陽のあたる場所 12 



 





「銀時、話がある」








 夜も更けて、大分酔いも回って、大半が自分の寝る部屋に消えた。俺もそろそろと立ち上がろうとした時に、桂に裾を掴まれた。

 話?

 話なんか……。
 こいつと何を話せば良いだろう。

 俺は、今お前と一緒にいたい気分でもねえ。
 今、俺はお前に何を話せばいいのかすらわかんねえんだよ。そんなことも言えねえ。


「………」

 桂が、立ち上がった。疑問を投げ掛けた視線には桂は答えなかった。ただ、一度俺の目を見てから、目線で扉を促した。
 立ち上がって、部屋を出ていくから、仕方なく俺もそれに続いた。

 なんでしょうか? ここじゃ話せないこと?

 ヘベレケになった奴らの間を縫って扉まで行くのに、気がついた奴はどれくらいいるんだろう。

 こいつらが、いつまた俺達とこうやって楽しい酒を飲める日が来るんだろう。また、なんてないかもしれないのに。





















 月が出ていた。


 桂が寝室と勉強用に使っている部屋。こいつだけ別格。誰もがこいつを別に扱う。こいつもそれを当然の如く受け止める。自分のことを把握してやがるんだろう。まあ、その方がこっちとしても迷惑を被らずに済みますし? 期待されればその分応えちまうところは、さすがに変わってない。それだけ強くなれる。その辺は、まだ安心できる。その辺はまだ、ヅラの長い綺麗な髪の毛と同じように何にも変わってない。

 地図が散乱していた。いくつもの破かれて丸められた紙屑にヅラの苛立ちが現れていたような気がした。

 この部隊を任せちまってるから。こいつの細い肩に。

 手伝いたいが……俺にはそーゆー才能ないから。戦闘中ぐらいしか、俺が役に立てることなんかねえ。ヅラが書き物してる時に後ろに座ってるのが精一杯だし。まあ、出来ることは回して貰ってるし、ヅラ以外で出来そうな仕事は他の奴に割り振ったりはしてるけど。



「話って?」

 窓を開けた桂は月を見ているだけで、一向に話そうともしない。
 並んで座って月を見て……。

 俺は今何のためにここにいるんだろう。
 話があるつったのはそっちだろう?



 部屋に入ってから、桂が無言で俺に苦めの茶を淹れた湯飲みを渡してくれたが、気まずい空気に唾液を飲み込む音がばれねえように、もうそろそろ空になる。

 隣に座ったヅラの顔を俺は見れなかった。
 月明かりのせいで、変な気持ちになりそうだった。

 いつもぴっちりと着こんだ服は、酒のせいでか暑くなったのか少し胸元が開いていた。
 覗いた胸元に膨らみが無いことに違和感を覚えるような……。コイツが女じゃないのは俺が一番よく知ってる、誰よりもコイツが男だって俺が一番よく知ってるんだ。


 変な気分だ。

 なまじっか、その辺の女よりも華がある。綺麗な顔。


 髪ぐらい切れよ。だから男なんかに見られないんだ。
 ガキの頃、いつも高い位置で馬の尻尾みたいに結んでいて、高杉や俺に引っ張られて、その度に怒鳴っていたコイツを思い出す。
 そういやあ、ガキの頃一度だけコイツが髪を切ろうかと言った時があったが……俺と高杉が止めたんだ。

 ……まだ覚えてるんだろうか、こいつは。

 別にお前の髪がなくなったって、別に丸坊主になろうと俺はお前に対しての態度を変えたりしねえよ。



「おまえさあ、本当に惚れた相手だけにしなさいよ……」

 こんなん説教垂れてるのも馬鹿らしくなる。こいつはご立派な人格を持ってらっしゃるんだ。俺が口出しすることじゃねえ。
 桂は桂なりに選んでこうなってるんだろうし、俺が口出しする権利なんざないんだが。

 案の定、桂は黙ったまま、息をしてるんだかしてないんだか、蝋人形なんだか生きてんだかわかんねえようなツラを提げていた。こっちを見ようともしねえ。

 用がねえなら、俺はそろそろ寝たいし。
 立ち上がろうかと………。



「銀時………」

「んあ?」

 細い声だった。


 いつも無駄に自信過剰な声で俺を呼ぶのに、今は震えまでその声に現れていた。




「何?」
 聞き返したのに、しばらくの沈黙。









「しばらく、俺のすることを赦してくれ」








 しばらくのあとでようやく聞けた言葉がそれだった。






「………」





 コイツは何を言ってるのだろう。
 俺が許さなくたって好き勝手にやってんだろう、どうせ。
 赦すも、赦さないも、俺にそんな権限あったらてめえはこんなにおかしくなかったはずだ。こんな殺伐と渇いた場所でもお前はお前を保てていたはずだ。
 俺が、口出ししなかったからコイツはこうなったのか?

