重い足取りで、俺達は帰る。
帰れる、これで帰れる。そう思うと、また足が一歩だけ前に進むことが出来る。そうやって一歩ずつ、帰る。下は見ない。前だけ見る。
早くこいつを寝かしてやんねえと………
「っつ!」
足に激痛が走った。
何、だ?!
傷口が、抉るように握られたのはわかった。
痛みと動揺で、ヅラと一緒に地面に倒れ込んだ。
敵か?!
放り出しちまったヅラは、地面にぶつかった衝撃で、苦痛の声を上げていた。骨折れてんだ、大丈夫か? と声をかける余裕がなかった。
それよりも。
俺は足を見た。
手が……
赤い手が俺の足を掴んでいた。
悲鳴を上げそうになった。
赤い……それは人間の手だった。
動かないから、死んだものかと思っていた屍体だったものは、まだ俺達の仲間だった。死体じゃなくて、まだ生きてるなら俺達の括りに入れることが出来る人間だった。
生きてると思えば安堵だったが、握られた時は死体だと思った。死体が、俺を捕まえたのかと思った。
「生きてるのか?」
俺は捕まれた足を見た。うつ伏せた仲間は血やら何やらで泥々に汚れていて、生きているよりもほとんど死体に近かったが。
「銀時?」
ヅラがようやく上体を起こして俺を見た。俺もヅラに無言で頷く。
一人でも生きていりゃありがたい。
一人でも………命があれば。
戦争が終わったわけじゃねえんだ。まだ俺達が勝ったわけではない。俺達の意志を貫けたわけではない。一人でも多くの命があった方がいい。それは嬉しいことだ。
「大丈夫か?」
「…………」
何を言ってんのか聞き取れやしねえ、ただの呻き声。言葉としては、理解できなかったが、助けてくれだったのか、やっぱ。たぶんそんな風に聞こえた。
捕まれた手を外して、うつ伏せた仲間の身体をゆっくりと反転させた………
こいつは………
……助からねえ。
内蔵が傷口から溢れだしていた。赤くてらついた内蔵が…地面に溢れた。よく、生きてやがったな。
顔を伏せる。こいつの顔を見れない。かけてやれる言葉なんかねえ。だって、どうせこいつにもう未来なんかない。最後の最後に優しい言葉は必要か? どうせもう何にもなくなっちまう奴に、何が必要なんだ?
コイツは、さっき、敵の数を聞いてきた奴。
豪腕で、腕っ節の強さでは誰にも負けたことがない奴。それを自負して、それだけしかなかった奴。
ヅラと殺した数を競っていた奴だ。
表情は苦悶。
生きているのが不思議だ。
何かを喋ろうとする度に、口から血の泡を吹いた。
見たくねえ。
これが現実だ。
命削ってこれが俺達の現実だ。
受け入れないわけじゃない。
今を否定したいわけじゃない。
こんな奴何人も見てきた。
こいつだけじゃない。
何人もこんな風に死んでいった。
血塗れの顔にヅラの手が伸びた。
ほとんど動けない身体をひきずって、俺が気付かないうちに俺の隣まで来ていた。
ヅラの手は血や泥で汚れていたけど、戦場に似合わない綺麗な形の爪とか、細い指先とか。
似合わないくせに強いし。
似合わないくせに誰よりも使えるし。
似合わないくせに誰よりもここが似合う。
変な奴。
「何体殺した?」
陶酔するくらいに甘く艶めいた声だった。
死にかけた男のぼこぼこと口から溢れる血の泡を細い指先で掬いとり、掬った自分の指先を口にいれた。
自分の唇についた、男の口からあふれ出した血を、赤い舌で舐めた。
背筋が粟立った。
何を、やってんだ、よ。
これは、もう、どうせ……もう『死』になる。動いているだけで、生きてるよりも『死』に近い。
「俺はこれで七十」
血の泡を吹いた苦しそうな男の顔が、少しだけ嫌らしい笑顔になった。昨日の夜ヅラに見せた卑下たあの笑い方だった。
それは果たして俺の気のせいか?
