陽のあたる場所 16 



 





 高い空。

 抜けるような青。鳥がさえずる音と、風に揺らされた葉が擦れて鳴く声。

 草原に寝転んで、何にもしないでただゆっくりと形も変えずに流れる雲を見ていた。ゆっくりとした時間。
 何もせずに何も考えずに俺達はただここにいた。


 何も考えなくていい、今は。
 今は、何も考えたくない。考えなくても良い時間だ。減った兵士の数も、進軍経路も、何も考えなくて良い。目の前に積みあがった死体も、それを焼く火も、焼き払った城壁の煙も、何も見なくて良い。今は、浮かんでいるのか流れれているのかわからない雲を見ていれば良い。



 帰ってきた。またここに帰ってこれた。高杉も坂本からも連絡があり、数日の後に帰ってくるということだ。
 どうせまたすぐに戦いに赴くのだが。それでも、帰ってきた。


 今はこの何もなくただ広がる時間の中に埋もれていたい。


 いい気分だ。
 世界はこんなにも色で溢れていた。

 今までの世界は血の色と瓦礫の色と血の染みた地面の色だけで構成されていたから。その三原色で造られた世界は大して感情を疲弊させていた。
 今はこの場所で、色を見ている。

 ……隣に銀時がいる。
 さっきから、銀時は動かない。

 寝てしまったのだろうか。
 寝入るのは昔から早い奴だった。そのうちの何割かは狸寝入りだったりもしていたが。面倒な時とか、そうやって誤魔化していることぐらい、わかっているんだぞ。



 今ははどっちなのだろう。



 どちらでもいい。
 近い場所に、手を伸ばせば触れられる場所に銀時がいればそれでいい。いつでもおまえが一番近くにいた。それが変わらなければ良い。今がそうやって、この瞬間があればそれで良い。



 草の匂いが心地好い。
 太陽の光が暖かい。風が柔らかく世界を撫でる。


 こんなにも優しい世界がある。

 俺は寝入っているらしい銀時の投げ出された手にそっと触れた。

 寝ているはずの銀時の目蓋がぴくりと動いたから、寝ているふりをしているだけだろう。ただ目を閉じているだけかもしれないが。
 別に銀時とここで喋りたいわけでもないから、それでいい。視覚意外にも……ここにいるだけで気分がいいんだ。温かい陽射しが包む。心地よい風が薫る。帰ってきたんだ、俺達は、生きてまたこの場所に。



 銀時の手は大きくごつごつとした剣士の手だ。俺も手の平も刀を握るから決して女のようには柔らかくないが、比べるとやはり少しだけ銀時の方が大きい。少し、悔しい。しっかりと剣を握れる手。俺の命を何度も救った手。

 手を取って指を絡める。




 力強い手。



 銀時の手の甲に唇を落とす。唇で、触れる。



 お前が愛おしいんだ。気持ちが溢れる。
 お前がまだ俺の隣にいることが嬉しいんだ。



 起きているんだろう?


 寝たふりをしてるということは、俺が何をしても気が付かないふりをしてくれるんだろう? そのつもりなんだろう?



 銀時の手を唇に押し付ける。



 寝ているのだろう? 俺の行動には口を挟まないという意思表示なのだろう?
 寝たふりをしている銀時の胸に耳を寄せる。鼓動が聞こえるように。
 お前が生きている。

 生きていて、ここにいる。

 ここにいて、触れている。

 止められない。
 気持ちが。



 ずっとお前が好きなんだよ。

 気付いているか?
 おまえは、聡いから。
 もしかしたら、ずっと俺の気持ちを知っていたのではないか?


 ずっとお前がいいんだ。
 銀時が俺との関係を崩したくないと思っていることくらい知っている。俺達は俺達のままが一番良いバランスなんだ。
 俺の気持ちに気付いているんだろう?