 とか、やけに自意識過剰なことをふと思った。
 口出ししたって変わらない自信はある。ヅラはいつだって俺の言うことなんざ聞いちゃいねえ。





 す、とヅラの手が伸びた。とても、自然な動作だったので、触れられるのかと思って、少しだけ身構えた。

 触った事がないわけじゃない。普段も気軽に肩を組む。気軽に腕を掴む。
 なのに、身構えた。

 なにか、こいつから、わけねわかんねえ気迫が出ていた気がした。
 押されたからかもしんねえ。

 何かをされるとか、殴られるとか思ったわけじゃなかったが、身体が強張った。

 伸びた手は俺の袖口を掴んだ。









 それだけだった。
 本当にそれだけだった。


 細い肩が小刻みに揺れていた。
 泣いてるのかと…………。













 また、笑っていやがった。

 暗い笑いだった。

 こいつは、いつからこんな風に泣けなくなっちまったんだろう。
 ヅラは泣かない代わりに滅多に笑いもしねえ。その時の機嫌をうっすらと表情に出すことはあっても、感情まで読み取れるほど出すことは稀だった。こいつが何考えてるのかなんて、俺だってロクにわかりゃしねえよ。

 こうやって笑ってんのが、泣いてる代わりなんだろうか。

 俺はコイツを一番よく知ってるつもりだけど、コイツを理解できる奴なんでこの世で誰一人いない気がした。

 俺だってよくわかんねえよ。







 でも、本当なら泣きたいんじゃねえの?
 泣きたい代わりにこうやって笑ってんじゃねえの?



 震えた肩が、痛かった。
 こいつをどうにもしてやれない自分が歯痒かった。

 どうにもできない。





 前に、この前桂にそういう目的で股間触られた時より、目の前にいるこの細い肩を見ている今の方が、触れられてもいないのに、体温が感じられる距離でもないのに、袖を掴まれただけだってのに、何故だかぞくぞくした。





 あの時は身体の芯に火が付くような、敵と対峙した時のような衝動があった。熱い駆り立てられるような衝動。それを抑えた俺はなかなかだと思う。







 今の、俺は冷静だった。
 今、俺の感情は静まっていた。それでも













 抱き締めた







 のは、始めてだった。



 コイツね薄さや細さは知ってたつもりだった。
 それでも誰よりも強くあるコイツを知ってた。俺はこいつを一人の男として認めている、誰よりも、信頼している。

 身長は大してかわんねえのに、俺の腕ん中にすっぽり収まるんじゃねえの?
 ……細くて。


 戦場でのコイツを知ってるから、その言葉は侮辱になるだろうかと思っていたが、それを感じないようにもしていたが、それでも華奢だった。
 女とは、違う。女みたいに細くて、でも柔らかくない。


 不思議な、気がした。

 何か、言ったらこの空気が壊れる気がした。
 壊したくないって思ったのだろうか。
 わからなかった。
 わからなくなる。




 なんで俺がこんなことしてんのか。
 何で、俺がこんな気持ちなのか。

 ヅラの髪に顔を埋めた。柔らかな髪が鼻を擽った。




「お前さあ………」

「…………」



 変わるなよ。

 お前のままでいろよ。

 どこにも行くなよ。ここにいろよ。離れてくなよ。

 心は俺に残しておけよ。




 どの言葉が一番合うのかなんてわかんねえ。全部違う気もした。
 ただ、こうしていることは心地よかった。
 ヅラが俺の首筋に額を押し付けるのを感じた。

 直に触れた皮膚は熱かった。






 さっきの……。

 殺した数を競うとか言い出しやがったコイツは、何を思ってんだろう。

 殺した数で競って、それで俺がお前に勝ったら、お前は俺のモノになんの?

 お前は俺の言いなりになんの?

 何でもしてくれんの?

 コイツをそういう対象に見るのは簡単だ。ヅラを見放せばいいだけだ。俺とお前の間にあるものを一切取り払えばいいだけだ。ヅラは俺の知ってる奴じゃなくなったと思えばいいだけだ。


 実際どんどん変わっていくコイツはもう俺の知ってる昔と同じコイツじゃねえのかもとか思うこともあるが。







 このまま………。

 そう、思ったことくらいあった。何度も。
 桂は、綺麗だった。
 戦闘力はほぼ互角だったが、俺よりも力も弱かった。

 押し倒して、コイツの身体をいいように扱うのは容易いことに思えた。実際には合意がなければ簡単にやらしてくれるような奴じゃねえけど……強さは大してかわんねえし。
 こいつを無理矢理襲うことなんか、それでも簡単に思った。

 簡単じゃなくても……衝動はいくらでもあった。どんだけそばにいたと思ってんだよ。誰よりも近い距離で過ごしてきた。






 この戦場で、ほとんど毎日誰かが死んで、ほとんど毎日誰かを殺して。



 俺も、壊れちまいそうだった。

 誰でもいいから、誰かの肌が、生きている肌が恋しかった。桂はその相手としては不足無い。女みてえに綺麗だし。
 俺が今まで出会った誰よりも綺麗な形をしていた。
 綺麗な肌と綺麗な顔と綺麗な髪。そういやあ、いつも俺は長い黒髪の綺麗な女ばかり選んでいた。



 手が伸びかけたことだって、数える気にさえなれない。誰よりも、俺がこいつの近くにいたんだ。誰よりもこいつが不用意に俺に触れるんだ。







 違うんだよ。

 そうじゃねえんだよ。
 そんな衝動なんかじゃねえんだ。

 もっとずっと……
 俺は、お前が………。







 言いたい言葉は、結局言えないまま、初めの音を発しようとした唇の形だけが残った。













 ただ何よりもこうやって抱き合っていることだけは、正しいような気がした。

 言葉よりも、伝わればいいと思った。




 俺は誰でもないお前が…………










071005