陽のあたる場所 11 



 





 桂は無言で杯を進めていった。
 誰と話すでもなく、誰かの話に相槌を打ったり、時々軽い笑顔を見せたりしていたけれど、なにやら尋常じゃねえペースで飲み続けていた。
 もともとほとんどザルなコイツは他人の倍の量を一人で空けてもけろりとしている。俺が知ってる中ではこいつが一番強い。化け物並だ。一升ぐらいじゃまったく潰れねえ。翌日も身体に酒が残ってる気配すらない。どういう肝臓の構造してんだかはわからねえが。



 隣にいるヅラは誰かの話しに時々笑い、時々は声を上げていた。その度に少しだけ肩が揺れる、肩が揺れてぶつかった。
 いちいち、気になった。



 男所帯の中にいるコイツの美貌は際立っていた。ただでさえその辺の女と比べても綺麗な顔立ちをしてやがるし。
 会話の合間に、俺は他のやつを見るふりをして、視界の端にいるヅラを気にしていた。

 相変わらずだったけど。



 知らないうちに桂の隣にあの男が座っていた。最近桂に取り入ろうとしている奴。
 桂と比べると体格がまるで大人と子供ほどに違う。ヅラがもともとガタイがいい方じゃねえし……俺達の部隊の中でも小柄な方に入る。俺も人の事言えねえけど。身長が低いわけじゃないが、痩せすぎで、これで戦う姿は誰もが想像できない。それでも誰よりも早く、誰よりも多くの敵を斬る。
 俺は、そんなヅラが嫌いじゃねえが。

 ここまで酒が進めばもともと誰がどこにいたのかとかわかんなくなっちまうから。もう何人かは潰れてぐったりしているし、何人かは部屋に戻ったようだし、さっきまでいなかった奴が何人か増えてる気もする。まあ、誰とだっていい。こうやって無駄な話で笑えてりゃあそれでいい。

 だから、いつの間にそいつがヅラの隣を陣取っていたのか俺はまったく知らねえ。抜け目のないことで。
 ヅラの隣のデカブツが、ヅラにあからさまな行動に出ようとしている。肩を抱き寄せようとしたり、やたらにヅラに触ってやがった。ヅラはその度にあからさまに顔をしかめていたが。
 てめえ、相手にされてないのわかんねえのかよ。少し、いい気味だと思った。俺はあんましそいつのことが好きじゃねえし。強さをひけらかして、信念があるんだかないんだか。戦いが終わったら、何の役にも立たなさそうな奴だとか、思ったこともある。

 それにしても、さっきからなんかヅラの体温を感じるような気がしていたら……。そーゆー事ですか。てめえがヅラに近寄るからヅラが俺の方に寄って来てるってわけですか。


 場所は狭い部屋だからすし詰めだし、さっきよか人数増えてんじゃね? 他の部屋でも酒盛りしてるみたいだから……メンツは大幅に入れ替わっていたことが、今ようやくわかった。


 俺はそいつが嫌いだし、隣に気の会う奴がいたから、ヅラを敢えて見ようとはしなかった。隣にいても極力見ないようにしていた。ヅラと何を話していいかわからなくなっちまったし。今話をする相手なわけでもない。ヅラは嫌だったら、そう態度で表現するだけじゃなく、ちゃんと口で言うし、その上行動で示す場合も多々あるから、ほっといた。

 目立つ桂を隣に置いて置くだけでも妙な視線がちくちく刺さるのに。いや、俺を見てるわけじゃねえことぐらいはわかってる。隣の桂に視線が集中してんだろう。
 さっきいた酔っ払いがヅラに焦点を集中させて、しばらくの凝視の後、屈み気味で便所に行った。いつもはきっちり正座して背筋伸ばしてんのに、今は胡坐とかかいたりして、足が見えてたりすんだろう。いつもぴっちりと合わさった袷もいつもよかだらしない。
 そんなのを凝視してたんだろう。
 女日照り長いからな……。

