夢を見た。
 最近ご無沙汰だった夢。
 あの頃は頻繁に見ていた夢。
 あの、悪夢。



 世界は赤で塗り込められて、腐臭で淀み、空気が血液のような粘着性を帯び、前に進むことすらままならない。身動きが取れず、肺が圧迫されるようで、息を吸えば内蔵が爛れ、吐き出す呼気は泡立った唾液に混ざる。


 俺の手足はどこかに行ってしまい、俺は尺取り虫のように進むしかなくなる。
 手足がくっついてるのかも知れねえが、役に立たない。見えないし動かない。何も見えない、死骸が埋め尽くし、地面なのか死骸なのか、空は赤く澱んでいる。

 俺の手がなくなって、腕がなくなって、足がなくなって、血まみれで、痛くて、だが生きてる。
 こんなんなっても、俺はまだ息をして心臓を動かしていた。



 痛みと言うよりも、熱。
 痛くてたまんねえ。死んじまったほうが、きっと楽だと思うような激痛。

 それでも俺は生きてた。

 生きて……死にたくねえって。
 死んでたまるか。


 這いずって、身体中どこもかしこも動かねえのに、少しずつでも前に進んで。
 少しでも、ほんの少しでも、お前の近くに行きたくて。






 ――それでもお前は死んでいた。





 俺は生きてんのに。


 お前は、綺麗な顔のまま。
 いつもみたいに涼しそうな顔で。
 笑みを浮かべると、華のような。
 それでもお前は死んでいた。



 長い髪は扇状に広がる。
 白い肌は、どこも傷つけられてない。
 眠ってるんだろうって、勘違いしちまいそう。
 静かに眠ってんだって。

 陶磁器のような白い肌に、傷一つない。
 人形みたいに。
 綺麗なまま。

 肉塊が転がるのに、お前の回りだけ、違う。

 俺が、激痛のうちに、血でどろどろに汚れて、痛みに顔ぐちゃぐちゃにして。


 それでも俺は生きてんのに。
 地を這いずって、頭だけになったって。
 こんなんなっても俺はまだ生きてんのに。





「……早く、起きろよ」



 心配かけてんじゃねえよ。

 痛いんだけど。

 身体中痛いんですけど、俺。

 大丈夫かって、心配してくれよ。痛くないかって、悲しそうな顔してくれよ。抱き締めてくれりゃ、俺はすぐに良くなる、またすぐに戦える。

 だから、さ。




「早く、目ぇ覚ませよ」

 起きてくれよ。なあ。

 痛いんだよ。
 このままじゃ、心臓が潰れちまう。
 身体半分がむしり取られた、そんな絶望。

 お前死んでる場合じゃねえだろ。
 俺が今こんなに苦しんでんだ。
 お前は何で? 俺の笑った顔が好きだって言ってたよな。
 笑ってやっから、起きろよ。

 てめえ、俺の事護るとか、豪語してたじゃねえか。さっさと起きて、痛いの痛いの飛んでけ〜って、馬鹿みたいなオマジナイかけてください。痛くて死んじまうよ。
 お前に殺される。

 お前の「死」に潰される。


 血のついた手で、汚れた手でお前の顔を撫でる。

 俺のものじゃなかったけ?
 アンタ俺のもんだろ?

