない馬鹿じゃねえだろうが。薬でおかしくなっていたとしても桂は桂だ。のこのこ不用意に中に入ってくる奴がいるだなんて思えねえが。
「残念ながら他に方法が思いつかん。馬鹿である事を願うばかりだ。が、お前も乗ってきたんだ。扉の外に一人ぐらい馬鹿がいても良いと思うが……」
一人ぐらいって……外に、何人居たんだよ……この行為、何人に見られてんだ?
「土方……続けるぞ。もっと見せつけてやろう」
「……ああ」
どうせ、他に思いつかねえし、ただ機会を待っているより、少しでもその確率を上げた方が早く出られるだろう。
桂が俺の腕の拘束を解いた。鬱血してた手に急激に血液が流れていったのが解る。早く腕を伸ばして血を巡らせたい……が、確かに今動かすわけにはいかなそうだ。
桂の腰掴んで、動かさないように気を付けねえと……。
「土方……もっと、して」
身体を起こすと、肩に掛かっていた着物が滑り落ちて、桂の生身が晒された。白い肌が、やけに艶めかしい。
「ああ、桂。壊れるまで犯してやるよ」
転がった男達は、だいたい三十人弱。
疲労した身体でよく健闘したと思う。一人頭十五人。
いや、俺はほとんど何もやってねえ。桂の隙をついて斬りかかろうとする奴らを数人沈めたくらいだ。
とりあえず、壊滅させた。ほとんど、桂が。
そんで、頭は、どいつだ? 一応、写真で見た事はあったはずだが……顔が原型留めてねえ……やりすぎだっての。屯所に入る前に、病院に入れなけりゃなんない奴がほとんどだった。
時計は見てなかったから解らねえが、俺がわざと桂に恥辱を煽るような言葉をぶつけて、桂が盛大に声を上げてよがって、自分から腰を振り始めて、だいたい十五分ぐらいした頃だろうか。
桂の計画した通りに煽られた馬鹿が、本当に入ってきた。
扉が閉じられる前に、動き、入ってきた奴と、扉の外に居た三人を叩きのめして、そいつらの持っていた武器を奪い、今……壊滅させた。
裏を取ってから潰すつもりだったが、手順が逆になっちまった。まあ裏は取れてねえが、今から探ればなんかしら出てくんだろう。桂が居たってことは、こいつらがなんかしでかしてたことは確実だ。
「さっさと応援を呼び、捕まえるといい。調べなくとも、貴様が勘繰っている密売は事実だ。俺は疲れたから帰る。裏はすぐに取れるんだ。詳細はこいつらに直接聞けばいい」
「言われなくてもそうする」
桂がどこまで調べがついてんだかは知らねえが。こりゃ、近藤さん大手柄じゃねえか。
ただ、直接聞こうにも、こいつらが喋れるようになるまで、どんだけかかるんだろう……。やりすぎだって。死人こそ出てないが、半殺しにはされている。桂が怒りのままに暴れた結果だ。
「にしても、あんな方法でよく脱出できたよな」
「貴様すら俺に煽られて乗ってきたんだ。この程度の組織、馬鹿の一人ぐらいはいるだろうと思ってみたが、本当に馬鹿だったな」
って……俺に見せるようにわざと一人でヤってたって事かよ。俺が乗ってくるようにし向けたのか? んで、俺の状態確かめたってのかよ……。
そりゃそうだよな。
はじめっから計画伝えられりゃ、逃げるために多少の協力で演技くらいこっちだってしてやったつもりだったが……。
つまり、俺も馬鹿の一員て、証明しちまった?
「あれ、わざとだったのかよ? 初めから俺に言えば、あんな事やんねえでも……」
いや、だが薬は飲まされていたはずだ。苦しそうに震えていたのが、演技だったとはとても思えねえが……。
桂は、忌々しげに舌打ちした。
「密売されていた薬は押収次第、早く捨てた方がいい。タチが悪いからな」
具体的には答える気はないようだったが……。
桂が飲まされてたのが密売されていた薬か。確かにタチが悪そうだ。
結局どこまでが薬のせいでどこまでが桂の演技だったのか、俺には解らねえままだが……演技だったってことにしといてやるけど……。
「身体、もう、いいのかよ」
桂がの演技だったとしても、つまり薬は飲んでいたってことだろう。そうでなけりゃ、縛られもせずに俺と同じ場所に入れられるとも思えない。
さっき三時間くらいで効力切れるって……まだ二時間くらいしか経ってねえし……。
「暴れたから落ち着いた」
暴れたから……って……
実際、桂の暴れ方は、鬼気迫るものがあった。
桂の動きは容赦なかった。いつも俺達に対してはただ逃げるためだけで、圧倒的な強さは、狂乱の貴公子との異名を納得させるだけの迫力があった。今転がっている約三十体の男は、ほとんど死体に近い程度には半殺しにされていた。
それで落ち着くって……発散方法が、あまり健全じゃねえぞ。
「ではもう俺は行く」
桂が背を向けた。特にもう桂には何の用もなかったが……桂の足下に、ガメラが落ちていたのを見つけた。
「桂、待て」
「何だ。協力してやったのに俺まで捕まえようと欲張ろうとでもしてるのか? まだ暴れ足りないから返り討ちんしてやるが」
「あ、いや」
ちょっと足下のカメラって言おうと思っただけだが、自分で拾う。拾ってくれだなんて言おうとしたのが間違いだった。桂に何か頼もうとした俺が馬鹿だった。
カメラ、が……なんか情報でも入ってりゃって思い、電源を入れた……。
軽い起動音がして、ディスプレイに電源が入る……壊れて無かったようだったが……。
「……これは」
カメラの画面に映されてたのは、桂だった。
桂が、大勢の男の中で、半裸になって縛られて、足を大きく広げてケツの中に太い張り型突っ込まれてたり、複数の男に……そんな写真が何枚も……。
「土方。どうした?」
俺の手にカメラがあることに気付いて、桂が脇から俺の手の中を覗き込む。
「……!!!」
カメラの画面を刀が貫通した。
俺の手から離れたカメラは、桂の刀によって、床に刺さり、壊れた。
一歩間違えば、カメラを持ってた俺の指も、切られるところだった。
砕けたカメラ……と俺の足のわずか数センチ先に突き刺さった刀。
「てめっ! あぶねえじゃねえか!」
「土方貴様………見たな」
桂は、ゆっくりと顔を上げて、俺を見た。
そんで、ぞっとするほどに、綺麗な笑顔で微笑んだ。
「あ……いや、」
「見たんだろ?」
「いや、見てねえ。何も見てねえ!」
背筋が、凍りつくかと思った。
「貴様の目を潰す! そして、半殺しじゃ生ぬるい! こいつらを全員殺してやるっ!」
「ちょ、待て! 待て!! 俺は何もしてねえだろうがっ!」
そっから、俺に向かい斬りかかってきたり、転がってる奴らの息の根を止めにかかる桂を止めるのに時間がかかって、結局応援を呼べたのが明け方だった。
了
19300