 隣にいるのに、ヅラが困っていることはわかってるけど、今は、話題を振ることすらできねえし。どういう話題で話が合ったかどうか、あんま思い出せない。考えればわかんなくなる。考えたことなんかなかったのに。


「なあ、桂」

 粗野な男の野太い声がヅラに話しかけるのを聞いていた。

 隣にいた桂は何度か俺を呼ぼうとした。ヅラが俺の顔を何度か覗き込もうとしていたことは知ってる。俺は気付かない振りをして他の仲間と笑いあった。



「何だ? 田中」

「お前はまだ俺の名前覚えてねえのかよ」

 田中(仮)はようやく桂の注意が引けた事に得心がいったようで、気を悪くしたようでもなかった。機嫌が悪そうな声でもなかった。
 俺が隣にいるのに……。大抵の奴は俺が桂の近くにいる時は桂に馴れ馴れしいことをしなかった。ヅラを呼ぶ場合もたいていの奴は敬称をつけてたし。

 俺に気を使ってんだか何だか。俺も桂の交遊関係なんざいちいち知りたくねえから……それでもわかっちまうが……気付かない振りをしていられた。

 俺と桂はこの部隊ではリーダー格に当たるから、回りもそれなりに気を使ってんだろうけど。



 俺は気の会う奴と馬鹿な話をして、それでも耳は桂の方に向いていた。

「いい加減に俺のモノになれよ」

 傲慢な言葉に俺ですら腹が立つ。


 傲慢にも、なるかもしれない。ここでは強さが全てだから。強ければ、敵を多く倒せる。敵を多く倒した奴が偉いんですと。

 その思考には賛同しかねるが、それでも一体でも多く敵を殺せたら、その分仲間を救える事に矛盾はない。本末転倒してやがる気もしないでもないが、まあそうなんだろう。別にどっちだっていいわ。一人でも多くの奴が生き残ればいい。


「……いい加減とは? お前は俺より弱いだろう?」

 ヅラはいっそ小気味良いほどさらりと抜かした。

 傲慢な田中(仮)は鼻で笑っていたが、面白くないことは確かだろう。
 この男は、強かった。
 剛腕で、多くの敵を倒した言わば英雄に近い。外見は、見るからに武士で、誰にも負けた事が無いことを自負していた。この男と手合いした訳じゃねえが、俺でもヅラでも勝てるか分からない程度には強かった。

 強かったが、俺がこいつに負けるとは思わないし、ヅラがこいつより弱いとも思わない。


 それにしても気に入らねえ。

 こんな風にヅラに迫っている奴は今までに何人かいたが、俺の視線のあるとこじゃなかったから。
 どんな風に俺に気を使ってんのかは知らねえが、俺がいる所で桂に手を出そうとか思う大胆不敵な野郎は初めてだった。そういう場面でもヅラは俺を見つけると、いきなりいつもの態度で俺に話しかけてきていたし、相手もそれを理解してさっさとどっか行っちまってたから。睨まれた事程度だった。


 俺がこんな近くにいるのに、この男は……。
 俺は、関係ないんだ。どうせ桂のやることだ。俺は関係ない。ほっとけばいい。ヅラはヅラの好きなようにやればいい。

 俺が、隣にいるってのに、なんて会話してやがるんだよ、貴様ら。


 腹が立つ。

 だから、俺はあえて無視した。



 聞き耳を立て、それでも聞いてない振りをして、話をして。回りにいる奴らは、気まずそうな視線を俺に送ってた。知らねえよ、俺じゃなくてヅラの問題だ。


「どっちが強いかなんてわかんねえじゃねえか」
「そうか? お前には負ける気はせんが」

 どっちが強いかなんてわからねえ。
 強さのタイプが違う。

 ヅラは、機動力がある。素早く相手の懐に入り込む。敵の背に回りこみ、鋭い太刀筋は男の俺でも惚れ惚れする。だが、その分力がない。ヅラと俺は何度も手合わせしているが、ほぼ五分五分。実戦では俺の方が倒す敵の数は多いが、試合ではヅラの方が少し勝ちが多い。
 男は力押しの一手だ。剣を習ってない野蛮な力技だった。それでも強かった。

