「痛い」
「……俺に言っても仕方ないだろうが」
ヅラは、ひどく覚めた目で呆れたような口調だった。
痛いって言ってその反応、けっこう俺はナイーブなつもりだから普通に傷つきますが。
仕方ないって何が仕方ないって? 痛いもんは痛いんだから仕方ねえだろうが。
別に心配くらしたっていいいんじゃねえの?
約一ヶ月ぶり、にヅラが我が家に饅頭手土産に遊びに来て、新八が入れた茶を啜ってる。毎日ってわけじゃねえけど、けっこう当たり前のような日常の切り抜いてみたワンシーンが、目の前で展開されている。
「だから、痛い時には痛いって言うんだって。暑い時には暑いし寒い時には寒いって普通言うもんだって。あー…あっちー、今日」
ヅラは片手で、神経質なまで音も立てず、机の上に静かに飲んでいた湯飲みを置いた。
湯飲みの中はもう、無くなってるから。
つまり、そろそろ時間ですか。
ヅラが手土産のいつもの饅頭持ってきて、新八がヅラに茶を出して、茶がなくなるまでの時間がだいたいヅラがここに居る時間。
客用に買った煎茶は玉露みたいに湯冷まししてから淹れるとかの上品な作法もなく、新八も沸かしたてのお湯を直に注ぎ込むから、きっとまだ熱湯の温度してたはずなんだけど。
一気飲みとか、猫舌じゃないって自慢されたって困ります。
今日は喉が乾いてたんだか、忙しいんだかは、俺にはわかんないけど。
「鬱陶しい……」
ヅラの馬鹿にしたような目が気に入らない。ヅラが視線に含有させた意味はちゃんと理解してますけどね。
そりゃね、毎日戦争やってた頃なんかは、こんな傷なんて怪我にもなんなかったけどさ。
一週間前の依頼「家出少女(猫)の捜索」で、昨日ようやく見つけたはいいけど、捕まえたら腕をバリバリ引っ掛かれて、なかなか流血沙汰。別に、一ヶ月もすりゃ綺麗に治るだろうけど、昨日の今日なんで、普通に痛い。
「風呂に入った時にどんだけ滲みるか解ってんのかよ。たかだか猫の爪とか思ってんじゃねえよ。あれマジで凶器だから」
「その後、肉球に触ったのだろ? それでチャラだな」
「なんねえよ!」
あー、もう。
痛いって。
本気で痛いんだって。
何とかしてくれよ。
「けっこう血が出たんだけど」
別に鼻がいいわけじゃないけど、血の臭いには敏感な方だと思ってるんですけど、俺。
「だからと言って、死ぬような怪我でも、腕がなくなるわけでもあるまい」
「いや、腕大事よ? 特に右手は大事よ?」
右手は、有能だから。自分にとって、右手って一番自分のために動いてくれる大事な自分の一部ですって。
……誰に、やられたんだよ、それ。
右手、動かなくなったら、どうすんの? 生活できねえだろ? 生きていくの大変だろ?
お前のその腕、誰にやられたんだよ。
右腕だけで済んでよかったな。なんて思わない。もしお前が動かなくなったりしたら俺、生きていくの大変だろ?
ヅラの溜め息の意味を俺は理解してやりたくなかった。
俺は間違った事、言ってねえよな?
「桂さん、何か顔色良くないですけど、具合悪いんですか?」
「そうか? 夏風邪でもひいたかな?」
ひかねえだろ。お前が風邪なんかひくわけねえって知ってる。
新八にまで心配されてんじゃねえよ。ちゃんと治してから来いよ。
でもあんま来ないと生きてんのか不安になるから、やっぱりさっさと治せよ。今すぐ気合いで治してくれ。
それ、誰にやられた?
けっこう、深いんだろ?
まだ痛むんだろ?
そう訊いたって、どうせ教えちゃくんねえんだろ?
最近、過激派の攘夷志士を名乗るチンピラさん達が目立ってたから、その関係だろうけど。ヅラは、一ヶ月くらい姿も見せなかった。
何があったのかってくらい、この仕事してんだ。嫌でも耳にする。
あんまり表沙汰にはなってねえけど、けっこうでかい抗争があった。過激派の攘夷の一派が、一つ壊滅した。この江戸でもそこそこでかい規模のだった。それに関わってるどころか渦中の人物だってことぐらいは知ってる。
江戸に居たのが西国の分派でまだ、ごたごたが収束してないって事も知ってる。
そんな状態で、ヅラが俺のところに来た。
その意味なんて、絶対に理解してやらねえ。
「あー、痛え……」
何でも器用な奴だから違和感ないけど……いつから左利きになった?
