限界まで酷使した身体は軋むようで、もう指一本すら動かす力も残ってねえが、なんとか立ち上がり、回りを見回した。
何も動かない。風が吹いても、何かをはためかせていても、結局何も動かない。
誰もいない。
近くに見覚えのある頭部が転がっていた。昨日話した中にいた顔がその頭部に張り付いていたのを忌々しく思う。
疲れ果てた俺が立ち上がったのは、ヅラを探すためだった。
俺がなんとか生きてんのに、お前が死ぬことなんか無いだろう?
それはある種の確信だった。確信と言うか、信頼。
そう信じてなけりゃ立ち上がることもできやしねえ。
回りを見回した。
動かない。
何も動かない。
……静か。何の音も聞こえない。静か。音もないから空気が存在することすらわからないくらいに。
終わった。全部終わった。帰れる。
恐怖。
何もいない。
恐怖。
「ヅラぁっ!」
大声で。
俺にまだこんな風に叫ぶ気力があったのかと……。
怖かった。
今日だって何度も死に直面した。
何度も間一髪で切り抜けた。
まだ歩ける力があったことが不思議なくらい俺は疲弊していたのに。
探して歩き回った。走れるほど。
怪我をした足から出血が酷く、痛みも感じ始めていたが、それ以上に恐怖。
死ぬことより失う恐怖。
「おい、ヅラぁっ!」
どこにいんだ。
さっさと出てきやがれ!
探す。呼ぶ。
どこにいんだ!
俺は、ほとんど泣きそうだった。
お前が隣にいないと不安なんだ。
どこだよ!
「銀時………」
声が聞こえたのは、それからすぐ。
弱々しい声だった。
慌て俺は声のした方に駆け寄る。
「………銀時、すまない」
いた。
生きていた。
まだヅラがいた。
でっかい天人の死体に背を預けて、ぐったりと………。
生きているのが不思議なくらいの荒れた戦いだった。強いから生き残れるわけじゃない。こんな戦いじゃ死ななければ生き残れるだけだ。本当にそれだけで、死んでないのはただの幸運だ。
「………ヅラ」
ほっとした。
ヅラの前で立ち止まる。
ヅラは自嘲気味な笑みを口元に浮かべ、苦し気に眉根を寄せていた。
生きていた。
ほっとした。
俺が疲れていたことを思い出すよりも前に、安堵した。
良かった。
お前が生きてて良かった。
「やられた」
「なに? また髪斬られた?」
「それと、アバラが何本か……」
生きてたことに安心して、いつもヅラが身に付けていた甲冑が粉々に砕かれていたのをようやく見付けることができた。
「大丈夫かよ」
見たところ出血はなさそうだった。
斬られたわけじゃなかったようだ。
「死ぬかと思った」
そう言って少し笑って………そして傷みに顔をしかめたヅラが面白かったから、俺は笑った。
笑った。
力が抜ける。脱力した。
ああ、俺は疲れていたんだ。
そんなことをようやく思い出した。
生きてた。
生きてた。
まだ俺のそばにおまえがいる。俺の隣をお前以外誰にも譲る気なんかないから。お前が死んだって、俺が死んだって、俺の隣はお前だって決めているから。
「良かった………」
ヅラの隣に膝をついた。
良かった!
お前が生きていて。お前を失わないで。
良かった!
鼻の奥がつんとした。
「銀時? どうしたんだ? 傷が痛むのか?」
俺は、泣き出した。
安堵が、脱力と………
なんだかわけわかんなくて。
お前がいて良かった!
お前が生きてて良かった!
「銀時?」
斬られた髪は、短く不揃いだった。肩口にかかる黒い髪に触れた。
ヅラの髪を握り締めた。
本当はお前を抱き締めたかったんだ。
本当は………
あの時みたいにお前の体温を感じて、もっと安心したかったんだ。
「銀時? 何で泣いてるんだ?」
ヅラの間の抜けた声が、今は嬉しかった。
お前が生きているだけで、今は嬉しかった。
そう伝えたいのに嗚咽で言葉にならない。伝えたいんだ、お前が……。生きててくれて良かった。お前がいてくれて良かった!
そう伝える代わりに俺はヅラの短くなった髪を引っ張る。
ガキの頃みたいだ。
あの頃、お前の髪が好きで、引っ張った。喧嘩を売ってるふりしてそれを伝えたかった。鈍感なヅラが気付くはずなんかなかったと、最近気付いた。気付いてくれなくてよかったけど。
泣いてたって言わなけりゃコイツに伝わるはずなんかねえんだが……伝えたかったけど、いいや。
俺は昔と変わっちゃねえ。
お前だって昔と変わらないでくれよ。
俺が知ってる俺の好きなままのおまえでいてくれない?