 どちらが強いかだなんて、そりゃやってみなきゃわかんねえ。


「手合わせしねえか?」
「やめとけ。こんな時に消耗したくない」

 当たり前だ。こんな所で、そんな無駄なことをやろうとするなら、俺が止める。どっちかがただじゃ済まない。大きな戦いを控えてるんだ。

 







「今度の戦でお前が殺した数の方が勝っていたら、と言うのはどうだ?」










「おい!」

 さすがに、俺は桂の肩を掴んだ。
 さすがに趣味が悪い。

 殺した数……。
 確かに、殺す。
 殺して、生き延びる。
 そして、自分が信じた道を、その未来を掴む。


 俺達はそのために戦っている。


 殺した……。 
 殺したいわけじゃない。
 殺した時の手応えは、骨を断つ感触は、胸糞悪い。


 殺してるが、確かに俺だって誰よりも多くの敵の命を奪っている。

 だからと言って……。




「銀時」

 軽く、呼吸をするかのように俺の名前を呼んで、肩に置いた手を桂はやんわりと外して、俺に意思のない一瞥を投げた。


 その行動に口出しするなという意味を持たせていることぐらいは理解できた。




 俺のことじゃねえから、俺が口出しする事は筋違いだってこたわかる。
 おまえがどうなろうと、おまえが好きでやってることに俺がいちいち口を挟むもんじゃねえ。そんなことくらい知ってる。


「桂さん、俺は?」

 近くにいた奴が、会話の内容を聞いていたのか、酔いが回っているのか会話に割り込んできやがった。
 周りの奴らも、何人も口々に。

 桂は、その一人ひとりに、意味ありげな笑みを返した。俺までも思わず見入ってしまいそうなほどに艶の入った笑みだった。
 ――了承、か?



 殺すことで? それを賭けの対称にするのか?



 数を競うのは確かに士気を高める手段としては有効なんだろう。競う対象があれば、それに向かう意識が高まる。心理作戦も時々ヅラはやってのけていた。もう後がない時とか、生きたいと思う気力だけが何よりの力になる。それを熟知して、効果的に使ってみせる。


 目的のために殺すのは仕方ないが……殺したくて殺してるわけじゃねえ、殺した数を遊びに使うなんざ……。

 しかも、その効果対象を自分にするだなんて……。

 さすがに悪趣味にもほどがある。

 てめえはそんな奴だったか?

 俺の知っていたヅラは……。









 いつから変わった?

 ずっと隣にいたのに。俺はこいつの隣でずっと見ていた。
 決して、こんなことを言う奴じゃなかった。例え敵だとしても死には敏感だった。始めのうちは。麻痺しないとやっていけないが。
 初めて殺した時は、ヅラは震えていた。覚えている。そのあと茫然自失してただ使えなくなったヅラを引っ張って戦線離脱した。ただ震えるだけで剣を放さないヅラの髪の毛を握ってた。覚えてる。俺もその時初めて殺したから。あの時は眠れなかった。




 いつからこんな風に、壊れた?
 いつから、こいつはこんな風になっちまったんだろう。






「へえ、そうかい」

 男の卑下た笑い声が耳に垢となってごびりつくようで、気分が悪い。




「俺よりも倒した敵の数が勝っていたら、誰にでも、何でも言うことを何でもきいてやろう」




 桂がまるで何でもないことのように。
 天気がいいとか、そんなぐらいの気安い口調だった。


 趣味が悪い。
 胸クソ悪い。
 命を遊びに使うような奴じゃなかった。
 自分を軽く見せるような奴じゃなかった。そんな事ぐらいで自分を明け渡すような奴じゃなかった。

 誰よりも、信念とプライドが高かった。
 そんな奴だから俺はヅラを……




 隣にいるコイツが誰だかわかんなくなる。
 桂は、どこを見てるんだか、俺の隣で、ただ艶然と笑っていやがった。











071002