心臓を一突きだった。
ヅラの刀で。
ヅラが抜いた刀で、ヅラがこいつの胸に剣先を沈めた。
助からねえ。
俺だってそう思った。
ここで殺していってやるのが俺達ができる最大のこいつへの好意だった。苦しみを長引かせる事はきっとこいつだって望んでやしねえ。だって、どうせ助からねえ。俺達だって自分が帰ることがやっとだ。ここで沈んじまいたいくらい、身体中ボロボロだ。こいつを運んで手当てしてやれるほどの力はない。その術もない。もしそれが出来たとしても、どんだけ保つんだ? どうせ死ぬ。あと、どうせ数分だった。
こうやって、こいつの苦しみに終止符を打ってやることができた、それはこいつへの好意になる。
この男だってきっと喜ぶさ。
知っていた。
知っていたが………
「………ヅラ…」
何だろう。
おまえがどこにいんのかわかんねえ。
おまえは、こうやってなんでもないことのように、『死』を作れる奴だったか?
ほとんどこうやって連日戦って、戦えば殺してんだ。俺だって何体死体を作ったのかわかんねえ。ヅラだって俺と同じだけは殺してる。
おまえが生きていたことに喜んだはずなのに。
「銀時………」
コイツが怖かった。
あっさりと、命を見限れるような奴だったことが怖かった気がした。
そうじゃない。怖かった、のは、こいつが俺の知らない奴だったってことだ。
「銀時………」
こうやって、ずっと戦乱の中にいて、ヅラが俺の知らねえ奴になっちまったことが怖かった。
おまえ以外、いないのに。おまえだけなのに、俺の背中も、俺の隣も。
これは、俺の知ってるヅラじゃない、って……それが怖かった。
「ああ……」
でもおまえが正しいんだ。
ちゃんと死にきれてなかった奴から苦痛を開放したことは、正しいんだ。
だって、どうにも出来なかったじゃないか、どうせ俺も。
おまえが正しいんだ。
「銀時!」
刀の束を握ったまま、ヅラが俺の名前を呼んだ。
おまえが、苦痛なんだ。
おまえが、俺の知らない奴になるのが、嫌なんだ。それが怖い。
俺は、ようやく桂の顔を見ることが出来た。
本当は、見たくなかった。
いつもみたいに、また変な笑い顔をしてんだろうって思った。泣けない奴になっちまった。泣かない代わりにこうやって『死』に対して鈍感になった。
でも、俺を呼んだんだ。
俺が呼ばれてる。
こいつは、まだ俺を必要としてんだって……それだけで、俺はようやくヅラの顔を見た。ようやく見ることが出来た。
「…ヅラ」
ああ………。
顔には、幾筋もの
涙。
おまえ、やっぱそこにいたんだ。
やっぱずっと俺の近くにいたんだ。
気付いてやれなくて、ごめん。
ちゃんと泣けんじゃねえか。
俺はお前が俺を置いて勝手に壊れちまったかと思ったんだ。
俺の知らないおまえになっちまったのかと思ったんだ。
だから、俺が逃げ出そうとしたんだ。
気付いてやれなくてごめん。
おまえ、わかりにくいよ。もっとちゃんと俺に伝えろよ。もっと俺を頼れよ。
何で俺たち一緒にいるわけよ? おまえ俺のことちゃんと見てる? おまえが頼ってきても大丈夫なくらいの度量はちゃんとあるんですけど? そこんとこわかってる?
男の死体の上で。
俺はヅラを抱き締めた。
このままヅラの身体が壊れちまってもいいと思ったんだ。そうしねえとおまえが壊れちまうから。
だから。
「銀時!」
俺の名前を叫びながら、ヅラが大声を上げて泣き出した。
何を言ってんのかわかんねえ。獣の咆哮みたいだった。耳元で大声を上げて泣きわめくヅラを俺は自分の胸に押し込めるように抱き締めた。
それでいいんだよ。
無理すんじゃねえよ。無理に変わろうとすんなよ。
変わるなよ。
勝手に俺を置いて壊れるなよ。
おまえのままでいろよ。
お前がおまえでありさえすれば、俺はお前を……何があっても、例え進む道を違えても、おまえを受け止める度量ぐらいは残しといてやるから。
そのままのお前が好きだからよ。
おまえのこと、好きなんだけど。
そう、耳の中に吹き込むように、俺はヅラの頭を胸に押し付けて、ヅラが落ち着いて、疲れて気を失うまで、何度も何度も何度も繰り返した。
071015
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