荒れた風に、髪が遊ばれる様を、後ろから見ていた。
儚くもない月光に照らされた影は、まるで化け物のようだと思い、苦笑した。それが、真実なのかもしれない。
力で引けを取るつもりはないが、女のように華奢で繊細な外見を持ち、誰よりも多くの敵を斬る姿は、まるで化け物だと思う。
「………」
声を、かけようとしたが……躊躇われた。口を開きかけて、やめた。
話す、話題が思い付かない。
出来れば、今日の事は話したくない。話題に上らせるつもりはない。
どうせ言いたい事も解っているし、自分の方針を曲げる気もないが、口論をしたいわけでもない。
上空に浮かぶ戦艦は、昨日に比べ三機減った。作戦は、概ね成功したが、それでも被害を受けないわけでもなかった。江戸中枢に巣食う癌を、一掃した。強圧的な要求に屈する政府を、赦したくもなかった。赦せるはずもなかった。どうせなら、共に火に沈んでしまえばいい。
これが、吉と出るか凶と出るかは解らない。ただ、正しいと思った事をした。
江戸は、一部壊滅した。
海上空で砲撃をする空中戦とはいえ、民間にも此方側にも被害は出た。
今、海面に反射する月は丸く穏やかで、昼間の喧騒すら海原に飲み込まれてしまったようだ。
この海に、何人もの同志が沈んだ。
これで、この心根は優しい男が、心を痛めていない筈はない。
「………ヅラ、戻るぞ」
話題、などは結局、見つからなかった。
自分の出した声は強風に紛れて、ほとんど届かなかったかもしれない。それでも、桂は声のした方に、ゆっくりと振り返った。
「……高杉……か」
驚いたように目を見張る桂を見て、今その存在に気が付いた事が解る……。殺気には悟いが、何かしら考え事をしている桂は、周囲をほとんど見ていない。目に入っても気付かない。
「今夜は、冷えるな」
そう、言いながら、桂は羽織の襟を積める。
今日は冷える……このまま雲が出てきたら、雪が降るかもしれない。
……負傷した身体に、冷気は毒になる。
「怪我に響くだろ、戻るぜ?」
隣で手を握っていたはずの桂が、気が付いたら居なかった。僅かに寝入ってしまった隙に、桂はその手を離し船室から出てきたのだろう。
手には温もりが残って居なかったような気がして、慌てて探しに来た。
勝手に、黙って、どこかに行った。
無断で、目の前から消えた。
それでも探すほどでもなく、そこに居たから……胸を撫で下ろした。その存在が合った事に、安堵の息を漏らした。
「……そう思うなら、頼むから大人しく寝ててくれよ、高杉」
桂は苦笑しながら、近付いてきた。
軽く肩を押され、促されるが、さっきのように、また寝かしつけられるのも癪だった。
別に布団に戻りたいと言いたかったわけではない。ただ、他に言葉がなかっただけだ。意識をこちらに向けさせたかっただけだから、本当は言葉など、何でも良かった。
幸い、今は薬が効いていて、痛みも引いている。
「高杉? 少し熱が上がったか?」
「なあ………どう思う?」
何を、とは言わなかったが、伝わっているだろう。お互いそれ以外、どうせ占めるほどの幅はない。
……桂は、もともと、この作戦には反対だった。
「……話にならん」
「そうかよ」
「高杉。お前は何を望むんだ?」
「………てめえと同じはずだけどな」
「懐古主義は根暗が思い付きそうな悪趣向だ」
「そりゃ銀時の受け売りか?」
「…………」
黙り込んだ、桂を見てから、ようやく失言だと気付いた。その名前も、禁句だった。
銀時が、出て行って………
それからだ。桂と意見の食い違いで、口論が多くなったのは。
今まで、同じように見えていたものが、桂には違う形に映っているのかもしれないと思うようになったのは、銀時が戦線を離脱してからだ。
「無血革命なんざ、現実味のねえただの世迷い言だろ?」
「………確かにな」
「全部ぶっ壊して、まっさらな更地にしてやるよ。それから一から作り直した方が手っ取り早い」
「それこそ世迷い言だ」
「ヅラ……」
「なあ、高杉」
すと、桂の手が伸びて、肩口に触れる。