 俺に断りなく、勝手に処分してんじゃねえよ。俺はまだ要るんだよ。


 そんなん、許さねえ。
 俺を置いて死ぬなんざ、絶対許さねえ。


 手で、顔に触れる。俺の手。
 黒くて、赤く爛れて血塗れで、指が五本有るのか数えてない。感覚なんかない。


 白い肌に触れて、その頬に触れて。
 感覚すらない指が。
 それでもお前の頬に触れて。

 俺の手が触れた場所が汚れた。


「早く、目ぇ開けろよ」

 潔癖症なお前の、髪が汚れることを気にするお前の。
 こんな、俺の穢い手が触れてるんだ。
 怒れよ。
 汚れるから、やめろって。

 なあ、痛いんだ。
 どこもかしこも痛いんだ。

 何で? 死んでる場合じゃねえだろ、俺がこんなにボロボロになってんだ。なんか言えよ。言ってくれよ。

 俺、こんなんなってんだ。痛えんだよ!
 早く、手当てしてくんない? お前の手当てが一番治りが早いんだ。その場で治すから。

 お前が笑ってくれりゃ、すぐに立つから。立ち上がって、また戦える。お前が俺の隣に居てくれりゃ、身体全部潰されたって、頭だけで戦える。


 その手で触れてくれ。



 なあ、


 起きろよ。




 咆哮。
 どこかで鳴き声が聞こえる。

 屍肉を漁りに来た獣かと……。


 違う。
 俺だ。


 内蔵が、捩れる。
 心臓が潰れちまう。

 言葉になんねえ。潰されたまま、きっとこれが断末魔。内蔵吐き出すように叫んで。それが唯一無二の言葉。




 お前がいなけりゃ……何で、俺まだ生きてんの?

 早く……早くてめえと同じ所に行きてえ。
 何で俺を連れてかないんだよ。
 俺とお前は、同じなんだ。半分なんだ。なくなって、生きてけねえ。

 お前は俺のもんだろ?
 どこもかしこも、お前を形成する全部俺のもんだろ?

 魂すら俺の所有だ。その血の一滴すら渡さねえ、全部、俺のだ。



 屍体を。


 お前のその美しい屍体に。






















 …………夢か。


 目を開いて、ここが何処だか理解してなかった。
 しばらく瞬きを繰り返してようやく、お馴染みの我が家だと把握すんのに時間がかかった。

 夢だ。夢だった良かった。夢で良かった。昔の夢だ。

 天井が見えて、俺の手が見えた。
 手を天に向けて付き出してた。

 あ、ちゃんと指が五本あるわ。
 動かして確認。汚れてない。別にいつも通りの俺の指だ。これならヅラに触れる。

 まだ、震えてる。よっぽど怖かったんだな、俺は。まだ怖いし。
 まだ心臓が妙な早さで動いてる。全力疾走したわけでもねえのに。
 疲れた。

 夢で良かった。悪夢は現実が良かったって安心するためにあるんだって、どっかの誰かが言ってた。夢で良かった。

 あー…、身体中、汗でぐしょ濡れだ。
 嫌な汗かいた。気持ち悪ィ。

 ……風呂。
 って思って起き上がろうとして、身体が動かなかった。


 ………?


「………をい」

 俺は俺の腕がっしり掴んだ存在に、目眩を覚えた。

 ……まさに夢に出てきた屍体が、俺の横で寝てやがる。夢の中では綺麗な顔だったけど、横になってるから、半分顔潰れて、口も半分開きっぱなしで、そんな間抜けな面さらして、俺の隣で寝こけてる。
 ……何、やってんのこいつ。

 昨日来たっけ?
 変な夢見て記憶ぐちゃぐちゃだけど、来てねえよな?

「おい、ヅラ」
「………んあ?」

 手を思い切り振りほどいて、叩き起こした。
 てか振りほどけねえ。
 細ぇくせに、やたらと馬鹿力で、何なのコイツ。

「んあ? じゃねえ。てめえどっから入った」

「あー、ぎんとき」

 あーぎんとき、じゃねえ。何でいつも凛とした口調のクセに、半覚醒ん時だけ、甘ったるい舌足らずな声出せんだよ。俺以外にもそんな声出してんじゃねえだろうな?

「てめえどっから入ったんだよっ!」

 戸締りは万全だった。ちゃんと寝る前に鍵かけた。

「そこ」
 はあ? そこ?