右手ずっと使ってねえだろ? 膝の上に置かれたまま、さっきから動いてない。左手で何でも器用にこなしてる。
勝手に怪我なんかすんじゃねえよ。
今じゃ、俺にお前の背中守る権利なんかねえんだから、せめて俺の知らない所で傷つかないって、せめて約束してくれよ。
お前、約束破んねえだろ?
昔から、どんな些細な事でも約束は破った事はない。信頼なんてしてるわけじゃねえが、俺はヅラが約束は遵守する奴だって、ガキの頃から知ってる。
だから、俺と、約束してよ。もう怪我しません、って約束。それが無理だったら、死ぬ時は俺の見てる所でって約束。
痛いんだって。腕が、痛い。
お前が傷付くと、俺が痛いんだって。
ヅラは俺の視線に耐えかねて、居心地悪そうに、少し右腕を後ろに回した。
ばーか。
土産の饅頭を左手で差し出して来た時から、悪いけど気づいてんだからな、こっちは!
「心配くらいしたっていいだろうが」
心配くらい、させてくれよ。
お前の事心配してんだから、あんまり無茶なことすんなよ。
「大丈夫だ、銀時。傷は浅いぞ」
嘘だろ。さっきから動いてねえだろうが、その右手。
昔から左利きだったって言っても信用しちまうくらい、なんでも左手で動作してるけど、右利きのヅラの右手が、さっきからほとんど動いてない。
「痛いんだって。今すぐ治して」
怪我しても、無理に動かして、誰にも心配かけないように普段通りに行動してた、昔っから。足怪我してても、痛み堪えて先陣に立って戦ってた。誰よりも早く走って、誰よりも早く動いた。だから誰もヅラの怪我なんか気付かなかった……俺も、あの時気付けなかなった。
「無茶言うな」
……どんだけ派手にやられたんだよ。
動かない右手は、握られることもなく、ただ膝の上に置かれている。
透視能力なんてないから、服に隠れて見えないその腕がどうなってんのか、俺は見えないけど、痛みぐらいは伝わるんだって。
どんだけ深くやられてんの?
痛いんだろ?
今すぐに、その怪我治してください。跡形もなく完治させちゃって下さいって。
お前が痛み我慢して振る舞ってんの見んの、俺が痛くて耐えらんねえよ。
「少しは労ってくれよ」
少しは、自分の事大事にしてくれよ。お前の志は立派だけどさ。俺だってずっとお前とおんなじもん見てきたけどさ。だから、どんだけお前にとって大事なもんか理解してるつもりだけど。お前が今でも棄てられないものの重さ、俺にも解ってるつもりだけど。
お前があってこそじゃねえ?
お前居なくなったら、意味ないんじゃねえ?
「……考えておく」
遠回しの否定をどうも有り難う。
考えておくって、つまり体のいい辞退だよな?
頼むから、もうやめてくれよ。
俺の知らない所で、居なくなったりしないで。
立場変わって、守るもんも変わっても、俺はもうお前の手を離したくないのに……。
俺は、二度も、お前を失いたくない。
ヅラは、俺の視線を避けて少し俯いた。
少しだけ、ため息をついた。
「では、そろそろ行くな」
茶が無くなったのが、合図だった。いつもそう言う事になってる。
……どこにだよ。行くなよ。ここに居ろよ。
「あれ? 桂さん、もう帰るんですか?」
「ああ。邪魔したな」
「……」
何も、言ってやらねえ。
何も、言えない。
「銀時……じゃあ、な」
覚悟を決めた目をしてた。
このヅラに何言っても無駄だって知ってる。
ヅラが、右手で刀を握って立ち上がった。痛みを内包しての決意だって、俺にもその意志の強さはちゃんと伝わったけど。
やめろよ。無理に動かすなよ。傷開いたらどうしてくれんだ。
この前壊滅した一派の本拠は、西にあるらしい。かなりの規模だってさ。恨み買ったんだか買われたんだか知らないけど。
「なあ、次はつぶ餡の饅頭な」
約束。
昔から、どんな些細な約束でも、破ったことのない奴だった。
だから、約束。
また、俺に戻ってきてくれるって、約束。
「……ああ。考えておこう」
了
20110707
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