昼間、被弾した傷口。
乗り込んだ先の敵戦艦で射程距離のある銃が桂に向けられていた事に気付いたのは、交戦中。
敵に意識を取られていて、気付くのに遅れた。
死なせねえ、と思った。
勝手に断り無く、死なせねえ、とそう思った。
気付いた時には身体が動いていた。桂がかわせないのならば、と、体当たりをして……
致命傷はかわしたが……肩口に被弾した。
傷口からは鮮血が溢れた。
痛みは酷いが、手は動く。神経や筋には異常が無かった。痛みさえ無視すれば、まだ戦えた。
まだ戦える。
まだ、壊せる。
「銀時に会ったら、何て言うだろうな」
桂は傷口に触れると、その痛みで顔をしかめる。
それでも、それ以上に、心が痛んだ。
「会ったらって……死にてえのか?」
「まだ、きっと生きている、あいつの事だ」
「……どうだろうな」
死んだかもしれない幼馴染みに郷愁を馳せるお前の方が懐古主義の根暗だと、そう言いたかったが、ただのやっかみでしかない。
死んだかもしれない相手に、未だに奪われそうになる事に苛ついた。
奪えなかった、最後まで。銀時の存在がある間中、望んでいた桂の熱を含んだ視線を向けられる事はなかった。
「高杉、俺は江戸に残る」
「………」
傷が、痛み出す。疼くように、広がる。一部分なのに、指先までもが痺れる。
傷口から熱を持ち始めているのが、解った。
「高杉……心はお前にあげられなかった」
「…………」
欲しかった。
幼い頃から、桂の心を手に入れたいと思っていた。一番近い場所にあった、誰よりも先に、銀時よりも先に桂を見ていたのに。
無理矢理にでも、自分のものにしたかった。
それでも、桂の見ている先は、違う相手だった。
「じゃあ、俺には何くれんの?」
銀時が抜けた。
二人に、なった。
誰も居なくなった。
例えその心が誰のものであっても、それでも桂だけ居れば良かった。
そばに、居れば良かった。
「お前には、俺の「死」をくれてやるよ」
「……要らねえよ。縁起でもねえ」
「せっかくだから貰っておけ。世界に一つしかない」
「俺が殺して良いって?」
「ああ。お前だけは、俺を殺していい」
へえ、と、呟くように声を漏らす。
心は手に入らなかった。一番望んでいた。
何をしても、桂の心はただ一人他の人物に向けられていた。
死んだかもしれない相手に……もう、居ない相手に。
「じゃあ、俺が死んだら?」
「死んでやるから、伝えに来い」
「じゃあ………お前に殺されたら?」
「……高杉……」
桂は、傷口に触れないように、そっと、その身体に腕を回した。
桂の冷えた髪が、首筋に当たり、思わず身震いをする。
「刺し違える覚悟もないのか?」
「死んでくれんの?」
「そうだな、約束しよう」
動く方の腕で、抱き寄せる。
強く抱き締める。
何で、一つになれないのか、考える。何で違うものなのか、そう思う。
同じものを見据えていたはずなのに。
「そういやお前、約束、破った事ねえよな」
約束してもらった。
知らない場所で、勝手に死なないと桂は約束した。どんな些細な約束でも厳守する奴だ。
知らない場所で、桂は死なないと、そう言った。
「だから……時間は俺のものだ」
「馬鹿じゃねえの」
「……そうかもな」
耳元で呟く桂の声が遠く聞こえたのは、熱が上がってきたせいで意識が薄まったからだろう。
まだ、こうして桂に触れて居たかった。
「お前の言う世迷い言に、命を賭ける価値はあると思う」
「ただの悪足掻きだ」
「わかっている。それでも次に、寄港した時に……」
「…………」
行くなよ。
何にもしないでいいから、近くに居ろよ。
心だって要らねえから、せめて、そばに居てくれよ。
「………高杉? 熱が上がってきたのか?」
声が、遠くに聞こえる。
月が隠れたのかと思ったが……暗い。
視界が、闇に覆われる。
「高杉…………」
桂の声が遠い。
何とか、伸ばせた手で、桂の髪を掴めたと思ったのは、錯覚だったのだろうか。
目が覚めた時には、隣に居なかったから。
090810
|