ああ……怪我はないのか。
桂はスタミナはあまりないが、無駄な動きを極力避けて、並外れた身軽さと動体視力とで、今まで無傷で戦ってきた。
今回も……怪我はなさそうだ。
泥々に血を浴びて汚れてはいるが、怪我はないようだった。今も、髪が切られただけで、何とかかわせたようだった。
呆然として……動こうとしなかった。
地面に散った、黒い髪。
「帰るぞ」
俺は鉛になったように重たい身体をなんとか持ち上げて、ヅラに近づいた。
「俺の髪が………」
呆然として、地に散らばる髪を見つめていた。
恐ろしいほど、見れば呪いがかかりそうなほどの転がった人間以外の頭部はスルーして……。
「ああ、斬られたな」
俺が突き飛ばさなけりゃ髪どころか背骨まで一緒に切り裂かれてたところだぞ。
膝をついて、俯いて地を見つめる桂の肩から零れる髪は左側だけが不揃いだったけれど……。慣れない、髪形。ずっと……ガキの頃から無駄に長かった。俺や高杉によく女みたいだとか言われていたのに、言われるたびに憤慨してたのに、それでも切ろうともしなかった。
俺も、この髪が好きだった。
片側だけが、少し短くなっていたけれど……。一般的成人男子にしちゃ長いんじゃねえの? もともと長いんだから、そんなくらいじゃ大して変わんねえよ。別にボウズになったわけじゃねえだろ? もういっそのことハゲにしちまえ。
それに俺なんか右腕ざっくりいってるんですけど……
マジ痛えんですけど……。
俺の無敗無傷伝説がここで崩れちまったじゃねえか。
そのことにも傷心だし、俺の方がどう見てもダメージでかくね?
「髪が……」
「またすぐに伸びんだろ? お前エロいんだし」
何だよ、コイツは。
戦ってる姿は少しはカッコいいんじゃねえの? とか見直したりした俺が馬鹿みたいじゃねえか。
こんなこと、言いたかないが………
昨日てめえが夜一緒にいた奴だって………もう生きちゃいねえのに。
てめえだって、それを確認したはずだ。
俺達の目の前で、腕を切り離されて、内蔵撒き散らしながら死んでいったじゃないか? そんなのが日常だ。誰が死んでもおかしくない。俺だって死ぬかもしんねえし、お前が死んでたかもしれない。
あいつは、断末魔すら、叫べなかった。
敵を斬りつけているその腕を斧でぶった切られて、腸を裂かれて死んでいった。
見たよな?
誰かが死んだことで悲しいなどと感慨深く泣かれたって士気が下がって困るが、それにしても……。
命の重さを語るのはここではあまりにも馬鹿らしいほど、誰かがすぐに居なくなる。その代わりの戦力の補充さえ稀だ。命を誰かとして捕らえるのではなく、戦力として考えることしか出来なくなる。昨日、話した奴だって、目の前で死んだ。仲の良かった奴も帰ってこなかった。
「てめえ……」
わかっているんだ。
考えたら、戦えなくなる。
意志が、折れる。
俺達は、変われない。変わっちゃなんねえ。まっすぐ、自分を曲げちゃいけねえ。俺達についてきてくれる奴らだっている。俺たちが強くあれば、それに追従してくれる奴らだっている。
「短くなったら、銀時に触れてもらえないだろう?」
「は?」
何を言おうとしたのか、その真意がわからなかった。
もともとネジのイカれた奴だが、最近は特にぶっ飛んでる。
「銀時、おんぶしてくれ」
「はあぁ?」
口を尖らせて、駄々っ子ですか、アンタは!
「駄目だ、ショックで動けない……」
「いやいやいや、俺なんか腕斬られちゃってんのよ? けっこう大怪我なんすけど」
「ここまで枝毛もなく伸ばすのにどれ程苦労したかわからないのか!」
いや、ちょっと、ヅラさん、何逆ギレちゃってんの?
てか、何なのこの人は?
……この荒れた命のやり取りの中、俺の知ってる桂はいなくなったんじゃねえの?
いつものヅラなんだけど、それが逆に違和感だった。
無理矢理いつもを装うことを課していたのは、わかった。無駄に知識欲旺盛な馬鹿だけど、情には厚い奴だった。そう、思ってた。実際そうだった。だからついてくる奴が出る。こいつの夜のお相手として、ではなくて、本当にこいつに心酔してついてくる奴が大勢いる。そいつらはこいつの実態を知ってるのか知らないのかは知らねえが。
いつから、コイツはこんなに……。
泣けない奴になったんだろう。
実際、呆れたというのが、正直なところで………重たい。
切り離す事は簡単だった。
背を向ければいい。それだけだったから。
俺から桂を切り離すことは、簡単に出来ると思った。
それで、ついてくればまだ見込みはある。
ついてこないなら………。
このまま……桂が別の人間になってしまう気がした。
もし、ついて来なかったら……。
それは、さっき感じた死に面した時よりも恐怖だった。
宿営地は今は一つだけ。今後の戦略に備えて本陣とあと二、三の小隊に分けるつもりだが……。今は帰る場所が同じなのだから、俺がここで見棄てて置いて行っても、まあそのうちに帰ってくるのだろうが……。
帰って来た時には、別人になっているような気がした。そうしたら、もう二度と元には戻らないような気がした、こいつが。
その時には、もう俺の知ってるこいつが何処にもいなくなるような……。
「帰るぞ」
俺は、桂に手を差し出した。俺にはその選択しかできなかった。切り離せなかった。こいつを。
泣けない奴になっていても。俺の知ってるヅラじゃなくても。
自分でも、自分の行動が苛ついた。
棄てて帰りたかった。
こんな奴、知らない。
………と。
「……銀時……」
素直に、桂が俺の手を、取る。
やけに、冷たかった。ぬるりと、血と汗で湿っていたのは俺の手か?
俺の手を握って、そこに体重をかけて立ち上がる。
何時もならコイツの体重程度が思いと感じることはなかったけど……今日は
……やけに重く感じた。
少し、歩いた時に、桂が俺の手を放そうとした。振り払われたわけではなかったが、自然にヅラが俺の手から自分の手を外そうとしやがった。
一人で歩けると言いてえのか?
俺を横に置いて、お前は一人でいいとか、言いたいのか?
俺はムカついて、ヅラの手を握り締めた。骨が潰れるぐらい……敵を切る時に刀を握る力で、俺はヅラの手を握りしめた。
放すんじゃねえよ。
……勝手に離れていくんじゃねえよ。
何だか知らねえが、勝手に俺から離れるんじゃねえよ。
背中を預けるのも、肩を並べるのも、誰よりもお前がちょうどいいんだ。
「銀時……」
「なに?」
こっちは、口を開くのさえだるいんですけど。
疲労困憊してる時に誰かさんのせいで心身共にくたびれ果てちまいましたが、何か?
「頼むから……今、こっちを向かないでくれ」
…………。
「……別にいいけど」
俺は……ヅラが、泣くのかと思ったから。
下を向いて、斬られても長い髪でその顔は隠れていたが。
俺は握った手が石のように重くなるのを感じた。
ヅラが、口の端にうっすらとした笑みを吐いていやがったから。
070915
→
|