 ヅラが虚な目で、見てんだか見てねえんだかわかんねえ視線で指した先は窓。暑かったから開けっ放しだった。
 ……不法侵入ですか。お巡りさんに付き出すぞ、てめえ。

「帰れ」
「無茶言うな。三日ぶりの布団なんだ」

 そう言って、またすぐ目を閉じたかと思った途端、寝息。

 ………うち、避難所じゃねえんだけど。

 てか、三日?

「何があったんだよ」
「うるさい、眠れん」
「……って、てめえ!」
 ここ、俺んちで俺の布団!

「部下の一人がヘマをしでかしたから、そいつが西国に逃げ切るまで囮になってた」

「ばっ……」
 かじゃねえの?
 って、思って、口に出しかけて。

 ……確かに、珍しく、ヅラのくせに、少し汗臭い。
 コイツ風呂嫌いで、いつもカラスの行水だけど、どうにも潔癖症の気があるらしくて風呂に入らない日なんかねえし。


「だから、寝かせろ」

「………あいよ」

 馬鹿だなあ、おまえ。
 勝手に俺、巻き込まねえでくんない?
 死ぬんなら、どっか、俺の知らないとこで、俺に気付かれないようにお願いしますよ。
 おまえ死んだら、俺が死んじまうから。


 手首に包帯が巻かれていて、血が滲んでた。ヅラが怪我を追うなんか、珍しい。

 せっかく綺麗なんだから、傷つけないで下さい勿体無いから。
 俺のモンに勝手に傷つけないでくんない?


 風呂に、行こうって思ったけど、やめた。

 まあ、生きてりゃ良いや。


 おまえがまだ俺のモンなら文句ないですよ。

 布団かけなおして、ついでに俺の腕もヅラに被せると、すぅって、すぐに寝息を立て始めた。安心しきってんじゃねえよ。ここにもてめえを襲いたいって人間の存在忘れてんじゃねえ?

 ったく、緩みきっただらしない顔晒してんじゃねえよ。

 ムカついて、うっかり笑っちまいそうだ。ムカついたから頬を摘まんだら、煩そうに眉間にシワを寄せただけだった。
 熟睡してんのね。


 寝息聞こえて、安心した。

 さっきの夢で……さ。






 俺は、お前を食ったんだ。跡形もなく。全部。

 俺から離れちまうくらいならって。俺のものにしたくて。おまえがなくなる前に全部俺のにしたくて。





「っ痛!」

「……あ、ワリィ」
「何だ! 俺は眠いと言っただろう! 何の嫌がらせだ!」


 思わず。
 さっきの夢を思い出して、ヅラの白い首筋に歯を立ててた。

「ワリィってんだろ?」
「邪魔だからって咬むか、普通」
「あーはいはいごめんなさい。いいから寝ろ」
「起こしたのはお前だろうが」

「いいから寝なさい」

 頭を抱き込んで、俺の胸に押し付けると、呼吸が苦しかったのかしばらく暴れてたけど……すぐに静かになって寝息を立て始めた。

 ……ずっとこうしてりゃ良いのに。


 ずっとお前がここにいりゃ、こうやって俺の腕の中に居りゃ、俺だってあんな夢見ないんだって。



 生きて良かった。
 って、言わねえけど。


「……ぎんとき?」

 ヅラの頭抱き締めて、頬擦りしてたら……
 気付いたのか?


 とか、思ったけど。
 またすぐに寝息で。


 寝言か?


 ……まあ、夢だったんだし。


 いっか。


 で、俺もそのまま寝入りそうになった時。



 ヅラの腕が、俺の身体に回った。





















090401

居眠りしてたら、こんな夢見ました。
銀さんが、四肢潰れて、血まみれでドロドロになって蓑虫みたいに地面這いずって、桂が綺麗なまま死んでる、って夢。けっこう忠実に再現。
起きたら、ヨダレ垂れてたin大江戸線
そのままノリで1日で書いた銀ヅラ単文。

ツナビーサルベージ
20080610

誤字
すぐに立つから→ すぐ煮立つから


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