「銀時? 何を泣いているんだ」
困ったような声。
困れよ。
もっと俺で困れよ。
どんだけ俺が今心配したのかわかってんのか、こいつは。
「っせえ」
うるさいよ、おまえ。
俺はヅラの髪を引っ張る。うるさいよ、いいから黙って俺を心配して慰めてなさいよ。
こいつの前で泣いたことなんかなかった。
俺はこいつの前だけでは泣きたくなかった。実際に泣いた経験なんかほとんど無かったし、泣きたいと思うこともなかったし……特にこいつの前では泣けなかった。弱いとこ見せたくなかった。おまえが強くあれば、俺はそれ以上になりたかった。
今はそんなプライドとかちっちゃいことなんか、どーだっていいじゃん。
今はおまえがいることが嬉しいんだよ。おまえが今まで俺の一番近くにいて、これからもおまえの一番近くを譲らないでいられることが嬉しいんだよ。
「銀時? 泣かないでくれ」
困ったように。困惑した声で、髪の毛を引っ張る俺の手に、ヅラが手を添えた。
困れよ。
困ったんだったら、おまえだって泣けばいいだろ馬鹿。
俺は、ヅラを抱き締めたかったんだ。まあ怪我人に鞭打つようなマネはサスガに控えようかとの理性が働いたんですけど。そうじゃなかったら、嬉しくて抱き締めてたよ、マジで。
お前がお前で居てくれれば、俺はそれがいいんだよ。
気位高くて、頭が良くて、そんでも間抜けで。女みたいな顔してるくせになかなか正義感つよくて男前でさ。けっこー惚れてんですよ、それなりにアンタを尊敬してんのよ。
ずっと一番近くにいたんだ。おまえを誰よりも俺が知ってる。
おまえのままでいろよ、変わるなよ。俺を置いてどっか行くなよ。
俺はヅラの身体を抱き締める代わりに、ヅラの髪を握り締めた。
「銀時、帰ろう」
早く帰ろう。
また、すぐ戦いに出向くだろうけど、早く帰ろう。俺達のいる場所はこんな戦場なんかじゃない。
「銀時、肩を貸してくれないか?」
「お安いご用ですとも」
俺は、泣きながら笑った。ようやく笑えた。ようやく涙が乾いてきた。
ヅラの甲冑を外して、怪我の具合を触診してみたが、綺麗に折られていて、内蔵には損傷はないようだ。触る度にヅラが傷みに顔を歪ませたが、これなら大丈夫だ。しばらく安静にさせときゃすぐに治る。
四本いってたが、まあ死ぬ怪我じゃない。
何とか、ヅラの腕を肩にかけて身体を立ち上げた。足怪我してて、俺の体重引きずるのがやっとだったけど、それでもおまえ軽いから、わけねえよ。
「おまえ、運がいいな」
死ななくて。
「当たり前だ。お前が生きているのだから」
笑顔は疲れていたけど、ちゃんと笑顔になっていた。ああ、そうだよな。
俺が生きていてお前が死ぬだなんてことない。お前が生きているのに俺が死んじまう事もない。
なるたけ怪我に触れないように、ヅラの腕を肩に回して立ち上げる。
足は痛んだが、それでも相変わらずコイツは軽かった。
引きずるように前に進む。何人死んでも俺達は死なない。
死んでなきゃ生きてられる。
死ぬわきゃねえよ。お前が生きてるんだ。
「それ、いつ頃やられたの?」
「だいぶ前だ。戦闘の最中は忘れてたんだが、途中から記憶がない」
俺もよくあるけど、戦ってる最中に、記憶がぶっ飛んでトランス状態になる。動くものが無くなるまで剣を振るってるらしい。それはこいつも同じだ。気が付いたときにはいつもこいつが近くにいる。散々戦って終わるとぶっ倒れて、ミイラみたいに包帯まみれで寝てたこともある。コイツも同じだったし。
この足の怪我だって、戦ってる最中は邪魔にもならなかった。今はけっこー痛いけどさ。
帰ろう。
さっさと俺の足に包帯巻いてあげて下さい、マジ痛いんで。
早くアンタを白い布団に横にさせてやりてえよ。
死体の山。
考えたら駄目になる。
考えたら崩れる。
知った顔があると足の痛みが増すから、屍体も地形の一部として考える。見たことのある甲冑を誰かのものと考えない。
埋めてやることもできねえ。
死んだ瞬間に、仲間から屍体としての有機物になるだけだ。感情の思い入れは別の場所で時間に余裕がある時にすればいい。今は生きていることに喜べばいい。ヅラが生きていた事に喜んでりゃいい。考えるのは全部終わってからでいい。全部終わったら全部おまえ達の分も背負ってやるから。今は俺達が生きてたことをせめて喜んでいい?
歩く。
足音は重い。
何度も躓く。倒れないだけで、前に進んでるのか? 躓く度にヅラが痛そうに呻いて……額から汗が滲んでるから相当に辛そうだ。体温が上がってきている。早いとこ手当てしねえと。
070911
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