 お前がいいんだ。




 俺は、お前に触れたかった。ずっと触れてほしかった。

 お前がすごく好きなんだ、銀時。

 お前は俺との関係を崩したくないと思っているのは知っている。
 崩れることはない。そんなことあるはずがない。お前に対する気持ちはずっと代わっていなかったのだから。



 俺は、死なない奴が好きなんだ。

 だから俺はおまえが好きだ。お前が俺より先に死ぬことなどない。俺が守るから。俺が死んでもお前を守るのだから、お前が死ぬはずなんてないよ。だからおまえが誰よりも好きなんだよ。


 ずっと、俺に触れてほしかった。俺を見て欲しかった、俺を見て、俺に触れて欲しかった。



 だから、抱かれた。
 誰でもいい、死んでいなければ。
 している時にお前の名前を呼ぶことができれば。
 みんな優しい奴だから、その時に俺がそいつの事を銀時の名前で呼ぶことを許してくれたんだ。おまえだと思いたかった。触れているのは、俺に触れているのはおまえだと思いたかった。

 全部お前の代わりだった。


 本当は、おまえがいいんだ。


 そっと唇で銀時の頬の感触を確かめるように触れた。初めて、こうして銀時に触れた。顔に触れることなど何度となくあったが、こうやって唇で銀時の肌を感じるのは初めてだった。


 寝ているのだから、気付きたくないならそれでいい。
 気付きたくないのだろう、俺の気持ちに。どうせ、知っているのだろう? それでいて気付きたくないのだろう? それでもいい。俺のすることを許してくれれば良い。



 少しずつ、場所をずらす。


 唇を避けるように、頬に、目蓋に、鼻先に……顔中に、触れるだけの口付けを落とす。

 止められないよ。
 お前がそのままの俺でいいと言った。


 おまえが、そのままの俺がいいと言ってくれたんだ。










 ………残酷だな。




 戦場の中で正気を保てなどと。毎日誰かがいなくなるような、あの場所で正気を保てなどと。

 





 銀時の唇に、ようやくたどり着いた。

 触れるだけ。


 ああ、こんなにも。



 こんなにも違う。
 誰でもないお前に触れるのは、こんなにも熱くなる。

 唇同士の、皮膚同士のただの接触なんだ。何人ともした。キスは嫌いじゃなかった。皮膚の中でも柔らかで敏感な場所同士の接触は嫌いじゃない。気持ちがよくて好きだ。

 それでも、こんなにも違う。

 身体の芯が熱くなる。
 その熱で溶けてしまいそうなんだ。このくらいでもう、溶けてしまいそうなんだ。

 角度を変えて何度も口付ける。
 離したくなくて離れたくなくて、触れてはまた口付けた。




 死には、慣れなかった。結局、慣れることなどなかった。麻痺することはできても、慣れることなど出来なかった。敵であっても、人間以外であっても、それは俺達の志を阻む敵として排除すべき対象になるから、殺さなければ俺達は前に進めない。死には慣れない。今でも嫌いだ。
 それでも俺達の志の前に躊躇いを覚えている暇などはなかった。

 本当に、壊れてしまいたかった。そうすれば、きっとそれに慣れるのだろう。

 握った刀が骨を裂く感触は、いつまで経っても、今でも思い出すと指先に震えが来る。俺もいつかそうやって殺されるのだろう。
 思い出すと、銀時が恋しくなるんだ。
 生きているおまえに触れたくなる。
 変わりに生きている奴に、せめて触れたくなる。




 それでも、もう。

 お前の近くにいて、お前への気持ちを持ったままでいることすらもう限界だった。


 限界だよ。



 お前が愛しくて、限界なんだ。






 唇の感触は、柔らかくて心地が良い。
 何度も、角度を変えて、啄ばむように銀時の唇の感触を楽しむ。


 何度も。
 このまま、俺は何度この行為を繰り返すのだろう。

 やめようと、離しても、離れるのが惜しくなり、また同じ事を繰り返す。










 ぬるりとした感触に夢見心地だった俺は目を開いた。






 寝ているふりをしていた銀時が俺の頭を掴んで、俺の中に舌を侵入させてきた。


 銀時の舌が、俺の口の中で動いた。

 驚きと。






 身体中の力が抜ける。


 俺は銀時の舌を追って夢中で自分の舌を動かす。唾液が溢れて溢れ出した。


 身体中の骨と皮膚が柔らかくなるようだ。

 息がつまる。苦しくて、それでも止められない。

 熱が……集まる。











 ようやく解放されたのは、どのくらい経ってからだろう。



 乱れた呼吸で俺は銀時の瞳を見つめていた。

 目を見れば分かる。怒っていない。





「どーしてくれんのよ、勃っちゃったじゃない」


 相変わらずの笑顔。
 少し皮肉混じりの笑顔で、俺はこの表情も好きだった。この表情が、とても銀時らしくて、俺は大好きだった。

 銀時の淡い色の瞳が、俺を映しているのがわかった。









071024