日が高くなってきていた。世界が高い場所から照らされ、影が短くなる。
顔が………こっちを見ている。死体についている顔が……俺達を見ていた。
その中に………。
やっぱり、な。
別に驚くことじゃねえ。
たいした仲でもなかった、俺は。やっぱりとしか、思わなかった。それ以上感じることは、せっかく麻痺させた感情を解凍させなければならなかった。
考えたら。
終わる。
こんなこと……何にもできなくなる。
昨日まで、息をしていた。桂のお気に入り君だった奴。
死ぬと思った。昨日も。
死ぬと思った奴は戦えない。
この部隊に志願したのはそっちだ。俺達はこの作戦で死んでも良かった。派手に暴れれば良いだけだった。あと一回でっかい戦争をすれば、一先ずは終わる。帰れる。半年近く帰ってねえ。もう、そろそろ気力も尽きる。
ここの守備の要所で陽動して、戦力をこちらに持ってきて、手薄になった状態で敵の本陣を叩き潰す。俺達は、流れてきた戦力を足止めできれば良かった。
死んでも。
戦力温存なんていうぬるま湯に使った作戦なんか通じない。死んでも勝てればいい。
みんな、死んだ。
俺とヅラしかいねえ。
「銀時?」
ヅラの声で、まずったと思った。俺の視線の先に気付かれたかと思った。
ヅラだっていちいち死んだ死体に花を添える程度も感慨を持っちゃいない。持ってたら、ここでは生きていられない。
だけど、この死体は……まだ動いていた時に、桂がそれなりの執着を持っていた。
俺の視線を辿られる前に俺は目を逸らさなければならなかった、ヅラが気付いちまう前に………視線の絡み合ったこの死体から……
「………ヅラ、帰るぜ」
後ろの気配から、ヅラが気付いちまったのがわかった。
背中に感じていたヅラの温度が急激に凍りついたから。
見せたくなかった。
俺は、これを見せたくなかった。
コイツが気に入ってた奴だった。惚れていたのかはわからないが、気に入っていたことぐらいはわかっていたんだ。これをヅラに見せるべきじゃない。
俺達はいつからか、死に対して無頓着になった。
そうならないと、やってけなかった。それが、正しかったんだ。そう思うしかない。
だけど………。
ガキの頃、皆で飼っていた小鳥が死んだ事を思い出した。
羽根が折れて飛べなくなった鳥がいたから、なんとなく連れて帰った。
その鳥をヅラはひどく気に入っていた。
鳥と遊んでいたヅラは本当に嬉しそうに笑っていた。昔から凛とした表情で、滅多に笑顔を作らない奴だった。ヅラが、鳥と遊んでいる時は始終笑顔を浮かべていた。
どれだけのものかと思って俺もヅラの笑顔を思い出して小鳥と遊んでいたことがあった。
可愛いとは思った。俺もけっこう気に入っていたし。
ヅラが気に入ってくれたから、良かった。小鳥は飛べなくて可哀想だと思ったが、あんなに可愛がって貰えるなら別にいいんじゃないかと思っていた。
その小鳥が、ある日鳥かごの中で死んでいた。
ヅラに見せたくないと思った。早く埋めちまおうと思った時に………あの時と同じだ。
『死』をこいつに見せたくないと思った。
あの時と同じ気分だ。
『仕方ねえよ』
あの時はそんな陳腐な台詞しか思い付かなかった。ヅラが泣いていたのを俺は初めて見た。ヅラに涙があったことを俺は初めて知った。あの時からまた忘れたけど。
あの時の俺に、気の利いた言葉なんざ思い付くはずがなかった。
「仕方ねえよ」
今だって変わらねえ。何にも思い付かない。
すっかり明るくなった空は、死体だからできる苦悶の表情を照らしていた。激痛の中で死んだのか。
仕方ねえよ、こいつはもともと戦力外の存在だった。
仕方ねえよ、俺達だって今回も危なかったじゃねえか。
仕方ねえよ、こいつがこの部隊に志願してきたんだ。
仕方ねえよ、死んじまったもんは。
仕方ねえよ、
……何が?
俺がもっと強ければ、俺にもっと力があればもっとたくさんの仲間が生き延びることができたのかもしれねえ。
俺がもっと強ければ、ヅラが傷つく事なんかなかった、もっと強ければ、もっと早くにこの戦いを終わらせて帰ることが出来た、もっと強ければ、こいつはこんな風に泣けない奴になんかならなかった、もっと強ければ……
仮定は、ただの希望だ。
こいつの感情が麻痺しきってきたのは、最近だ。
もう、やめて欲しいと思った。
お前が変わるくらいなら、俺が全部引き受けるから……。
おまえがそんなんなるくらいなら、もう戦うなよ。
ふらふらとした足取りで、ヅラが死体の側に寄る。
行くなと言いたかった。
ヅラが膝をついて、死体に触れる。
触るなと言いたかった。
ヅラがそっと死体を抱き寄せる。
血がついちまう。
汚れちまう。
やめてくれよ。
俺もヅラももう、血と泥でどろどろに汚れていたけど。
これ以上汚れないでくれ。
お前が泣いた顔は嫌いなんだ。
死体を抱き締めて………。
そんなもんに触れんなよ!
そっちにヅラを連れて行くなよ!
そう、言いたかった。行くのは奴の意思なんだろうが。俺がここでどんな言葉をかけても、ヅラはヅラの意志で動いているんだ。俺が何かを言う所じゃねえ。それにその何かすら見つからねえ。
こいつの泣いた顔は見たくねえ。泣けない顔はもっと見たくない。
「ヅラ、帰るぞ」
いつまでもここにいるわけにはいかない。
敵の援軍が来るかもしれない。いや、本陣に応援に行った敵がいるから、そっちも気になる。
ヅラの出血も気になる。まだ血が止まってない。早く手当てが必用だ。
早く、それ……死体から離れて欲しかった。
「ヅラ……あんさあ」
「………」
気に入っていた奴だ。仕方がねえ。仲良かった奴が、気を許した奴がこんな風にひどい形相を固めたまま冷たくなってたら、俺だって泣きたくなるかもしれない。
そんなの日常だ。
昨日肩を抱き合って、大声で笑いあった奴も死んだ。
ずっと仲の良かった奴も死んだ。
忘れろよ、さっさと。
今は、忘れて前を見ろよ。
今すぐにそれを離して忘れちまえ。
俺は、なにもできなかった。ただコイツの後ろ姿を見ていることしかできなかった。
何にも出来ないから、ヅラの髪の毛を掴んだ。
血で固まっていていつもの手触りじゃあなかったが……。
ここに触れる以外に俺はどうしていいかわからなかった。こいつのどこに触れていいのかわかんなかった。
死体を抱き締めたヅラが、冷たい肉の頬に唇を落としているのをただ握ったヅラの髪の束に力を入れながら俺は見ていた。
やめろよ、そんなことすんじゃねえ。
思わず、強く髪を引いた。
ようやく、ヅラが俺に気が付いたようにこっちをゆっくりと振り返った。
桂は、笑っていた。
うっすらと、笑みを口の端だけに張り付けて笑っていやがった。
ぞくりと、
背筋に冷たい汗が流れた。
泣いていると思った。小鳥が死んだ時は泣いていたから。
こんな風に死体を抱き締めて、俺はこいつが泣いているもんだと思っていた。
桂は……笑っていて………。
これは、もう、俺の知ってると思っていた桂じゃないのかもしれねえ。
お前は、何で………。
「俺は、お前の事が好きだったんだけどな……」
桂は、俺が見たこともないような笑顔を作った。
070926
今月中に終わらせる予定だったのに……
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